リファレンスの不足
文章が上手いと人生褒められたことが何回かある。
曖昧なものから法則やピースを見つけて言語化して、順序立てて分かりやすく説明するのは得意な方だと思う。なのでそれを軸に文を書けば多少は様になる。それができるのは病的な自己分析を続けた結果、身につけた経験があるからだ。しかし、経験は技術の一部にすぎない。自分の中に参照先となる素地が存在していても、それだけでは同じ場所で往復を繰り返すだけで広がりはしないのだろう。
新しいことに挑戦をするとき、ふと我に帰ると自分の内面の探究と言語化に戻っている時がある。分からなくなったらリファレンスに戻るのだろう。いくら戻ったところでないものはない。ないものを自分の経験と感覚で作り上げようとするには時間がかかるので、完璧にできた気になってる時はおそらく全く上手くいっていない。経験に沿って動いていると察知する力も鈍る。
技術は所与だ。自分の記憶の中にあっても、本質は外にあるものを借りてくること。その距離感が目を開かせてくれるのだろう。「技術はみて盗む」は案外そんなに古くない考え方かもしれない。文章を盗むのは剽窃だが、技術やフォーマットを盗むのは成長。リファレンスに困ったら、生得的に得た経験を頼りにできないなら、他人の技術を借りるのは大事な選択肢なのだろう。