meria 二章 - 7

夢を見ていた。

「あれ……ココどこ」

気がついた愛菜は麦畑の真ん中にいた。真上には雲一つ無い青空。静かに風が背後から走り抜けて足元の麦たちを揺らして立ち去って行く。
前にもどこかで似たような景色を見た気がするのだが、どうしても思い出せ無い。
しばらく景色を眺めて気付いたのは遠くに大きな樹が立っていて、そこはなんだか行ってはいけないような気がして自分が来た道を戻るよう振り返ろうとした。
すると急に左手を掴まれ驚きのあまり飛び上がる。

「エクセルさん!?」

振り返った瞬間、腕を掴んで来た男の顔を見て愛菜は悲鳴のように男の名前を叫んだ。
ほんの一瞬、何故この人の名前を知っているのだろうと疑問が浮かんだが、すぐに出会った経緯を思い出し、むしろ知らないわけがないかと妙に納得する。
手を掴んだまま何一つ喋らないエクセルは普段見せない感じの柔らかい笑顔で愛菜を見つめ続けている。

「エクセル……さん?」

いつもと何かが違う。

「おいで」
「エクセルさん?」

彼に腕を引っ張られて愛菜は歩き出した。向かっているのはあの大きな樹がたっている方向だった。どこに行くのかと尋ねるがエクセルは全く反応しない。まるで自分が呼ばれているとは思っていないようで、意味がわからない話を愛菜に話しかけてくる。ここがどこかすらわからない知らない場所なのに、彼は愛菜がここに来たのは初めてではないような話をしているのだ。

「お願い、エクセルさん!答えてよ」
「それは誰を呼んでいるのかな」

急に止まったエクセルに背中にぶつかり顔を上げると振り返った彼にそう言われ困惑する。
誰と言われてもここには愛菜とエクセルの二人しかいない他には誰もいない。どういう訳か全く分からないが麦畑の真ん中で他の知っているみんなはいない状態で、二人っきり。
誰がいるとこの目の前の男は言っているのだろうか。愛菜は真っ直ぐこちらを見つめてくるエクセルらしき男が怖くなって来た。
男は膝をつき、愛菜と同じ目の高さにしゃがむと掴んでいた愛菜の手を胸に当てて淡々と話し出した。

「この男の名前はエクセル。私は知識を得た白い蛇、エルメルト」
「蛇?」

おとぎ話でお姫様にでもするような恭しいお辞儀をする彼は自分は白い蛇であると名乗った。そしてエクセルである事も否定しなかったが、他人事のようで自分のことを言っているようには思えない言葉だった。

「私の夢の中のエクセルさんって難しい事を言うんですね」

そう呟いた自分の言葉でこれが夢なんだと気付かされた。夢ならちょっと変でもおかしくないかと無理やり納得してもう一度、彼と向き合う。

「君がそう呼びたいならそれで構わないよ」
「じゃぁ夢のエクセルさん、今度はどこに行くのか教えて」
「そうだねぇ……いい物をあげるから中においでよ」

そう言って腕を引っ張る彼が指差した先に白い柵が現れた。柵の先にあるのはあの大きな樹だ。
手を引っ張られながらぽっかり口を開けながらその大きな樹を見上げながら何を貰えるのかと質問するが彼は答えてくれない。仕方なく、愛菜は彼の背中を追って柵の中へと入って行った。後ろでは柵が閉じる音が聞こえたが、愛菜は気にすることなく前を進んで行く。
大きかった樹は近づいたことで更に大きさを増し、枝に大きな赤い果実が実っていることが分かった。愛菜は何の実だろうかと不思議そうに上を見上げた。その姿を見つめて、彼は何やら嬉しそうに微笑み少し待つように愛菜に言うと樹を軽く叩いてみせる。
上から二つ赤い木の実が落ち、彼はその一つを拾って袖で磨いた後一口かじる。
一噛み一噛み味を確かめるように噛み締め、みずみずしい音を立てて果実を食べる姿に愛菜は釘付けとなった。
美味しそう。愛菜の喉がゴクリと音を立てる。

