meria 二章 - 6

昨晩のアードルフの騒動に今朝の料理大量注文等など、宿には本当に騒がしくしてしまって申し訳ない。何度も何度も頭を下げるエクセルの背中をぼぅっとした顔で見ていた愛菜に横から気になるのかと声を掛けられる。
振り向くとソファの隣に座っていたエステルがにこにこした顔で何度も「気になる?気になる?」となんだか嬉しそうに聞いてくる。興奮した様子のエステルに引き気味で肯定とも否定とも取れない声を返した。

「エステルひょっとしてそうゆー話すきなの?」
「大好き!恋物語とかでは貴族と普通の女の子が恋に落ちるとか王道ストーリーだよね」
「そうだね、わ、私もそういうの好きだよ」
「本当!?だよね!」

愛菜も学校ではそういう少しファンタジー色のあるラブストーリー物を図書室で読み漁っていた。学校など説明がややこしい所は省いて同じような本を読んでいたと伝えると、エステルは凄く嬉しそうに跳ねた。
しかし、その恋物語と同じものを自身に重ねられると何か違うと戸惑う。意識してか少し顔を赤くしてもう一度エクセルを見ると今朝彼を起こしていた従業員の女性の両手を握って何か喋っている最中だった。明らかに口説いているのがわかるその様子に愛菜は呆れて目を反らした。

「いやぁ仲が良くて絵になるねぇ」

会計を終えて戻ってきたエクセルはそう言ってちらりと愛菜の様子を窺う。食堂での一件からずっと目を合わせてくれないため相当困った様子でため息を付いた。

「アイナ嬢、今日は君にお願いしたい事があるのだが……きいてくれるかね」

愛菜の目の前で膝を付き、同じ目線になって愛菜にそう告げたエクセル。声色からふざけた内容ではなく、むしろ真面目な事だということがわかった。
不貞腐れた顔のままだが体をエクセルに向けて話を聞く姿勢を見せた。

「今から私と一緒に街で衣服を揃えて着替えよう」
「え……い、嫌です!」

どうしてそこまで嫌がったのかは愛菜自身よくわからなかった。だが、エクセルの提案に言いようのない不安を感じ即座に拒否の言葉を言い放つ。愛菜の答えは予想していたのかエクセルは驚きもしないし、言うことを聞かない愛菜に対して苛立ちを見せたりすることもなかった。ただその冷静な表情が怖い。

「どうしたのかね」
「その……なんだか自分じゃなくなりそうで怖いというか」

迷子になったら、誘拐されたら、一人になったら、ずっとエステル達と一緒に暮らすことになったら。もし今の格好ではなくこの世界のものに身を包んで違和感なくこの世界で生活できるようになっていたらと考えると逆にそれが怖かった。この世界のものを受け入れると自分のいた世界を捨ててしまうような気がして愛菜は小さく震えた。

「帰る方法も忘れそうで」
「無理にずっと着るようには言わないよ。気分転換に試着くらいならどうかね」

必要な時は必ず来ると伝え、用意しておくだけでも違うからと服を選びに行くことを提案し続けるエクセル。
どうしても愛菜の姿は目立つ。彼女自身が言うように愛菜と認識するにはとてもわかりやすいのかもしれない、だがそれが今後は悪目立ちして問題につながるであろうことも予測できる。
例えば、物珍しいからと連れて行かれたり。余所者と判断され辛くあたられたり……。

「アイナ嬢」

両手を握って返事を待つエクセル。それを隣で見ていたエステルが顔を赤くしながら小さくきゃーと声を漏らす。
まるでプロポーズだというエステルの感想を聞いて愛菜は血相を変えてエクセルの手を振り払った。

「もう!わかりましたから恥ずかしい事はやめてください」
「恥ずかしい事をしているつもりはないのだが」
「エステルが勘違いしてるじゃないですか!」

そう言われてエクセルは隣にいたエステルを見つめた後、二人でこそこそと話し出した。わざとらしいと言うか距離が距離だけに当人にも聞こえてしまっているヒソヒソ話をしながらチラリと愛菜を見つめてくる。

「私としては勘違いでは無いと思いたいのだが、どうなのかね」
「勘違いでは無いですよ。多分押せばいけると思うんですけどね」

ちょっと!
二人を怒り気味に呼びつけると虫のようにパァーと逃げて行ってしまった。

「経験少なくてチョロそうだもんなぁ嬢ちゃん。だから目をつけられてんだろうけど」

唖然としていた愛菜に寄ってきたセットがトドメの一言を言い放った。
言い返せなくて悔しそうに睨む愛菜を気にすることなく、今日は自分と一緒に行動だと説明をした後、のんきによろしくと挨拶する始末。もう怒る気持ちも引っ込んでしまう。

