「レトルトカレーでいいや…」ってなんだよ
先日、夕飯を作る気がまるで起きなかったので、「今日はもうレトルトカレーでいいや…」と思い、娘と二人でカレーを食べた。
その時、「レトルトカレーでいいや」って、なんだそれ…と思った。
丁度夏至の前で、Twitterのタイムラインは夏至カレーの事で盛り上がっていたので余計気になったのかもしれない。
夏至カレーというのは夏至にカレー食べる行事、および夏至に食べるカレーを指す。ここ数年で始まった新しい活動で、楽しそうなので陰ながら応援している。
カレーは大好物だ。大学生の頃インドカレー(正確にはネパールカレーだけど)にハマってやたらめたらカレーを食べていた。ほぼ毎日カレーを食べている時もあった。自己紹介のが苦手でも「カレーが大好きで、最近ほぼ毎日カレー食べてます。いいお店があったら教えて下さい」とか適当に言っとくと悪い印象は持たれないし、「あ、毎日カレー食べてる人だ…」と覚えて貰えるので便利だった。
最初はカレー教バターチキンカレー宗に入信し、その後「あんなのは子供の食べるもの…」と思い始め、マトンカレー宗、キーマカレー宗に改宗した後、カレー狂信者は卒業し、カレーを大好きな食べ物の中の1つとするにごく一般的カレー教徒に落ち着いた。
レトルトカレーを軽視するのは昔付き合っていた男を貶すようでなんだか罪悪感がある。普通に家で作るカレーもお店で食べるカレーも好きだけど、おいしいレトルトカレーもある。レトルトカレー作ってる人なんてもう通常の人の何倍もカレーについて調査し、試行錯誤して、毎日カレー食べて、家族に試作品食べさせて「またカレー?」とか言われながらも我々善良なカレー教徒のためカレーを開発・製造して下さっているわけだ。たぶん。
開発する人と、工場のラインで作れるようにする人と、工場のラインで働く人、品質管理する人、輸送する人、パッケージのデザイナー、スーパーで仕入れるを管理してる人、レジ打つ人とかいろいろな人が関わって、私の家にレトルトカレーがある。
レトルトカレーに愛がないというのは、レトルトカレーに込められた愛を享受していないだけに他ならない。そもそも愛のこもったカレーの定義とは?手作りすれば愛のあるカレーなのか?カレールーを使うのは良いのか?
自分で育てた野菜とスパイスでカレーを作り、米も稲から育てて、自分の山で採った木を薪にして、火打ち石で起こした火で土鍋で炊いた飯に盛れば良いのか?そこまでやったら流石に面白いかもしれない。
私はレトルトカレーに込められた愛をありがたく享受することにした。「レトルトカレーでいいか…」じゃなくて「レトルトカレーにしよ…」ぐらいにしておこうと決めた。このことを夫に宣言したら興味なさげにパンツとタオルを持って風呂場へ消えて行った。