meria 二章 - 8
愛菜の目覚めは良いものではなかった。
うっすら開いた目に映った翡翠のような色を見てエクセルの名前を呼んだ。その後は乾いた音がしてからジワジワと顔の左側が痛くなり、ようやく意識がはっきりした。
目の前にいたのはエクセルではない知らない青年ともう一人、男が立っていた。女の子の顔になんて事をしているんだと悲鳴のような声を上げる男とは対照的に、目の前の青年の表情は冷たい。切れ長の鋭い目が印象的な美しい顔立ちの青年を目の前にして愛菜は彼をじっと見つめたまま惚けてしまう。
「俺をあの蛇男の名前で呼ぶな」
そう言って愛菜の寝ていた寝台に腰をかけ、懐から取り出した煙管に息を吹きかけて火をおこす。独特な匂いを放つ煙を煙管を使って吸い込み、愛菜の顔に向かって吹きかけた。愛菜は薬のような草の匂いのする煙にむせて咳き込みだした。
なんなんだこの人はとここでようやく疑問が生まれる。ここはどこで、どうしてこんなところにいるのか、目の前のあんたは誰なんだ。次々と出てくる疑問を先ほどのされた仕打ちへの怒りと一緒にぶちまける。
一層深く息を吸い込み膨らんだ胸が煙を吐きながらゆっくりしぼんだ後、青年の口から舌打ち発せられる。
「痛いっ!!!」
青年に髪を頭のてっぺんから鷲掴みにされて悲鳴を上げた。男はそのまま愛菜の身体を寝台に押し倒しもう片方の手で首元を掴んで音がなるくらい締め上げる。詰襟で止めていた肩紐がちぎれ、固定できなくなった服が身体からずれ落ちていく。
「止めてくれ。もう素材もいらない!これ以上殺す必要がない」
「勘違いするな。別に殺すつもりはない」
もう一人の男に止められ青年の手から開放された愛菜は部屋中に響く声で泣き出した。酷く混乱したのかうまく息が出来ず途中何度も詰まらせた様な音を発しながら家に帰りたいと叫ぶ。
帰りたい。お父さんお母さん。と何度も叫んでいる彼女の腕を引っ張って部屋を出るように男が連れ出す。青年は表情ひとつ変えず二人が出ていく様子を見送った後、何事もなかったように寝台へ横になった。
「そんな風に泣かないでくれよ。闇市で売られている子達を思い出して辛くなってくる」
「エクセルさん……」
「……」
先程の大泣きよりは落ち着いてきたが涙は止まらず、ずっとエクセルを呼び続けている愛菜を見て、男は大きなため息を付いた。
お腹が空いただろうとか、服を直そうとか色々言ってみたがどれも響かず広い広間でただ愛菜が泣き止むのをずっと待つ。その間、男の側には複数の少女達が食事や裁縫道具を手にしたまま、直立不動で立っている。男は時々少女たちに声をかけているが彼女たちからの返答はないし、男も当たり前のように一人で会話を続ける。
「そんなに侯爵殿がいいの?彼と何が違うの?よくわからない君を拾った点では同じだろう」
「エクセルさんは打ったり、髪掴んだりしないもん」
「そう?君が知らないだけで、あの人も大概恐い人だと思うけど……」
男がそう言った後、愛菜の着ている真新しい服を見て彼女がエクセルから相当可愛がられている事を察した。それ以上彼について言うのを止めた。
「とりあえず、服だけでも直そう。侯爵殿に買ってもらったんだろう」
「うん……」
ようやく落ち着いた愛菜が顔を上げた瞬間、驚いた顔を見せた。なんだか知ったような口振りで話すとは思っていたがまさか昨日宿に来ていた男が目の前にいるとは思わなかったのだ。
それと愛菜はもう一つ思い出して彼を指差して「領主様」と呟いた。
「あれ、今気づいたの?じゃぁ改めて、名前はアードルフ=メイモン。君の言うとおりこの街の領主だよ」
「昨日エクセルさんと何してたんですか。あの後、部屋に物が増えててめちゃくちゃ汚くなってたんですけど」
「ええ!?いや、ちょっとうちの商品を買ってもらっただけなんだけど」
「商品?」
「そそ。実は本業は商人で色んな物を売るの。侯爵殿は良く贔屓にしてもらってるお得意様ってところかな」
二人で話をしながら、側に居た少女達が愛菜の破れた服を針で縫い直している。その無機質な表情をした女の子達を横目で見た後、恐る恐るその商品についての疑問を投げかける。
「この人達も、その商品……なんですか?」
目の前にいる無表情なのに妙に艶めかしい少女達を指して行った言葉にアードルフは笑顔でそうだと言った。そして正確には彼女たちが人では無い事を付け足す。彼曰く、彼女たちは彼が造った本当のお人形なのだそうだ。
