meria 二章 - 1

自分を呼ぶ声で不思議な夢から目を覚ました愛菜。
いつの間にか眠っていたことに気が付き、重たい両目をこする。
無理やり起こした事を詫びるエクセルの声で呼ばれていたのは夢ではなくて現実だったのかと納得する。

「君に真面目な話があるのだが、良いかね」
「真面目な話?」

目下どうにかしなければいけない問題。今後、身元を証明できない愛菜をどうやって次の市街地へ連れていくか。
もうすぐ一晩泊まる予定の港街へ到着する頃になり、エクセルは決断をしなければいけない状況となった。

「花嫁候補二号でいいんじゃねーの」

身も蓋もないセットの提案にエクセルは深い溜息をついて首を振る。

「仮に港でソレが通用したとしても城では通用せん。それで港の検問を通った事を指摘されたら言い逃れできん」

そう言って唸りながら腕を組み直す。
側で見ていた愛菜がごめんなさいと声を漏らし、馬車の中の空気が一層に重くなった。だが、エクセルは愛菜の言葉に何も言わず、ずっと俯いたまま考え続ける姿勢をとり続けている。
そこにセットが素朴な疑問をエクセルに投げてみた。

「あんたそいつの事気に入ってんじゃねーの?」
「うん?」

その質問に否定もせず、うっすら笑うエクセルの視線がちらりと愛菜を捉える。
目があった瞬間、妙に恥ずかしくなった愛菜は急いで彼から顔を反らした。顔は真っ赤になっていた。

「……そういう事にしねーの?」

どういう事かは具体的には言われなかったが、言わんとしていることが分かってしまったクラエスは驚きのあまり自分の息を吸いそこねて盛大に咽だした。
当の愛菜はその質問の意味をよく分かってないのだが、分からないなりにどんな答えが返ってくるのか気になって彼の横顔を見つめた。

「私も純血主義者なんだよねぇ」

頬杖をつきながら、渋々と答えたエクセルの言葉に正面に居たセットとクラエスが不快感を全面に主張する顔を見せた。
エクセルは居心地悪そうに彼らから馬車の外へと目を逸らす。

「あ、あの……」

愛菜が震えた声でエクセルを呼んだ為、車内へ向き直り愛菜へ下世話な話をしてすまないと詫びを入れた後、どうしたのかと問いかける。
愛菜は今更言っていいのか迷い、視線が泳ぐ。今にも泣き出しそうな顔をしてエクセルを見たり反らしたりをしながら、やっと声に出した。

「純血主義者って何ですか?」

しんとする馬車の中で暫く車輪の音だけしかしなくなる時間が流れている。
愛菜は自分が恥ずかしいレベルで何も知らない事を改めて理解させられ震えていた。その今にも泣きそうな姿にうろたえたクラエスが急いでフォローに入った。

「アイナ、気にす――」

愛菜を元気づけようとしたクラエスの言葉は盛大な笑い声によってかき消された。見ればエクセルが腹を抱えて笑っているのだ。
お世辞にも明るい印象ひとつない陰湿な彼からは想像もできないくらいの盛大な笑いに、連れのセットも口を開けて驚きを隠せないでいる様子だった。

「おい……どうした!?」
「分からないか。分からないか!あっはははは!!」
「ちょっ、笑いすぎだろ!」

笑いすぎて溢れる涙を拭き取るエクセルにクラエスが堪らず怒鳴りつける。するとまだ完全に止まっていない様子だがエクセルは状況を理解し、愛菜の両手を強く握りしめる。笑顔で細くなった両目がまっすぐ愛菜を見つめ、次第に彼の顔が近づいてくる。

「やっぱり好きだよ……」

今にも顔が触れそうな距離になり、堪らず愛菜はクラエスに助けを求める。
顔を押さえつけ、離れるよう要求しながら首をひねる。笑ったり悲鳴を上げたり忙しい奴だというオチになった。

