太神楽曲芸

 寄席を4時間弱堪能したので、奇術以外の演目について触れておこう。これから自分のビジネスを作っていく身としては、太神楽が身に沁みた。傘の上で升を回す「商売ますます繁盛」を見ると、強制ではなく「ああ、がんばらねば」と自然に思えた。升の前には、マジックに使うような金属の輪っかも2本回していた。なぜ輪を回すのかといま調べたら、「金回りが良くなる」ようにということらしい。傘そのものが「末広がり」だし、おめでたい意味が散りばめられているのがこの曲芸なのだという。そうなのかー。いつも寄席で見るものだという以外の認識がなかった。

提言! 高齢者に楽しく発声練習をさせよう

 さて、寄席といえば噺家である。話をするプロである落語家ひとりの持ち時間は10~20分程度とはいえ、暗唱してひとり何役も演じ分けないといけない。これは、講師である自分が参考にしない手はないよね。
 やはり真打ち、それも70歳以上(と見える)風格の備わった噺家は上手い。まるで登場人物がそこにいるようだ。さらに、ふつう70代ともなると滑舌も悪くなっているはずなのに、発音もクリアだ。毎日どういう発声練習をしているんだろう……。ぜひ教えてほしい。
 話がずれるが、この発声練習というのは一般人にも絶対に役立つはず。父がまさにそうだったが、高齢になると滑舌も悪く、何を言っているのかがわからなくなる。会話をしなくなってしまうということで、これもフレイルのひとつの原因だと思う。何よりも、発声練習によって嚥下機能もよくなるのだから、楽しい演題を選んで高齢者に発声練習をさせたらよい。高齢者は狂言など好きな人が多いのではないか。声優トレーニングにも使われる「外郎売り」などどうだろう。「拙者親方と申すは……」というあれで、きっと聞いたことがある人も多いはず。施設でこうした訓練を楽しんでやれば、本人も、家族も、施設職員や医療従事者、つまり高齢者と話をする全員が喜ぶし助かる結果につながると思う。これを読んだ関係者がいたら、ぜひぜひ取り入れてほしい。

間違えたときは

 落語の話に戻ろう。途中で数人の言い間違えがあったのも、わたしの耳は拾ってしまった。これまで感じたことはないし落語に詳しくなったわけでもないので、おそらく自分が「話す商売」を初めて耳が鋭くなったのだろう。そして、主任(トリ)も途中で間違えて言い直していた。
 わたしは講師業を始めてから話す商売の人に厳しくなった。「お金を取って話をするんだからプロらしくあるべき」などと言い放つが、寄席では「プロのくせに間違えて」とは思わなかった。間違った!と自分で気づいたとき、素知らぬ顔で言い直し、どんどん続きを演っていったからである。
 そう、ステージに上がったら、プロは「あれっ」とか「間違えました」と言ってはいけないのだ。ピアノでもそう習った。違う音を鳴らしてしまったときも、どんどん次にいけ、と。
 これが学びの場である場合、事情は異なってくる。もちろん、講師は間違いを正す必要がある。けれども、訂正にはやり方というものがあるはず。大学教授や准教授も、「先日の授業で自分はこう言いましたが、(調べた結果)これの間違いでした」と言うのを聞いたことは何度かある。自分の間違いを訂正するというのは教員として、いや、人としてとても大切である。
 けれども、間違えたとき「あれっ」「いま何て言いましたっけ」「さっき間違えたかもしれない」などと受講者に問いかけるようなことを言ったり、フォルダに戻って適切なスライド(ファイル)を延々と探す……といったことをするのは、プロとして失格である。
 訂正の仕方も「先日はこう言ったかもしれないけど実際はこうです」なぞという言い方をする教員を見たことはない。わたしは獨協大学と放送大学で10人以上のオンライン授業を受けてきたので、このことはよく知っている。話をする場(高座、演台、ステージ、教壇)に立ったり、オンラインでマイクがオンになったら、言い訳はしてはならない。内容の間違いがあったと自分でわかったら、それを認めて謝罪、訂正する。これが正しい「訂正の仕方」ではないか。これ、講師業をする人、とくにオンライン講師は肝に命じておくべきだと思うなぁ。

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