「桜見に行こう」あの看護師さんの言葉に救われた。
皆さんこんにちは。ウッディです。
今回書く内容は病院入院時代の話。
今まで書いたnoteの中で小3の終わりから高校卒業まで入院していたことはよく話していましたが
今回はその病院生活の中でもより印象に残っている出来事について書いていきたいと思います。
3年間毎日泣いていた
僕が入院したのは9歳の頃。
入院した病院は地元と離れている県外の病院で知り合いもおらず病棟に同じ年代の子達も少なかった。
大人ばかりの環境で、もちろん子供ながらにワガママも言っていたと思うけど子供ながらに気を遣いながら生きてもいた。
親と離れて暮らしたことない子供。
そりゃあホームシックにもなりますよ。
毎日夜泣いていた。
シクシクではなく結構なガチ泣き。
泣きすぎて疲れて寝る。
そんな毎日だった。
大人の世界で日々を過ごす中で人とのコミュニケーションや取り繕う会話はだんだん上手くなる。
そしてそれは同時に少しずつ感情をそのまま出すのが苦手になっていくことを意味していました。
人前で泣きもしない
大きくはしゃぎまくったりもしない
笑うんです。人とおしゃべりもするんです
ただ全ての感情の上限にストッパーがかかる。
大人の中で暮らすということは沢山の感情が入り混じる言葉に触れながら生きるということ。
それは時に自分に対してや他の人に発せられる嫌な言葉も嫌でも耳に入ります。
もし僕も言われたらどうしようとか言われてるのかなとか思うとあまり感情を出して傷つくのが怖かった。
そうしてどこか感情のブレーキをかけて自分の心を守っていたのだと思います。
少しずつ人間不信に
全く誰も信用していないわけではもちろんなかった。大好きな大人もいれば苦手な大人もいて、上辺だけの会話をする人もいれば相談できる人もいた。
そんな日々を送っている中で「自分はみんなに好かれてない」と思ったほうが楽なのではないかと思っていた時期がありました(記憶が正しければ小6くらい)
今思えば意味がわからない発想ですが
相談したり信頼して話しても噂されたりコソコソ言われたりそんなことを言われるくらいなら何も言われても感じないように、そして自分の中で収まるように人に期待をしない。
そんなふうに生きたほうが楽だと本気で思っている時期がありました。
病んでるとかではなく大真面目に思っていました😂
優しい人
そんな日々を送っているとある日の夜。
ある看護師Aさんが夜勤の担当だった日。
時々厳しい時もあるけど優しいAさん。
その時Aさんは20代だったけど仕事も早くてテキパキしてる方でした。
何気なく話していて、話していた内容は流石に忘れましたが他愛もない話からだんだん深くなり、ふと僕が「まあどうせ僕のこと好きな人なんていないと思ってるから。はは。」とポロッと心の声が漏れてしまいました。
あ、やべ!なんか怒られるかな…と思っていると。
すると…「私はウッディくんの事好きだよ」
と声をかけてくれたAさん。
いつもなら、また思ってもないこと言って…とか、はいはい。社交辞令ねくらいしか受け取らなかったひねくれ子供の私でしたが
この時だけは、この人は本気で言ってくれてる。と感じたのは今でもはっきり覚えています。
病院で生活していた9年間は結局感情を抑え気味には生きていた。
でも人を何一つ信じないとこまでは心が落ちなかったしどこか心の根元には信じてる気持ちもずっと持ちながら過ごせた。
その一つにこの言葉は大きかったと想う。
家族以外でも自分を見てくれてる人はいる。
そう思える言葉を掛けてくれたのは本当に幸せな事でした。
そんなAさんともう一つ印象的なエピソードがありました。
記憶が間違ってなければ
中学に上がる年の春休み。
病室でゲームばかりしていた私。
大部屋だったので何人も他の子供達がいました。何人かを連れて病院の職員の人が「桜を見に行こう」と連れて行っていた。
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