「で、結局どうするんだよ。着いたぞ」
「うん、決めた」
「決めたって、何を」

馬車が止まったため時間切れが来てしまった事を理解したセットからの質問。だがエクセルは真面目に答えることなく、愛菜を見てニヤリと笑ってみせる。
その表情から愛菜も含め全員がまさかと嫌な予感を感じた。
馬車を運転する御者が覗き窓から外の状況をエクセルに報告する。その真面目な対応に「どうせまたろくな事言わないだろう」と言いたげな顔をする他の奴らとは大違いだとエクセルは心の中でぼやいた。

「それにしても長いな。賑やかな街な分普段から厳しめな検問だったが、今回は少々異常な気がするのだが」

座席に膝を立て、狭い覗き窓に顔を突っ込む形で外の様子を見ながら、なかなか進まない馬車に悪態を付くエクセル。自分の仕事が遅れることもそうだが、何より今気がかりなのは意識を失ったままのエステルの容体だ。
出来ることなら早く寝台に寝かせてやりたいと思うのだが、状況はそうも行かない様子。諦めた表情で馬車内で座り直し、もう片方の座席に寝かせているエステルを見て辛そうに表情をしかめる。
側に寄り彼女の表情をよく見る。顔色は青白く生気があまり感じられない。かろうじてなんとか踏ん張ってるかのようなか細い息が余計に胸を締め付けてくる。

「あの、閣下」

覗き窓から不安そうな声と一緒に外を見るように手で外を指差す御者の手が見え、エクセルはもう一度外へ顔を出す。
指差した先には衛兵の姿をした二人の男が立っていた。何やら想定外の出来事に戸惑った様子の一般兵の若い男。そして彼より一歩前に立つのは薄い布で目隠しをした妙な出で立ちの衛兵だった。
薄い口元から繊細な容姿が薄い布に隠れていても感じることが出来き、色素の薄い黄緑色の細い瞳が布越しにじっとエクセルを捉えている。
衛兵士としては少々線が細すぎるような印象もあるが、一見では分からない実力があるのだろう。胸や肩を飾る装飾品やなどから隊長格の人間である事を理解したエクセルは、真顔のまま面倒くさい事になったと心中で舌打ちをする。

「お初にお目にかかります。エルメルト公爵閣下」
「その名前で呼ばれるのは嫌いなのだが」

自身の家の名前を呼ばれた瞬間、エクセルの表情が禍々しいものに変わる。
声色から殺気を感じた若い衛兵と御者が緊張から顔から脂汗をにじませているが、殺気をぶつけられている当の本人は目隠しのせいで表情が見えない上に、声は随分と涼しげだった。

「これは、失礼致しました。私、この街の衛兵を指揮するスコル=オリベルトと申します」
「それで、その衛兵隊長殿が私に何ようかね」

深々とお辞儀をする男に対し、エクセルは珍しく嫌悪感を露わにした声でつっけんどんな態度を返す。
嫌いな家の名前で呼ばれたからというのもあるが、エクセルはこの衛兵隊長から妙に強い魔力を感じ、危険な存在であると判断した。強い魔力を持つ人間は様々な魔術の心得がある場合が多い。自分のように言葉巧みに仕掛けてくる術者もいる為、同業者は基本信用出来ない。

「お急ぎの任務の最中と聞き、少しでもお手伝い出来ればと思い参りました。まずは衛兵関係者用の通路へ迂回していただき、別室にてお話したい事がございます」
「……それはこの妙に厳しい検問と何か関係あるのかね」

スコルと名乗った衛兵隊長は何も答えず、薄い布越しにまっすぐエクセルを見る。否定はしないと捉えていいようだ。

「解った。こちらも一つ頼みたいことがあるのだが」
「何なりと」
「具合の悪い者が居てね。すまないが先に医務室を借りて介抱したいのだが」
「わかりました。君、先に行って医務室の用意を」

連れの若い兵へ指示をした後、スコルは迂回路へ案内すると言って御者と入れ替わりに席へ着く。代わりに席から追い出され釈然としない表情をした御者が乗り込んできた。
目的地到着までの時間、折角全員顔を合わせたということで、挨拶がてら軽い自己紹介を改めてすることになった。まずは愛菜とクラエス達には接点が少なかった御者からだ。なんでもセットと同じ所属の同僚らしく、エクセルとは所属は違うが仕事をよく貰っている間柄だそうだ。

