To my diary. 56「若者はアナーキー」
我々にとって"秘密"という存在がそうさせる。
これは代わり映えしない日々の中で、我々が作り上げてきた大人厳禁の世界だ。
この世界では外の世界の方が無秩序だ、そう感じる者でないと立ち入れない。
我々は目を光らせて、厄介者または裏切り者を排除することに必死になりすぎている。
何もかも似ていなければならない。
似た境遇で似た価値観、そして共通の友達だ。そうゆう者でないと皆信用してはくれないのだ。
ここが違うなどと言われたら、相応の返答をしないと同類とみなされない。
人間のみで有り得る話。だから分かるはずだ。
こちら側に立つ者は、一瞬にしてグレーに染まらなければない。そうでないと一斉にして追放され、あてもなく彷徨い続けることになるだろう。
マキャベリの著作「君主論」を読んで思ったことがある。
どんな人物を側近にしようが何かを完璧に、永遠に維持することは不可能だということだ。
テリトリーに侵入者だ。なぜこうなった?
団結してても、いずれ破壊する者が現れる。
善だろうが悪だろうが、結局は自慢する。
破壊した者はここまでの破壊を望んではいなかっただろう。だが、知られすぎたらお終いだ。
"秘密"ではなくなってしまったら最後、崩壊していく様を傍観することしかできないだろう。
抗う気力があるのなら、精一杯戦えばいい。気が済まないなら周りに当たればいい。
そういった行動にでる者は周りからの信頼を勝ち得ることになる。
周りはきっとそれを"勇気"と感じるからだ。
自分に嘘をつき続けたことが功を成すことはたくさんある。
スターリンは言った。「誰も信じられない。自分さえも……」と。
それでも望む者がいるならば、我々は嘘をつかなければならない。
嘘がバレ、非難をしようものならこう言うだろう。「お前のことを思ってのことだった」と……だが実際は自分が相手に功をもたらしたのだと思いたいだけなのである。
実に狭い世界だ。
でも、こんな狭い世界で生きている。
辛くても、苦しくても、寂しくても、悲しくても……どうしても抜け出せないから此処を自らの居場所とし、先の見えぬまま悶々と過ごすしかないのだ。
しかし、此処にいる本人はとても広く見えることだろう。
此処が唯一の居場所で、此処しか心許せる場所を見たことないだろうから……
仮に他にも心を許すことができる場所に出会ってきたとしても、新鮮なうちは此処が自らの真の居場所だと錯覚してしまう。
実際にそうなのかは本人が自分に嘘でもつかなきゃ誰にもわからない。
もし、此処が狭く見えるのなら、広い世界を見てきたに違えない。そいつは仲間には入れやしない。
なぜか、そいつに影響される者が少なからず現れるからだ。
そして、主犯格であるそいつは自惚れ、影響された者はといつか反乱をもたらす。
誤って仲間に引き入れると上記通り、自慢もする。
我々には出来ないことなどない。
仲間と一緒にいるとそう思わせられるのだ。
実際、そんなことはない。
ただ、やれることしかやってないし、やれていないだけなのだと気づくことはずっとずっと先のことだろう。
我々のしてきたことが、誰かのためになっているかなどどうだっていい。自分のために何かをしてあげることに精一杯なのだ。
我々は明確なことがない複雑な世界で生きている。
きちんとルールが定まれている単純な先の、大人の世界とは大違いだ。
いや、大人の世界の方が我々の世界よりもずっとずっと複雑だと知る術がないだけなのかもしれない。
大人は我々になにをしてくれた?
良いことも悪いことも教えてくれた。
教えた者は徳を得たと満足するだろう。
それでも我々の中には何か腑に落ちなくて、物足りないと感じる者はきっとどこにでもいることだ。
それが何なのか分からない者も、分りたくない者も自分次第で何かが変わるかもしれない。
行動して周りの状況が変わらなかったとしても、自分の心は動かされるだろう。
それで十分ではないだろうか?
不透明なものほど、人間らしくていいじゃないか。
後悔を恐れていたら、我々は「臆病者だ!」と自分を恥じていたことだろう。
若気の至りでやれることは、名前の通り、若いうちにすればいいだけ。
後悔しても誇らしいと思えることを……後悔することの何がいけないのか未だによく分からない。
ひとりでもみんなと一緒でも行動は起こせる。
それは紛れもない事実だ。
『当たって砕けろ』じゃなかったのか?
若者は好奇心が旺盛だ。
若者は感受性が豊かだ。
若者は基本群れたがる。
若者は恐れ知らずだ。
そして、若者は脆い。
大人は子供に一生、嫉妬し続ける。
学校が社会の縮図として、そう学ばせてくれた。
了
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