「まぁ服の事は俺もよくわかんねーから完全に護衛用な。あのおっさん口ではふざけたこと言ってるようだけど、嬢ちゃん一人にするのは危ないって心配はしてたぜ」
「エクセルさんが?」
「そそ。何も考えてない訳じゃ無いみたいだし、まぁ物は試しじゃねーの」

まぁ知らんけど。あくび混じりに言った超無責任な台詞だが嘘も言っていない。
愛菜はその言葉を聞いて萎れた表情でエクセルの背中を見つめた後、しょうがないですねと呟いた。それをきいて本当にチョロいと思ったことは言わなかったセットだった。

「と、いうわけで二手に分かれて買出しだ。買うものはメモを渡すから確認をしてくれ」
「俺のナニコレ」
「クラエス君のはわかるだろう」

そう言ってクラエスが持っているメモを覗き込みながらエクセルは確認のためにとその内容を声に出して伝える。

「自分の武器の調達」
「いや、んなことは事見ればわかるんだよ。そうじゃなくて、なんで俺が武器買わなきゃいけないんだよって話!」

クラエスの意見を聞いてエクセルは頭を押さえながら深々とため息をついた。やれやれと嫌味な仕草を見せるだけで説明はしようとしない彼をしばらく見ていたが、一向に説明しようとせず嫌味が言葉に出始めたあたりで嫌々口を開く。

「すいません、教えてく……ださい」
「君は城に着いたら自分の事をどう説明する気かね」
「エステルの幼馴染」

エクセルは黙って首だけ横に振った。話にならない、とでも言っているかのようだった。
今度は嫌味な感じなどは一切なく冷静な態度でクラエスに一つ一つ今の状況を説明する。

「君の言いたい事もわかる。ただな、城に着いたら私のように話を聞いてもらえると思わない方がいい」
「けどよ、一方的に城に来いと言って一人で行くわけないだろう」
「その通り。田舎の小村とはいえ、それを治める長の娘だ。一人で行かせるほど安い存在でない事はこちらも承知している」
「じゃぁ……」
「剣でも持ち歩いて護衛だとかそれらしい事言っておけばいいのだよ」

わかったかねと最後にそう言われてクラエスは黙ってしまった。肩をあげて何か言いたそうにしているクラエスの袖を掴んだエステルは彼に向けてにこっり笑顔を向けた。

「頑張って守ってね、クラエス」
「エステル……いいのか」
「どうして?いつも守ってくれてたでしょ」

当然のように疑問を投げてきたためクラエスは面食らう。その後いつもの彼には似合わない小さな声で「お前がいいならそれでいい」とだけ呟いて顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。
エクセルも二人の関係にうすうす感づいていたが、ここまで親密そうなやり取りを不意打ちで見せつけられたエクセルは信じられない物を見るような目を二人に向けてあんぐり口を開けたまま固まってしまった。

「大変ですセットさん、閣下がアベックの輝かしい青春を見せつけられて死んでます」
「ソイツには的確かもしれんけど言葉の選択が古すぎる」

腕を組んだまま直立不動で動かないエクセルの襟を掴んで自分の組みへ連れ戻した後、先が思いやられると言ってセットは自分たちの買い物メモを開いた。愛菜もそのメモを見て買う物について予習を始める。
が、致命的な問題点があった。

「俺さぁ文字読めねーんだよね。嬢ちゃん読めるか?」
「へ!?」

渡された紙を真剣に見たが初めて見る文字の羅列だった。買い物メモを見ているではなく、未知の壁画でも見ているような気分でしばらく見つめていた愛菜は雰囲気だけでも感じ取れないかと頑張っていた。
読めない文字に愕然としている愛菜をみて申し訳ない気分になってきた。

「とりあえずわかってる服見に行くか」
「そ、そうですね!」

服を着替える事は乗り気ではないが、とりあえずこの微妙な空気からは脱出できるからと服屋に行く事を快く了承した。
さてと二人はまだ口を開けたまま硬直している肝心の指揮者を見てどうやって運ぼうかと悩んだ。