「ふぅん、兵隊さんにも部署とかあるんですね」
「そうだよ~。僕たちは街やお城を警護する衛兵とは違って、戦闘特化の騎士団所属なんだ。まぁ今平和だから、やってるのは軍事演習とか訓練ばっかりなんだよね~」

愛菜の疑問に妙に気の抜けた喋りで答える御者。運転もせず、気を張らなくて良くなった為なのだろうが、彼に矢と殺気を向けられた事のあるクラエスはあまりの変わりように呆れている様子だった。

「あ、でも閣下とウチの大将はウマが合わないんで、こうやって仕事もらってんのは内緒なんだけどね」
「リスト君、部外者に城の内情を話さないでくれないかね」
「あはぁ、怒られた」

どうも口が軽いらしい。エクセルは彼の名前を一段低い声で呼び、自己紹介を無理やり止める。
後ろを気にするように目線を動かすエクセルから御者も何か察したようで、ソレ以上は何も言わず「よろしく」とだけ二人に言って笑顔を見せた。
エクセルは未だ緊張感のある面持ちで愛菜とクラエスを交互に見ながら、あまりこの街で軽率な行動はしないほうが良いと忠告をした。これからどんどん暗くなる時間で、特に愛菜には一人で歩かず、自分の側を離れないようにと念を押すくらいだ。

「なんだよ急に、子供扱いしやがって」
「詳しくは後で話すが、この街は洒落にならないのだよ」
「一見は賑やかな港街なんだけどねぇ。そういう華やかさには裏が有るって事だね~」

ニコニコと笑う御者が補足して話してくれた内容は、ここは外国からの物流で大きくなった街らしく商業が盛んらしい。特にこの街の現領主はとてもやり手の商人らしく彼の功績によって街が発展したと言っても過言ではない。ということなのだが。

「やり方がねぇ……」
「俺、あんたみたいなのがあーいうの買うんだと思ってた」
「減俸すんぞ」
「まぁまぁ、不謹慎かもしれませんが需要があるって事ですよねぇ」

セットの何気ない一言がそうとう頭にくる内容だったようでエクセルは彼の首根っこ掴んで珍しく荒れている。
そう言ってエクセルを止める御者は意味ありげな視線を愛菜に向けた。その言葉と視線が何を意味しているのか愛菜には全く理解できず、ただ首を傾げる。

「その変態が保護者じゃ不安だろうから、なんかあったら俺に言えよアイナ」
「うん、ありがとうクラエス」

否定せず笑顔で返事を返す愛菜にショックを隠せないエクセルが口を何度も開閉している。
普通は相手にもされないんだよとセットに冷静なツッコミをされ、あえなく死亡。座った状態で頭を垂れてピクリとも動かなくなってしまった。
時々小さな声で何かつぶやいているが全員無視してそれぞれの会話を楽しんでいる。

「おまたせいたしました。どうぞお降りください」

馬車が停車してすぐ外の御者席からスコルの声が聞こえ、全員が顔を見合わせる。
自分が先に出ると無言で御者が頷き、扉を開けると担架を持った救護兵と思われる衛兵が三人待機していた。

「極度の魔力不足による昏睡状態だ。癒術は効かないから魔力の自然治癒を促す薬を調合して飲ませてやってくれ」
「はっ、かしこまりました」
「リスト君はクラエス君を連れて医務室に向かってくれたまえ」
「御意。じゃぁ、行こうか」

御者に続いて降りたエクセルは救護兵の一人に状況を説明し治療に関する指示を出す。相手の兵士共に無駄のないやり取りでテキパキとエステルを運んで去っていく様子を愛菜は呆然と見送る。
他の兵士達が緊張した面持ちで命令を聞く様子から、隣に立っているエクセルが想像以上に凄い人間なのだということも理解できた。
馬車内の持ち物検査の結果が出るまでの待ち時間、暇を持て余した愛菜は珍しい物を見るような目で彼を見上げていると、その視線にエクセルが気付いた。愛菜は視線を逸らしながらも何も無い時間に退屈してかエクセルになんとなく話を振ってみる。

