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【コラム】「これだけ雨降ってるならさ、もう逆に濡れたいまであるよね」。【マーメイドはひとりで躍る⑲】
「これだけ雨降ってるならさ、もう逆に濡れたいまであるよね」。
どしゃ降りの所沢駅、屈託のない笑顔で彼女は言った。
その時、心のレバーが揺れる音がした。
この人となら、傘も刺さずにどこまでも歩いていける気がした。
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忘れられないデートがある。
その日はまず築地で昼飯を食って、
豊洲方面に向かって適当に歩いていこうという予定だった。
彼女は日替わりの刺身定食を食べ終えると、こう言った。
「豊洲方面ってことは、
そのままずっと歩いたらディズニーランドあるよね?
ならいっそ、ディズニーまで目指してみない?」
Google Mapsによると、
豊洲からディズニーランドまでは約10km。歩くと2時間半かかる。
それでも僕らはディズニーまで歩くことにした。
電車を使えば15分で見えるその景色を、歩いて確かめたかったから。
13時半、溢れんばかりの期待を胸に築地を出発した。
道中、彼女はいろんな話をしてくれた。
築地で買ったいちご飴が、歯に挟まって食べにくいこととか、
ヒトカラに行く時は、
FRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」を
どれだけあざとく歌えるかに挑戦することとか、
中高時代は同性からあまり好かれてなかったこととか。
自己開示が苦手な彼女は、散歩中に限って饒舌に自分の話をしてくれた。
築地から豊洲、新木場を超え、葛西臨海公園を目指すさなか、
遠くにだがはっきりとそれは見えた。
僕らはまるで少年少女のように飛び跳ねて、歩くスピードを加速させた。
「夢の国」という表現が好きじゃない僕でも、
この時ばかりは、それが「夢の国」と呼ばれる理由が分かった気がした。
入場ゲートを見つけるやいなや、彼女は意気揚々と駆け出した。
辺りはすっかり薄暗く、時計の針は18時半を少し過ぎていた。
途中、ららぽーと豊洲のカフェで小休憩をはさんだとはいえ、
5時間もの間、歩を進めていたことになる。
しかも、僕らはただ歩いていただけではない。
聞きそびれたことを丁寧に踏みながら、歩幅を微調節していたのである。
これにはきっと、伊能忠敬だってびっくりだ。
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平日とはいえ、園内は多くの人でにぎわっていた。
「きっとここにいる人たちはみんな、電車か車で来てるんだよね」
「築地から歩いてきたことをキャストの人に自慢してみようか」
そんな言葉を交わしながら、
僕らは少しずつ、夢の世界へと同化していった。
時間も時間だし、さすがに疲れもあったから、
アトラクションは2~3個くらいしか乗らなかった。
それでもゆっくりパレードを見たり、
ベンチでポップコーンをほおばったり、
シンデレラ城をぽかーんと眺めたり。
さっきまで築地にいたはずなのに、
この場所にいる不自然さを分かち合いながら、
2人はとっておきのひとときを過ごした。
閉園時間になってからも、「夢」のような時間は続いた。
その日、彼女は浅草に1人で泊まる予定だったのだが、
どうしてもライトアップされたスカイツリーが見たいという。
「チェックインだけ済ませてきちゃうからさ、
浅草からスカイツリーまで歩かない?」
ノーと答えるはずもなく、二つ返事で誘いに乗った。
僕の家はスカイツリーから徒歩圏内にある。
このあと、最高の夜がやって来ることが約束された瞬間だった。
「ノリで浅草からディズニーまで歩くのはヤバすぎたよな」
「こんなデート、頭おかしすぎて友達とかに言えないね」
そんな戯言を吐きながら、
帰りは電車での移動を選んだ2人は、運ばれるように浅草へ到着した。
今度は僕から提案してみる。
「さすがに俺らめっちゃがんばったし、一回ビール飲んで休まない?」
彼女は「最高だね」と笑って返してくれた。
約束通りチェックインを済ませた後、僕らはダンダダンで乾杯した。
「ンアア~ッ」なんて、
声にならない声を出しながら、五臓六腑に染み渡るプレモル。
僕らは、思わず無言でハイタッチした。