「君も食べるといい」

もう一つの木の実を掴んだ手を伸ばして来た。真っ赤な艶のある赤い実は愛菜のよく知る林檎とそっくりだった。

「いい物ってこの林檎ですか?」
「そうだよ。君にとってはただの林檎だから安心して食べるといいよ」
「私にとっては……?」

意味深な言葉が気になり聞き返すと彼は笑って昔話だと行って話してくれた。
昔々、ここにいた少女がこの木の実を興味深々と毎日眺めていたそうだ。しかし少女は知性がなくそれが何の実であるか理解ができなかった。ある日この樹で暮らしていた白い蛇が彼女に気付き、その実をプレゼントしたそうだ。その日から少女は知性を手に入れた。

「君はもう既に知性は持っているから、だから君にはただの林檎さ」
「その女の子はどこに行ったの?」

おそらく、昔話で出て来た白い蛇は先ほど彼が言っていた彼自身のことだと愛菜は気付いた。しかし、話に登場する少女が今ここにはいない事に気付き不審に思った。
彼はしばらく黙ったまま林檎を食べ続け、もうかじる部分がなくなるとようやく口を開く。

「そうだね、どこに行ったんだろうね。僕もずっとここにいるんだけど、ずっと一人だよ」

樹を見上げてこう言った彼の姿はいつものエクセルだが、何だか急に幼い感じがした。
なんだが中身がころころと変わるようなエクセルの言動に愛菜は疲れてしまい、思わず自分の夢のエクセルさんは変だとぼやいた。今までそんな風にエクセルのことを見ていたのだろうかと愛菜は自分の深層心理に疑問を抱いた。夢は自分を映す鏡とも言うし、ひょっとしたら目の前のエクセルは愛菜の抱いたエクセルの印象そのものなのかもしれない。
そう思った矢先。

「だから、お嬢さんに会えて嬉しいよ」
「えっ……」

意外な言葉に考えるのをやめて驚いた様子で顔を上げる。
目の前にいるエクセルが愛菜の手から林檎を取り、食べ辛いなら食べさせてあげようと言って一口かじった。そしてエクセルの顔がどんどん近づいてくるため愛菜は驚いて悲鳴を上げる。両肩を掴まれ、口を開いた瞬間にその穴を覆うように彼の口が覆いかぶさって来た。実のかけらを押し入れた後舌が絡まって離れない事に動揺し、愛菜は必死にエクセルの肩を掴んだ。
ぴちゃぴちゃと水音を立てながら口の中に広がる林檎の味に酔い、微睡んでいく。

「エ、エクセルさん……」

ようやく絡んだ舌が解けた瞬間、愛菜は火照った顔でエクセルを見つめて呟く。
するとずっと優しそうに笑っていたエクセルの顔が歪な笑みを浮かべる。脱力しきった愛菜の手を取り指を絡め、腰に手を回して抱き寄せる。

「なんでだろう、その名前で呼ばれるのも凄く嬉しい」
「あの……これって夢、ですよね。現実じゃないんですよね」
「君の言う現実と夢の違いって何?」

口づけや、囁かれる言葉に愛菜の理性が侵食されていくのがわかる。考えることも嫌になるくらい身体に力が入らず夢の中のエクセルに全て委ねてしまいそうになり、必死に抵抗しようと愛菜はこれは夢なんだと声を上げた。
しかし、目の前の彼は不敵に笑って語り出す。

「現実は生まれてから五感で得た経験や記憶によってみる世界。記憶無しでは現実も存在しない世界となり得る」
「何の話ですか」
「夢も記憶から生まれる世界。そして一部は記憶し経験となる。果たしてこの記憶と経験は現実と何が違う?」

そう言うと彼は不気味に笑って愛菜の頬を撫で、赤い瞳が薄い弧を描いた。
違う。彼が確実に、自分の知っているエクセルでない事を理解した。

「貴方は誰……何でエクセルさんの姿をしているの」
「さぁ、忘れちゃった」

ふざけないでと声を上げると失礼だなぁと笑って彼は愛菜から離れた。やっと解放された愛菜は一口かじったまま地面に転がった林檎を見てそれを口にした事を後悔した。
必死に口を袖で擦り、エクセルの姿をした男を睨み続けた。

「またエクセルって呼んでよ。そしたら思い出せそうな気がする」
「何ですかそれ」
「ここで待ってるから。この姿が気に入らないなら今度は別の姿にするよ」

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