「エクセルさんって偉い人なんですか」
「ん~?別にそんなに偉くはないよ。私も上の人には怒られてばかりだしねぇ」

そう言って遠い目をするエクセル。
こんな表情、そういえば仕事帰りの父親が良くしていたと愛菜はなんとなく察した。大変ですねと当り障りのない感想を言った後、変なこと聞いて申し訳ないと謝った。
どうして謝るのかと訊かれ、愛菜は戸惑い、顔を上げる。

「私は君に興味を持ってもらえて嬉しいのだがね」
「そ、そんなつもりじゃ……」

じっと目を見つめ距離を詰めてくるエクセルに対し、愛菜は真っ赤な顔をしながら距離が近いと両手でエクセルを引き剥がそうとする。
何かにつけてそういう方向へ話を持っていくエクセルの言動は恥ずかしくあまり好きじゃないと訴える。が、彼はその反応も楽しいでいるのか、笑いながら愛菜の肩を抱き寄せる。異常に近い距離に小さな悲鳴を上げる愛菜の耳元でエクセルがくすくすと笑い耳打ちをする。

「今日から君は私の弟子になるわけだし、お互い遠慮する必要はないだろう」
「でし?」

彼の言っていることが理解できず、愛菜は間の抜けた声で彼の言葉を復唱した。
視線の先にいるエクセルはずっといつも通りのにやけた顔のままそれ以上は何も言わない。愛菜は助けを求めるように側で腕を組んで壁にもたれかかっているセットへと視線を向ける。セットはため息を付きならがらもいいかげんにしろとエクセルから愛菜を剥がして彼の発言へ突っ込みを入れる。

「あのなぁふつーの師弟がこんなベタベタするわけ無いだろう」
「私の教育方針に何か問題でもあるというのかね!?」

めんどくせぇ。
セットはエクセルのノリノリな返しに対して顔を盛大に歪めてそう主張した。
そしてその顔を見たエクセルは露骨に飽きたのか深い溜息をついて椅子に座り直した。その様子を見てもう大丈夫だと言って愛菜をその横に座らせる。

「何か忘れている気がする」
「私の事ではないですか?」

目の前に目隠しをしたスコルがしゃがんで顔を覗いてきた為、愛菜が悲鳴を上げる。正確には隣りにいたエクセルに対して喋っていたのだろうがエクセル自身はなんの反応も示さないため愛菜に対して笑ってみせた。

「おまたせいたしました。もうすぐ手続きも完了しますよ」
「で、話は?」
「いえ、大した事ではありませんが……」

先ほどのふざけたエクセルからは程遠いくらい冷たい表情に声。側に居たはずのセットが気がつけばスコルの後ろへ移動をしていたりという状況から張り詰めた空気を感じ取り、愛菜はエクセルの袖を掴んで二人のやり取りを見守る。

「エクセル殿には何も詮索はせずに明日予定通り、街を出て欲しいだけでございます」
「なんだそれ」

セットは鼻で笑う。特にこの街はただの通り道で、来ようと思って来ているわけでもない。明日になって出て行くのは当たり前だと言う。
だが、わざわざソレを言ってくるという事は知られたくない何かがこの街で起こっているのであろう。

「私も特に何も詮索しません」

そう言ってスコルの顔が愛菜の方へと向く。目隠しで見えないが、彼の隠れた両目はまっすぐ愛菜へ向けられているのがわかる。大きな街の衛兵を指揮している男が、身元不明な存在である彼女に気がついていない訳もない。そう言いたいのだろう。
身元のよくわからない娘を連れて居ることは確かに自身の立場上褒められた行動ではないとエクセルも自覚はしている。
が、まさかそれを使って脅されるとは……。

(想定外……)

エクセルは驚きを通り越して呆れてどんな言葉を返していいか迷っていた。
意味深な視線からスコルの言っていることが自分が原因の理不尽な要求である事を理解した愛菜は不安そうな顔でエクセルを見る。彼の袖を掴んだまま暫く考えた後、愛菜はスコルに対し、消えそうな小さな声で抗議をした。

