散骨といっても撒くわけではない
一昨年11月、父が身罷った。お骨は、そのとき葬儀屋が手配してくれた祭壇に置かれていた。つまり自宅の、故人の元の部屋にあった。
一周忌までそのままの状態にしていた後、兄がお骨を持っていったと母がいう。生前からずっとわたしが「お墓どうするの?」と言っても生返事しかしてこなかった兄が、ついに動いたのである。
仲が悪いというか没交渉の兄妹だ。葬式以来まったく音沙汰がなかったのだが、「5月に海洋散骨をする」という連絡が来た。ああ、そう来たか。なるほどお墓を作るより簡単だねそれなら。お墓参りのことを一切考えなくていい。お金もかからない。段取り力ゼロのわが兄にしては上出来ではないか。
そしてついに昨日、動画が送られてきた。江ノ島沖で散骨されたそうだ。
「これより◯◯様のご遺骨の散骨を始めさせていただきます」というアナウンスと共に、両手で白い紙袋に入った骨を持って、担当者が画面にあらわれる。遺骨は意外とコンパクトだ。人ひとり分の骨が、砕くとA4くらいの袋に入ってしまうのか。壺に入っていたときはやたらに重く感じたが、あれは壺の重さだったのだろうか。
ボートの縁から袋を海につけて数回前後に振る。水に溶ける紙なのだろう、白い粉状のものが海中に少しだけただよった。そして、担当者は袋から手を離して手を合わせる。この間5秒くらいだった。
動画を見ても、父に対するネガティブな感情が溢れ出すということもなかった。ふうん、これが海洋散骨というものかと「いままで知らなかった新しいことに触れた」と脳が認識した。それだけだ。
昨晩、父が夢に出てくるかなぁと思ったがそれもなかった。これで、人間ひとり終了だ。
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