どうやって造るのかは教えられないそうだが、彼は彼女たちのような人形をたくさん造って闇市と言われる怪しい市場で彼女達を売りさばいているという。売上はアードルフ自身も想像以上らしく、主に貴族の人間が購入していくとのことだった。
彼の弁で言えば、生モノを売るよりよっぽどマシだろうというが、愛菜にはそもそも生モノが何を指すのか理解ができなかった。
「生モノ……」
「君みたいに身寄りがなくて闇市売られている子達さ」
その言葉の嫌な響きと予感は的中して、その言葉が人身売買されている人達を指す言葉なのだと愛菜は理解した。そして目の前の男に自分がエクセルに買われた「生モノ」と思われていることにも気付く。
「買ってくれる主人で人生変わってしまうのを目の当たりにすると、胃に来るものがあるね」
「ちょっと待って下さい!私はその生モノなんかじゃないし、エクセルさんはそんなもの買うような人じゃ――」
「どうだか」
そういう彼の目は冷ややかだった。
「侯爵殿の件は残念とは思う。だが売られる側の人間に主人を選ぶ権利なんて無いんだよ」
「っ!だから!」
勝手な決めつけからの知ったような口振りに愛菜は我慢できず反論しようと立ち上がった。すると頭を掴まれたような感覚の直後、髪を思いっきり掴まれ悲鳴を上げる。
「そろそろ無駄話も終わらせてもらえないだろうかメイモン卿」
「ジル殿。頼みますから、女の子の髪を掴むのは止めてあげてください」
「売る側が買う人間に指図するな。それに所有者が買った物をどうしようと勝手だろう」
「はぁ……」
吐き捨てる様な言葉と同時に、ジルと呼ばれた青年は愛菜を投げ捨てる様に放した。愛菜はゴロゴロと床を転がった後、痛みに耐えるように頭を抱えて震えている。また泣いているのか堪えるような小さな声が小さく何度も漏れている。
何も言い返せず、アードルフは堪えるように口を噛み締めてジルの顔を睨む。
「日の出と共にここを出る。あれを動かす準備をしてくれ」
「あれは細かな調整がまだ」
「構わん。あれが駄目でも代わりはいくらか用意してある」
そう言うとジルは床に転がって泣き続けている愛菜を先ほどの暴力とは打って変わり、大事そうに抱きかかえて部屋を出ていった。途中、ため息混じりに良く泣くと呟いたジルという青年の言葉は、何やら愛菜を以前から知っているかのような言い草だった。
止まらない涙まみれの顔をふと上げて愛菜は謎の青年を見つめる。しかし見れば見るほど忘れる事も難しくらいの端正な顔立ちをしていた為、見続けることに耐えられず、顔を赤くして俯く。
なんでこんな綺麗な人に一方的に殴られているのだろう。本当に疑問だ。
「貴方は何で私を連れてきたんですか」
「母上がお前を連れてこいと仰せだからだ」
「???」
ジルは何処を見ているのかわからない目線を部屋の壁に向けながらそれだけ言ってまた黙ってしまう。愛菜は彼の言葉の意味が理解できず首を傾げたまま彼の次の言葉を待ってみた。が、それ以上彼は何も言わなかった。
途方にくれていた愛菜はいつの間にか寝台の上で膝を抱いてまたシクシクと泣いていた。半分寝ているようなとろとろした意識の中で頭をポンポンと撫でるように叩かれる。なんだか懐かしい感覚だった為、藁をも掴む勢いでエクセルの名前を呼びながら彼の手を掴む。
勿論彼はエクセルなどではなく、なんとも言えない複雑な表情をしたアードルフだった。
呼ばれるがままに連れて行かれるがどこに行くのか、何をするのか聞いても彼は黙ったままだ。
彼の足が止まったのは禍々しい模様が描かれた厳重な扉の前だった。扉を見た瞬間、嫌な予感と背筋に凍るような寒気が走りその場から逃げ出したくなる。
だが、アードルフは手を放すどころか握る力を強めて来た。逃げられない。
愛菜は必死にもう片方の手で彼の手を剥がそうと爪を立てるがまったく歯が立たない。軋む音を立てながら開いた扉から部屋に入った瞬間に異変に気づいて抵抗する手を止めた。
部屋の様子を見るのが恐いくらいの異臭が鼻を襲う。部屋中に漂う獣臭と生臭さが襲いかかり、胃がぐっと持ち上がる感覚で思わず咽た。
「大丈夫?臭い?」
「なんで平気なんですか」
「もう慣れちゃったから」
我慢できず床に嘔吐する愛菜を優しく背中を撫でてくれるアードルフは平然とした顔をしている。愛菜は信じられないと言うが、彼は死んだようにうつろな目であっけらかんとした答えを返す。
部屋はおかしな様子など無いアトリエのような作業部屋だった。禍々しい道具が置いてあったり、陰気な空気が漂っているわけでもなかった。一点、おかしいのは部屋の床一面に青い宝石で円が描かれていてその中央に椅子が一つぽつんと置かれているということだろう。