「あの、私はエクセルさんの弟子で、そんな隠すようなもの……ないです」

エクセルも含め、そこに居た全員がぎょっと愛菜を見下ろす。
顔を上げた愛菜に睨まれたスコルの口端がかすかに上がった。意地の悪い笑みを浮かべているのが目隠しの上からもよく分かる。

「証拠はあるのかな、お嬢さん」
「……」

急に凄みのある声で返され、愛菜は困った様子で黙る。じわりと目がにじんでいるが目はまっすぐスコルを見ている。
ここで目を逸らしたら余計に疑われると思い必死に彼を睨見続ける。

「なら、君が立ち会うかね?スコル君」
「は!?」
「時間がなくてまだ師弟の契約を結んでいなかったが、君立ち会いのもと今ここでその契約を結ぶ」

涙をこらえ震えていた愛菜を抱き寄せ、あやすように愛菜の頭を数回撫でるエクセル。
顔をあげると先ほどの言葉はスコルではなく愛菜を見て話していたことに気がつく。愛菜をまっすぐ見つめた後、エクセルは二人に対して問いかける。

「それでいいかねと聞いているのだよ」

粘り気のある音を発しながらゆっくり開いていくエクセルの額の眼を見たスコルが小さな悲鳴を上げる。重たい動作で何度か瞬きをした後、真っ赤なその眼がスコルを捉えた。
額の眼を見てから蛇に睨まれた蛙のように恐怖で動けなくなった彼を鼻で笑い、何事もなかったように額の眼を閉じた。

「エクセルさん」
「その顔は『夜伽でもなんでもしてくれる』決心がついたのかな」
「何でそうなる……そもそもトギってなんなんですか!?」
「ぷっ」

真面目な表情でエクセルを呼んで返ってきたのはカミル村で自分が咄嗟にエクセルに言ったその台詞だった。
愛菜は焦って何をすればいいのか分からずクラエスにした質問まんまの台詞をエクセルに返す。エクセルは吹き出した後、口を抑えて必死に笑いを堪える。
真剣だった愛菜はあまりにもひどい反応に少しイラッとした。

「だぁかぁらぁ、そもそも師弟関係で伽なんて普通しねーから」
「セット君は黙っていたまえ」
「わかりました!やります!弟子になってトギでも何でもやりますよ!」

愛菜はもうやけくそになっていた。

「その代わり、エクセルさんも私のお願いきいてもらいますからねっ!」
「アイナ嬢と夜伽ができるなら構わないよ」
「言いましたね!じゃぁ指切りして約束してもらいますからねっ!」

怒りで顔を真赤にした愛菜がおもむろにエクセルの手を掴み自分の小指と彼の小指を絡めた。そして乱暴に手を上下に振る愛菜に向かって何をしているのかと不思議そうにエクセルが尋ねる。
睨みながらも律儀に説明する愛菜の口調は表情と同様にまだまだ怒りが残っていた。

「私の世界で約束するときにするおまじないです」
「ほぉ、異国のまじないか」
「真面目にやってください!」

エクセルはじっと上下に揺れるお互いの手を見ながら意味深なつぶやきをする。

「ちゃんと私が帰れるように助けてくださいね!でないとトギしませんからね!」
「……ああ、約束するよ」

約束を守ると誓い笑ったエクセルを見て、愛菜はなんだか急に恥ずかしくなって顔を下へ向ける。一瞬手が止まった為どうかしたのかとエクセルに問われ、慌てて再び上下に振って愛菜は指切拳万と慣れ親しんだ歌い出す。
その儀式的な光景を目にして声を上げたのはスコルだった。何をしているのか解っているのかと怒鳴られたが、その言葉の意味は愛菜には分からず困惑した表情を彼に向けた。しかし、エクセルに気にせず続けるように言われ愛菜は最後を歌いきり、強く手を振り下ろし絡めた指を放した。
エクセルは自分の小指をまじまじと見た後に何やら嬉しそうに笑みをこぼす。その表情を見て妙に気恥ずかしくなり愛菜は顔を赤らめる。