「良い加減に仕事しろ」
「エクセルさん、服着てあげますから服屋に案内してくださいよ〜」

そう言って愛菜はエクセルの手を取って買い出しへ出発しようと腕を引っ張った。すると開きっぱなしだった口が高速で閉じられ、見る見る顔色も戻ってツヤツヤした笑顔に変貌する。
隣で見ていたセットは「おえ……」と声に出して引いている事をさりげなく主張した。アベックの輝かしい青春よりも良い歳して女一人でここまで豹変するあんたの方が恐ろしい。
しばらく歩くと人通りの多い通りに入り、店のような建物も増えてきだした。この辺りを知らない愛菜はでも横目で見かける若い娘たちが入ったり出たりする店を見つけこの辺りがいいのではないかと提案をした後、待っていたまえと二人を残して店先で呼び込みをしている店員へと向かって歩いて行く。
はじめこそニコニコ笑って待っていた愛菜だったがエクセルがまっすぐ向かって言った店員を見て表情が曇る。愛菜とそう変わらない年頃の女の子で暫くは普通に会話をしているように見えたが、一言二言話した後にエクセルは彼女の手を取って明らかに口説きだしていた。
また始まったと慣れたもので、二人は何も言わず店に向かい通りすぎると同時に女の子への謝罪とナンパ男の回収をして店に入った。

「いらっしゃーい」

店先は愛菜から見ると西洋風の店構えでお洒落に感じたが店内は男女差のない服が所狭しと並んでいて庶民的な雰囲気だ。
それに拍車をかけるように店主と思われる男が会計場でやる気のなさそうな声をかけてきた。

「まあ変に洒落たもの着てたらどこの貴族だって話になるしな」
「見ただけじゃどんな服がいいのかわからないんですけど」
「だから店先のお嬢さんに選んでもらおうと頼んでいたのに!」

心外だというエクセルの言葉を疑いの目で見る二人。もう一度頼み込んで選んでもらうことになった後も信用できないからと愛菜は冷たい態度に戻りエクセルから距離を取って服の候補が決まるのを待った。エクセルはあまりにも酷い仕打ちだと泣きそうになりながら服を選んでくれている女の子に「若い女の子の気持ちがわからない」と愚痴を漏らしている。

「娘様ですか?」

店の娘からの質問に硬直するエクセル。その表情を見て言ってはいけない事を言ってしまったと理解した娘は真っ青な顔でエクセルと一緒にこの世の終わりのような顔で固まってしまう。

「というわけで、いくつか選んで貰ったから来て見てくれたまえ」

そう言われて渡されたのはシンプルなワンピース達。どれもこれも装飾が少なく申し訳程度にフリルや小さなリボンが付いている。着ては見て見たがいまいちしっくりこない。ピンクや水色と女の子にらしい色だが鮮やかさはなくうっすらした色が付いているだけだ。
愛菜は鏡に映った渋い表情の自分を見つめて首を傾げた。

「なんか自分じゃないみたい……」

そう呟いたと同時に右手からちりっと焼けるような痛みがあり、恐る恐る痛む小指の部分を見ると第一関節あたりに痣のような赤黒い滲みができていた。関節を一周するように円を描いている。

「なんだろこれ。どっかぶつけたのかな」

大した傷ではなかったためあまり気にした様子もなく呟きながら試着室から出ると人とぶつかる。そこで初めてカーテンの目の前にエクセルが立っていたことに気がつき全身の何かがが逆立つのを感じた。
着替えを間近で待たれていた事実に信じられないものを見るように彼の顔を見たが、予想外の彼の表情に困惑した。厳しくしかめっ面で暑いわけでもないのに首付近に汗の粒が見える。何か堪えているようにも見える様子だった。

「エクセルさん……?」
「アイナ嬢」

凄く真剣な表情で凄まれ何かあったのかと緊張する。
そして一着の服を差し出された。

「ぜひっ!これを!着てくれないだろうか!」
「こ、これは……」
「そちらは帝国風のワンピースでございます。胸元から上は少し透け感のある布で直接な露出は抑えて可愛らしさを演出しつつ、肩紐を詰襟で固定する色っぽさも取り入れた作りになっています」
「帝国は嫌いだが帝国衣装の雰囲気は凄く好みだ。これを着たアイナ嬢を是非見てみたい」
「は、はぁ……」