「さすがにノリが男すぎるって」とツッコミながら、2人は大爆笑した。
これ以上の夜はないな、と本気で思った。
—-----------------------------------------------------------------------------------疲れは嘘みたいに吹き飛んでいた。
2人はまるでさっき会ったばかりかのような軽やかなステップで、
スカイツリーを目指した。
片手に缶チューハイ、片手に手を取りながら。
近くに越してきてから1年。
もはや当たり前の風景になっていたスカイツリーが、
その日だけはなんだか特別な存在に戻った。
634mがいつもの倍、いやそれ以上に遠く感じた。
いい感じに酔いも回って、2人は気づいたら僕の家にいた。
彼女が好きだという優里の『ビリミリオン』とかを聴きながら、
2人は夢の中へと消えていった。
そしてその日が、2人の最高到達点だった。
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あらゆる食材に賞味期限があるように、
恋にも好きでい続けられるリミットがあると思う。
賞味期限を過ぎると、
風味が損なわれておいしくなくなってしまうように、
そのリミットを過ぎると、
愛情が薄れて好きでいられなくなってしまう。
賞味期限が切れた食材でも、
加熱すれば復活する可能性がある。
もちろんものによるし、
栄養士さんとかには怒られちゃうかもしれないけど、
しっかり火を通して味付けでごまかせば、全然おいしく食べれたりする。
きっと恋も一緒で、
なんらかのきっかけで相手の気持ちに火を付けることができれば、
想いが再加熱されて、またおいしく、
いや、好きでいてくれるチャンスが生まれる。
僕には、その方法が分からなかった。
いつから愛情の期限が切れてしまったのか、きっかけは何だったか、
そして、どうすれば彼女に火を付けることができたのか。
どんな食材よりも、人の心を捌くのは難しい。
いや、こころを捌くなんて無理に決まってるか。
「好きになるのは簡単なのに、輝き持続するのは…」
大黒摩季の「ら・ら・ら」のフレーズが身に染みる。
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それからしばらくしたある日、
僕は冷蔵庫を開けていた。
時刻は13時半を過ぎたころ、そろそろ昼飯でも作るか。
ってえ、なんだよ、このキムチ結構、賞味期限切れてるじゃん。
ちょっと待って、このウインナーも油揚げもじゃん。
そういや豚肉も冷凍してだいぶ経つからそろそろ消費しないとな。
よし、きょうは豚キムチでも作るか。
1K13畳ほどの狭い部屋にしては
恵まれた2口コンロの左側を使って、
豚肉、ウインナー、キムチ、そして油揚げを炒めていく。
味付けはめんつゆと砂糖、しょうゆは控えめに。
仕上げにごま油を垂らしておけば、基本なんだって美味くなる。
いただきます。
うん、全然美味いじゃん。
さすがにキムチの酸味はちょっと感じるけど、
まあ味付けでごまかせてるし、全然食えるわ。
いやあ、瀕死だった奴らをうまく消費できてよかったわ。
「ゴロゴロゴロー」
雷鳴に呼び起こされるように、部屋着のままベランダへ飛び出した。
そういや、きょうはゲリラ豪雨とか言ってた気がする。
ザーッと横なぐりの雨が地面を濡らしていた。
その刹那、あの夜の光景が蘇ってきた。
「これだけ雨降ってるならさ、もう逆に濡れたいまであるよね」。
あなたのいないこの家で、そのセリフがこだました。
あの日、確かに634m以上に見えたスカイツリーは、
きょうはおとなしくそびえ立っている。
傘も刺さず、ずぶ濡れになりながら
どこまでも歩き続けたい。
そんな気持ちに後ろ髪を引かれつつも、
リビングへと戻った。
余っている豚キムチをほおばる。
なんだか、さっきより酸味が際立った気がした。
文・マーメイド侍
※この物語がフィクションかノンフィクションかは、
読んでくれたアナタが決めてください。
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「聞きそびれたことを丁寧に踏みながら、歩幅を微調節~」は
澤田 空海理「お寝み」の歌詞です。
澤田空海理は、他にも聴く価値のある曲があります。
ぜひとっておきを見つけてみてください。