「貴様、そんな軽々しく呪術師とまじないを交わしたのか」
「へ?じゅ、じゅじゅつ?」

何を言っているのか愛菜には理解できなかったが先ほどした指切りを呪いと言ったスコルの言葉に何やらやってはいけないことをしてしまったのではないかという不安が愛菜を襲った。
本当にこれでよかったのかと恐る恐る、見上げた先にいる彼はいつも通りのにやにやと笑みを浮かべながら声を荒げるスコルを黙って見ている。言いたいことを言い終わり、肩で息をするスコルに対しエクセルは静かに立ち上がりやれやれと両手を上げる。

「何を隠してるか知らんが、私も暇じゃないのでね。言われなくてもさっさと城に帰らせもらう」

ちょうど手続きを終えて荷物一式を運んできた衛兵から書類をもらい、手慣れた様子で署名をするエクセル。筆を走らせながら顔を合わせることなく、忘れていたと顔をあげる。

「今回の件は総司令へ報告させてもらう。だから、君も遠慮せず彼女の件を上に言いつければいい」

衛兵の持ってきた荷物の中から素早く自分の護身用鞭を手にし、振り向きざまにスコルの顔めがけて振り下ろす。鞭は顔面すれすれをかすり、彼の目隠し布を払い落とした。そして出てきたスコルの素顔を見たエクセルは一瞬顔を歪め、何やら期待が外れたといったすっきりしない表情で鞭を仕舞う。

「意味ありげに隠してるものだから、先祖帰りか何かかと思ったのだが……」

布で目隠しをしていたせいなのか、透き通るように白い目元が顕になり、それとは対照的な赤一筋の道がじわじわと額から鼻筋へと流れている。
彼の素顔は愛菜から見ても角が生えてるだけで、他は色白で線の細そうな極々普通の成人男性だった。だが、折角の綺麗に整った顔もエクセルの言動に対し彼の表情は嫌悪で歪みきっており、愛菜にはとても直視できるような状況ではなかった。

「貴様等のような化物と一緒にするな!!」

握り拳を作りぶるぶると震えるスコルの口から出た言葉が廊下に響き渡った後、急に襲ってきた静けさで冷静を取り戻したのか言った当の本人が顔色を変えてエクセルを見る。
冷たい目で彼を一瞥した後、エクセルは黙ったままスコルに背を向け愛菜を呼んだ。

「ど、どこ行くんですか」
「エステル嬢を迎えに行って宿へ向かおう。疲れただろう?」
「俺、超腹減ったわー」

先に歩き出す男二人を追って走りだした愛菜は去り際にちらりとスコルの様子を見る。思いつめた様な表情から失言に対し反省でもしているのだろうかと思いつつあまり刺激しないほうが良さそうだと判断した愛菜はそのまま彼の横を通り過ぎようとする。一瞬彼が手元に何か持っていたような気がしたが、前にいる二人との距離が離れていっている事に気づき立ち止まることなく更に勢いを付けてその場を去っていった。
三人が去ってからスコルとエクセル達の荷物を持ってきた衛兵一人だけが残り、その空気に耐えかねた衛兵がスコルの名前を呼んだ。だがスコルは一切返事をせず、手に持っていたソレを顔の前にかざすし目の据わった自分の顔が映した。
それは何の変哲もない鏡のように見えたが、彼が一言二言何か口にすると自分の顔が映っていた居たはずの鏡が水面の様に揺れ、廊下を歩く愛菜達の様子が映しだされる。その鏡を見ながらスコルは徐々に息が荒くし、口端を不気味に緩めた。

「アードルフの為だ。私はなんだってやってやるぞ」

鏡は更に接近したように愛菜を大きく映し出した。

「この女、使えそうだな」

鏡を揺らすと今度は街角に貼られている一枚のチラシが映しだされる。
内容は肩を大きく出したドレス姿の女性の姿絵と行方不明者続出の注意喚起の内容が書かれた捜索願いだ。

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