鼻息荒く渡されたのはワンピースと、鼻息荒く意気投合するエクセルと店の娘とを見比べ途方にくれる。楽しそうに話すエクセルの表情を見てなんだかもやっとした言いようのない感覚が胸に宿るのを感じ取る。それがなんなのか理解できず、首を傾げながら試着室に戻って服に袖を通す。
鏡を見ながら愛菜は確かに可愛いと思った。しかし問題点が一つあり、試着室のカーテンから顔だけ出してエクセルを呼んだ。

「あの、エクセルさんこれどうやって固定するんですか」
「ん?確か詰襟の後ろがそうだったかな。おいで、留めてあげよう」

前が落ちないように胸元で腕を抱えるように服を抑えながら試着室を出て、エクセルに背を見せる。エクセルはごく自然に詰襟を掴み左右の金具を引っ掛ける。
よく考えると少しはだけた服と背を見せて無防備な自身の状況に気がつき、愛菜は緊張して体をどんどん小さく丸めていく。

「凄いお似合いですね!」
「そう、ですか?」

側にいた店の娘が両手を合わせて絶賛の声をあげた。
もう一度愛菜は自身の姿を鏡に写した後、恥ずかしそうに視線をエクセルに向ける。目が合った彼はしばらく何も言わず黙ってこちらを見続けた後、意を決したように店の娘にこれを買うと伝え会計を早々に済ませだした。
愛菜は慌てて会計をしているエクセルに駆け寄り、自分の意見は聞かないのかと抗議する。

「そうは言って実は気に入っているのだろう。呪術の反応も少ないようだしそれが良い」
「呪術の反応?」
「君は気にしなくても良いことだよ」

優しい声に反して、その言葉は何やら突き放すような冷たさを感じるものだった。
手渡した硬貨とは別のものがエクセルの元に返される様子を見て会計が成立してしまったことを理解した愛菜は諦めたように掴んでいたエクセルの袖から手を放し、とぼとぼと店の外に出る。やっと出てきたとくたびれた様子のセットに声をかけられ、ようやく終わったことを苦笑まじりに伝える。

(何だろう、さっきから右手が痛むような気がする)

特に小指が……。
愛菜はじっと右手を見つめた後、検問所で衛兵隊長のスコルが言っていた「呪術師」という言葉を思い出していた。

「私、ひょっとして凄いまずいことしちゃったのかな」

店の窓に映ったいつもと違う服装の自分を眺め、不安そうに腕を伸ばし痛む小指に目をやる。先ほどよりもわずかながら滲みのようなものが広がっているような気がした。
店から出てきたエクセルにその奇妙な立ち姿を見られ、慌てて背中を向ける。側にいたセットはまだ喧嘩でもしているのだと二人のギクシャクした空気をさほど気にしていない様子で次はどうするのかエクセルに聞いてくる。

「次は魔術道具の補充だな」

そう言ってエクセルに連れられてきたのはかなり怪しく陰気な店構えの商店だった。店自体も少し賑やかな街から少し離れた住宅に紛れて立っていて幽霊屋敷なのかと思ってしまうほどだった。
店の扉を開けると店主の声と同時に薬品の匂いが鼻をくすぐる。キョロキョロと店を三回ほど見回したが、並んでいるものが何なのかさっぱり理解できない。愛菜があっけにとられ口を開けて店を眺めていると上からくすくすと笑い声が聞こえた為、むっと顔を上げて説明を要求した。

「ここは魔術師が使う道具を専門に扱っている店なんだよ」
「魔術に使う道具?」
「んーわかりやすいところだと薬草とか魔石とかかねぇ」

そう言ってエクセルはカウンターで店主に何か言って小さな青い宝石を一粒もらい、店の道具を借りてそれをこな状にすりつぶした。出来た粉を自分の手袋をはめた指に擦り付けた後、少し離れてみるようにと愛菜に注意する。
人差し指を親指をこすり、パチンと鳴らすと音と一緒に小さな炎が生まれた。

「ふわぁっ!」
「火の術を使うときは強い衝撃とか摩擦とか火の出来る環境を用意しないとそもそも術は使えない。こうやって道具を使って術を簡単にどこでも使えるようにしたりするのが魔術道具なのだよ」

