瀬尾友子✕白野有 二人展~めぐる命
先週、友人の展覧会に行ってきた。二人展という形式は初めてだ。
会場に入ろうとすると、高度なエネルギーの渦があって、一歩目が踏み出せない。誰もいなくてとても静かなのに、絵がもつ存在感とパワーで満ちている空間だった。
足を持ち上げて入っていく。向かって右は白野さん、左側が友人の瀬尾さんの絵だった。
じつは彼女の絵は、半年前のグループ展で観ている。このときは2点の展示だった。
今回は部屋の半分が彼女の絵だ。
瀬尾さんは押し花を使って絵を描く。《扉はひらいている》という作品があった。門の前に長いアプローチが続く。多くの花びらが画面上面を覆っており、上から門を出ていく人を見送るかのようだ。前回もそうだったが、「門」と「花」というモチーフにわたしは惹かれるのだろう。
わたしが必死に門から出ようとしてきたこと、そしてもがきながら、それでも花に導かれるように門から出てきたこと、新しい道へ向かって歩いていること。この絵はすべてそれを知っているかのようだ。
ギャラリーのYouTubeには瀬尾さんのことばが紹介されている。
自分が投げつけられた、あるいはふと、ぼそっと言われたネガティブな言葉。どんなに忘れようとしてもできない。だけど、それを置いて出ていくことはできる。あなたはもうそれができたのだと、この絵は伝えてくれているようだ。
もうひとりの白野さん。こちらの作品は「人」が多い。とくに惹かれたのは《私を隠す、そして演じる》という作品。
舞台上にはひとりの女性が座り、周りには炎が渦巻いている。女性の右手はステージ上の仮面(舞台でつけている?)に置かれている。左手には布がかかっている。あとから説明を読んでわかったが、舞台の幕だ。燃え盛る舞台で、女性はこれまで演じてきた仮面を置こうとしているのか、それともこれからつけようとしているのか。
「ほんとうの自分」で生きれば仮面はもう要らないはず。だけどこの炎は「燃やせ」というメッセージだろう。何を燃やすのか。仮面か、舞台か、それとも過去の自分自身なのだろうか。
わたしはもう過去の仮面を外した。いまはほんとうの自分になれたと思っている。その過程をこの絵は表しているのかもしれない。
人といえば、瀬尾さんの絵にも、以前は人がいた。いつの間にか描かなくなったと思っていたら、やはりギャラリーの動画に「当初は作品に小さな人間を描くことが多かったのですが、徐々に『人間を描かずに人間を描く』方向にシフトした」とあった。わたしは人間のいない、いまの彼女の絵のほうに惹かれる。
「めぐる命」展、想像以上のエネルギーと思ったのは「過去の自分」が二人の作品のどちらにもいたからだった。こうして「絵」というかたちで向き合えたのは二人の画家のおかげである。