椅子には綺麗な女の人が座っていた。
「一月くらい前だったかなジル殿がやって来てこの娘を使って人形を作って欲しいと依頼があった。渡された彼女はもう死んでいた」
どうして死んでしまったのかは知らないという。ジルが殺してしまったのかも知れないし、何かに巻き込まれて死んでいたところをジルに拾われただけかもしれないとも言った。この街ならありえない話ではないし、どうでもよかったとも言う。
冷たい感じでは無く、本当にそれが普通なんだという言い方だった。
「ジル殿はこの人形が出来れば彼女は再び動き出すのだと言った。こうやって魔力の糸で私が操らなくても、彼女は一人で動いてまるで生きているように話すようになると」
アードルフは椅子に座らされ、眠ってるだけのように見える娘の頬を撫でながらもう片方の手を動かす。すると今までピクリとも動かなかった彼女の目が開き、ゆっくりと立ち上がる。
彼女を操っているアードルフはうっとりした表情で口からは笑い声が溢れだし、彼の顔が恐ろしく不気味なものに変わっていく光景を見ているのが恐くなりこの部屋から出ようと後ろを向く。
「どこへ行く」
愛菜の行動を読んでジルが部屋の出入り口を塞いでいた。逃げることが不可能という現実を受け入れられず呆然と彼を見上げていた愛菜は彼が持っている特徴的な本に気が付く。大きな宝石が埋め込まれた表紙の本。本当に最近同じものを見たばかりだった。
何かに気づいた愛菜はもう一度部屋の中央へ目をやる。彼女のいる中央から広がる円は確かに愛菜の記憶通り、カミル村でエステルが別人になったあの時のものと同じ方陣だった。
「その本……」
「お前はここで見ていろ」
愛菜の隣まで進んだジルは人形を愛でるアードルフにこちらに下がるように促す。あっさり言うことを聞いた彼はジルとは反対の愛菜の隣へと移動し、大丈夫だと言って愛菜の肩を抱く。
見上げた先にいるジルは愛菜には聞き取りが出来ない長い言葉を口にしていた。言葉が早くなるにつれて部屋の中が青白く光り始める。人形を囲むように描かれた方陣とその周りに大量に積まれた宝石達だった。
「降りるぞ」
ジルの言葉と同時に、人形の目が鈴鹿に開いた。人間には不可能な繊細な動きの瞬きをしてみせた後、人形は愛菜を見て口を開く。
口元は全く動くことはないのに声だけが聞こえてくる。異様な光景のはずなのに喋る彼女はとても綺麗だと愛菜は思った。
「やっとお前と話が出来きるな」
「わ、わたし?」
「おい、母上への口の利き方には気をつけろ」
第一声、自分に話を振られた事に愛菜は自らを指差しながらキョトンとした声で答えた。するとすぐに口の利き方が悪いとジルに頭を掴まれ悲鳴を上げる。母上と呼ばれた彼女はそのやり取りが見苦しいとジルを叱咤し愛菜から離れるよう命令した。
「すまなんだな。こいつは昔から短気でな。今度は殺さないように躾けておく」
彼女の後ろにまわっておとなしくしているジルをみるが、その言葉に対してなんの反応もしていない。今まで暴力的な行動から嘘のような静けさと、彼女の意味深な「今度は殺さないように」の言葉が不気味すぎる。
愛菜はもの言いたげな表情をすると彼女はわかっていると笑ってみせる。その表情は人形とは思えないくらい自然な微笑みだった。
「何から聞きたい?お前が何でここにいるのか?私やこの男は何者か?それともあの少年の居場所か?」
「あの少年?」
「お前は私がこの世界に呼んだのだが、予定と違うところに出てきてしまって探すのに苦労したぞ」
「なんで私は貴女に呼ばれたの」
「一から説明するのも面倒だな……あの少年にあったら思い出すだろう。ちゃんと会わせるから今は我々に大人しく従ってもらおうか」
「だから!あの少年って誰よ!!」
笑った表情のまま人形であるはずの彼女が立ち上がった。愛菜の側でその様子を見たアードルフは凄いと声を漏らしている。
何もしていないのにどうやって動かしているのだという言葉など我関せず、まっすぐ愛菜の正面に立ち、愛菜の顔を軽く触れた後、顎を持ち上げる。顔を触れている指も人と同じ柔らかさだが、生命を感じないとても冷たい感触だった。とても人間的な中にも明らかに生きている人間とは違うものを感じさせる。
愛菜は彼女を震えながら睨みつける。
「またあの男にろくでもない事を吹き込まれたのだな」
にこにこしていた彼女の顔が曇り、盛大なため息を付いて愛菜から目を反らした。
「……なんなの、さっきから偉そうに」
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