そう説明した後、もう一度指を鳴らして蝋燭ほどの小さな火を見せる。
暖かい小さな炎を見つめながら愛菜は凄いと何度も声をもらしてはしゃいだ。

「エクセルさん、凄い!」
「そ、そうかね?」

愛菜の言葉でいうところの魔法を間近に目をキラキラ輝かせて大げさな程はしゃぐ彼女の姿を見て、まんざらでもなさそうにエクセルの顔がだらしなくニヤついていく。これは調子に乗ってあれこれ語り出すだろう。危険を察知したセットが止めに入る。変に褒めると調子乗って話が長くなると愛菜に耳打ちし、少し店を回ってて欲しいとエクセルから引き剥がされてしまった。
少し残念だがセットの言うことにも一理あり、愛菜は大人しく店の中を大人しく見て回ることにした。
愛菜も離れて落ち着いたエクセルは店主と話をしながら必要な道具をカウンターに揃えていく。小瓶に入った薬品、緑や茶色ヘンテコな色の薬草、青い宝石が沢山入っている小袋。他には小難しい文字が彫られた金属矢、魔術道具ではないが傷を治したりする薬の数々と揃えたら結構な数になった。

「天然魔石を探しているのだが」
「旦那、申し訳ないが天然は在庫がねぇなぁ。この間の誘拐事件で物がなっかなか入ってこないんだ。街に入ってきてもメイモン家のような貴族商家にとられちまうし、値段も高騰中。まぁ旦那くらいなら値の問題じゃないのかもしれれんがウチじゃ暫くは無理だな」
「ふむ……」

昨晩の即答具合からアードルフから仕入れたほうが無難なことを理解し肩を下ろした。一番手に入れたかった品は難しいことがわかり残念だと今日の支払いを渡しながら店主に伝える。
金貨の数を数え終わるのを待ちながらぼんやり店主と世間話をしていると店の扉が開き、客が一名入ってきた。

「いらっしゃ……」

最後の言葉が聞き取れなくなるほど店主は客の出で立ちに戸惑った。それは一緒にいたエクセルとセットも同様だ。
入ってきた客は目当てのものがあるのか店を左右見渡した後、店の奥へまっすぐ進んで行った。

「あれ教会じゃん」
「珍しいな教会の僧侶が一人で魔術店とは」
「ああ、一月ぐらいまえからたまに来るようになったんですよ。いつもは人口魔石を買っていくだけなんだけど……」

教会という宗教団体に身を置く僧侶の格好をした男をセットは物珍しそうに「教会、教会」と指す。
そもそも教会はこの世界の神とされる女神メリアを信仰する団体であり、結構お堅い理念を掲げている真面目な宗教であった。ただここ数十年は没落仕掛けの貴族に目をつけ彼らがが持っている貴重な文献や敷地を買い漁ったりと最近きな臭い動きが有名である。エクセル自身も自宅で随分な物言いで家財を要求された事があり良い印象を持ってはいなかった。関わらないに限る。
会計も済んだと伝えられたころだった。愛菜が飽きずに店の見学をしていると外套を目深くかぶったの男が進行を邪魔するように立ち、距離を詰めて来きている事に気がついた。男の不穏な空気に戸惑った愛菜が男に声をかける。

「あ、あの……」
「見つからないと思えば何だその格好は」
「え!?あのっ誰ですか」

逃げられないほどの距離になりようやく男が開いた口が言った言葉に愛菜は動揺した。

「探したぞ、角無しの娘」

そう言って男は愛菜の手を掴み腕を軽くひねりながら自身の元へ引きずり込もうとしてきた。掴まれた手首の激痛と呼ばれた「角無し」の言葉に混乱し悲鳴を上げる。愛菜が大きな声を上げたため男は舌打ちをして愛菜の腹部に拳を叩き込んだ。愛菜の軽い体が衝撃で宙を浮いた後、店の棚に激突し床に転がり動かなくなってしまう。

「アイナ!」

男に殴られる瞬間を見て上げたエクセルの声と同時にセットが前に出る。
拳を男の顔めがけ振り上げたセットの目に一瞬男の細長い鋭い瞳がこちらと合致した。その次の瞬間、男はセットに背を向けた。予想外の行動に声を上げたと同時に左側から太い何かで殴られるような衝撃を受け、そのまま床に叩き落とされる。

「何だ……これ」

痛みで呻いていたセットが見たのは男の外套から伸びている緑色の何かだ。よく見るとうねうねと動くそれには爬虫類によく似た鱗が付いていてまるで男の尻辺りから生えているようにも見えた。
外套の男はハンっと鼻を鳴らしてセットの腹に蹴りを入れた後、後ろで気を失っている愛菜の髪を掴んで無理やり起こそうする。

「うぁっ……」
「こんな事で死ぬなよ。お前には働いてもらわねばならんのだからな」

愛菜の髪を掴んだ手にめがけて一本矢が放たれた。が、見当違いの壁に突き刺さる。
男が向いた先には店に飾ってあったボウガンを拝借したエクセルが矢の装填と弦を引っ掛けるため足で弓を固定している最中だった。その姿があまりにも滑稽だったため男は堪えきれず笑い声を上げる。

「無理をするな。エクセル=エルメルト」
「貴様!誰の許可を得てこの国いる」

珍しく激しく荒げるエクセルの言動から顔見知りかと尋ねながら起き上がるセットの言葉に、エクセルは思い出したくもないと吐き捨てる。

「その娘を放せ!」
「良いのか?誰の許可も得ずお前の国をうろうろしている怪しい娘だぞ」

次を放とうと引き金を指を置いた矢先だった。男は愛菜の首元を掴み自身の盾にするようにエクセルに突き出す。

「あー!あー!女盾にするとかクソ野郎だな」
「先程からうるさい男だ。分を弁えろよ無礼者が」

外野で野次を飛ばすセットに男は汚らわしい物のようにセットにそう言い放った。その言葉から貴族的な思想の持ち主であることがわかり、セットは一瞬で男が自身の嫌いな人種であると理解する。この高慢ちきな物言いの男を殴り付けたいが、エクセルの指示は待機である。手を出すなと視線でも睨まれイライラが頂点に達する。

「ふっざけんなよジジイ!ここまでされてなんで黙ってんだよ」
「喧しい!どう考えても状況が不利なんだよこの男は……」

そう言って彼を見た瞬間、血の気が引く。男の胸元にあった紅く輝く魔石と連動し、足元に赤い方陣が生まれる。外套の隙間から男の口元が大きく息を吸い込む様子が見え、次に来る恐ろしい光景が脳裏を過る。

「退避!!」

セットは命令と同時にエクセルを脇に抱え、外に向かって店の窓に飛び込んだ。
背後からの爆発音と衝撃でうまく着地できず二人とも地面を転がった後、しかめっ面で痛む身体を起こす。顔を先ほどまで居た魔術店から火が出ていて勢いよく燃えている。店の屋根から教会の外套を着た男が近くの家の屋根に飛び移るのを確認し、二人は無言で肩を下ろした。

「アイナ嬢……」

男が小脇に抱えるぐったりとした愛菜の姿を見て呆然と屋根を見つめたまま呟くエクセル。その言葉をかき消すように野太い男達の声がいくつも聞こえて来たため今度は何だと二人はうんざりした表情で顔を見合わせる。
赤い軍服を着た複数の集団が現れ、一つの隊は魔術店の消火作業を始め、またもう一つの隊は屋根の上を飛び移って住宅街から賑やかな海辺の商店街へ向かう教会の男を追いかけ始めた。
この騒ぎで衛兵が集まってきたようだが消火作業をしている兵士たちは慣れないのか統制がイマイチな動きで消火に手間取っている様子だ。確かに水を確保しようにも海という最大の水場は遠い商店街方向だし……。

「そーいや、店のおっさん通信機で衛兵呼んでたな」

無表情のエクセルはまっすぐ消火活動をしている隊の指示をしていると思われる男の元まで近づく。途中エクセル達に気づいた男は衛兵服を着たエクセルが何もせず歩いて来ることを咎める声を上げた。

「貴様どこの所属だ!悠々と歩いている場合ではない!さっさと消火しろ」

放火の衝撃に巻き込まれ若干灰を被ったエクセルは男の言葉を聞いてカチンと来たのか目尻が痙攣している。その様子を見て流石にまずい事を察知したセットが慌ててエクセルを止めようとする。するとエクセルは男に対し敬礼を行い、わざとらしいキビキビとした口調で男に名乗りをあげる。

「名はエクセル=エルメルト。所属は下役には話すことの出来ない所属であります。指揮官殿のお名前をお聞きしてもよろしいでありますか?」
「うわぁこれ完全に怒ってる。どうなっても助けられねぇからな」

自分よりも明らかに下の人間への対応にしては馬鹿丁寧な兵士然な振る舞いを見てセットは呆れ顔で状況を把握できていない男をチラ見した。指揮をする男はエクセルの言葉とセットの独り言に戸惑いながら自分の名前を口にした。するとエクセルの顔がぐにゃりと不気味に笑い男の名前を呼んだ。

「状況を報告したまえ」
「はっ!現在スコル隊長の命令によりは総動員で少女連続誘拐の犯人を確保する任務中であります!想定外の火災が発生したため我々は残り消火活動を行うようになった次第であります」

そこまで言って男は自分が勝手に喋り出した事に気づき、気味が悪いと目の前で笑うエクセルの顔を見る。額の目と合い、ようやく何かに気付いたのか男は悲鳴を上げて敬礼をしたまま全身を大きく揺らし始めた。
かろうじて自身の声で発した言葉は、先祖帰りという言葉だけ。それ以上は蛇に睨まれたカエルとなり、自由に話すこともできない。

「散々手こずっていた出て来るかもわからん誘拐犯に総員動かすって正気かよ」
「おい、スコル=オリベルトはどのような魔術師だ」
「はっ!スコル殿は両目に強力な魔力を持って生まれたそうで港町全体を透視することができるそうです。ですが御自身では力の制御できないそうでして、肉眼での生活が難しく任務で使用する以外はあのように目隠しをされていると聞いたことがあります」

またエクセルの命令で男はガタガタ震えながら自分の意思とは関係なく、スコルに関する情報を垂れ流し始める。言葉と言葉の間に助けてと小さな悲鳴を挟むが、その度に無駄口叩くなとエクセルから睨まれる始末。側にいたセットはどうすることもできないと合掌して死なないだけマシだと思えとフォローにならない言葉をかけて男にトドメを刺す。

「遠くから餌撒いて食いついたら準備していた大網で捕獲か。成る程」
「餌ってまさか」
「馬鹿かあの目隠し。自警の衛兵ごときで止めれる男じゃないぞあれは」

衛兵をこの時のために動かせるようにしているなど計画性が見えるがいかんせん相手が悪すぎる。詰めの甘いスコルに対しエクセルは口を噛みながら悪態をつく。
あの男に押さえかかっても自衛しかできない兵士何ぞ痛くもかゆくもないだろう。先ほどのセットのようにはたき落とされるのは目に見える。仮にセットのような戦闘特化の人間がいるならまだしも、港には騎士団の拠点はない。最悪の結果は先ほどの魔術店のように、衛兵が火の海の藻屑になるだろう。

「奴はどこに向かっている」
「恐らく領主様のお屋敷かと……ただそこまでは近づけさせず、市街で止めるようにとの命令です」
「急ぐぞ、セット。我が国の貴重な兵を一気に失う」
「おっしゃー!あのクソ野郎、もう一戦勝負だ!」

走り出したエクセルを追いながら先ほどの戦闘を思い出し、セットは興奮気味に腕を振り上げる。
楽しそうに歌い出すセットとは対照的に黙って遠方で屋根を飛び移る男の姿を確認するエクセル。横道に逸れたら追いつけないだろうと不安視するが、迷いなく進んでいるのは目的地が決まっているからだろうと市街地から離れた遠方にある領主の屋敷を見る。
領主アードルフが昨晩宿に来たのも偶然ではないのだろう。恐らくあの男も何か知っている。それに気づき、エクセルは悔しそうに唇を噛んだ。

「くそっ。アイナ嬢」

何かを堪えるように右手を押さえ悲痛な声で愛菜の名前を呼ぶ。
どう考えても向こうの早さでは衛兵とかち合う現場には間に合わない。スコルが愛菜を使ってあの男を白昼に姿を出させたとすれば、身元もわからない娘一人犠牲になっても構わないという考えなのだろう。一月前の事件のように貴族の娘なら問題になるだろうが、何もわからない身元不明の娘とはなんと素晴らしい生贄だろうか。
死んでも誰も悲しまない。誰も気づかない。

「泣いてんのか」
「煩い」
「悲観するのはちょっと早いんじゃねぇの」

そう言ってセットは正面に向かって両手を振り、屋根の上を指差すような仕草を体いっぱいにし始める。その様子を見て涙ぐんだ顔で遠くを確認する。見えたのは買い出しのため分かれていたエステル達の姿だった。
まだこちらには気がついておらず、三人仲良く清涼菓子の屋台に並んでいる最中のようだ。

「リスト!気付け!!テメェが大好きな実戦闘だぞ!!」

白くて冷たい菓子に口をつけようとした瞬間、リストの菓子はボロリと地面に向かって落ちた。悲鳴を上げて悲しむリストにエステルは代わりに自分のものをと渡そうとした。
流石に客人である人からもらえないと断るがその顔は悲しみに満ちていて、本当に付いていないとため息をついて正面にある下り坂をぼんやりと眺める。

「もう一個頼むか?」

リストの泣き言も動きが止まり心配になったクラエスが声をかけた。だが、リストは急に嬉しそうに笑みを浮かべながらいらないときっぱり断った。その爛々とした表情が異様だった為、彼が視線を向けている下り坂の先をクラエスは見る。
赤い服を着た軍団がこっちに向かって来ているのがわかる。そしてその軍団の正面に見たことのある二人の男を発見する。
先に誘拐犯を追って居た衛兵達を走って追い越したエクセルとセットだった。

「どういう状況だよ、あの二人」

一見、必死に走っている二人が衛兵に追われているようにも見える状況にクラエスが思わず声を漏らす。
ただでさえ混乱しているというのに、今度は別方向からやって来た衛兵に声をかけられ避難しろと命令をされる。避難勧告がでているという衛兵の説明も聞かず、隣で武器を持ち出したリストの行動にクラエスはギョッとする。驚いたのは衛兵の男も同じで声を荒げ、何をしているとリストを止めろとクラエスに怒鳴り散らす。
驚くのも無理はない。リストの身長に近い大きさのボウガンが向いている先はこれから捕獲しようとしている誘拐犯の男が通る屋根の上だったからだ。

「やめろ貴様!」
「クラエスあれ見て!」

エステルの指差した先に男に抱えられた愛菜の姿を見つけたクラエスはリストを止めようとする衛兵を購入したばかりの大剣で殴り飛ばした。鞘からは抜いてないからまぁ大丈夫だろう、峰打ちだ。

「見えましたぁ!」

クラエスが衛兵をのばしたと同時にリストは引き金を引いた。弓矢というには大きすぎる矢が屋根から屋根へ飛び移る男の足元に目掛け放たれる。
男は直撃を避けたかに見えたが矢の衝撃によって崩れた屋根に足を取られ愛菜を抱えたまま落ちていく。

「やったぜええ!リストおお!!」

屋根から落ちていく男を確認し雄叫びをあげるセット。
だが、背後にいる衛兵達は指示とは違う予期せぬ状況に動揺したのか焦り隊列が乱れ始める。しかし止まることもできず予定外の場所で男を捕獲すると現場指揮官が命令を下し隊列をなんとか立ち直らせる。止めるように声を上げるエクセル達を追い抜き、勢いをつけて男に向かって突撃を開始した。

「くっ」

落下する自分に向かってくる一団を確認しつつも愛菜を抱えているせいで体制が整えられず男は悪態をつく。なんとか愛菜を抱えて着地することが精一杯。だが女を片手で抱えたまま、もう片手と両足を使い四つん這い状態で音も立てず着地した男の姿は誰が見ても人間離れして居て異常な光景だった。

「怯むな!我らも続くぞ!!」

男の人間離れした動きに怯えながらも坂の上にいた衛兵達も剣を構え、突撃を開始する。
静かに起き上がった男は自分に向かって坂を下りてくる衛兵に向かって走り出し、勢いよく地面を蹴った。高く跳んだ男が下りた先は一人の衛兵の顔面。思いっきり踏みつけた後、次々と衛兵を足蹴にし前へ前へと跳んでいく。その度にバタバタと衛兵達が倒れていく。
ちょろい。そう思い外套の奥で笑った男に勝ち誇った顔のクラエスの姿に気づく。

「さっき買った剣の切れ味を試させてもらうぜ!」
「笑止」

大きく振りかぶったクラエスを見て男は小馬鹿にしたように鼻で笑った。クラエスの振った剣を踏み台に勢いをつけ、そのまま彼の顔面に足を押し付ける。やる気満々だったが虚しく、先ほどの衛兵達の二の舞になってしまった。
それを目の前で見せられたエクセルとセットが呆れて頭を抱える。
進行方向の衛兵も居ない、逃げ切れる。そう確信したのか外套の奥で口元を緩ませた男の前に想定外のものが現れる。
地に着地をしようとする男の目の前に滑り込むように女が現れ、拳を構えた。次の瞬間、着地と同時に拳が男の腹部に叩き込まれ、身体がくの字に曲がった状態で宙を浮いた。
信じられないと口を動かしながら男は地面を転がり落ち、動かなくなる。

「よし!取り押さえろぉ!!」

男を止めることができ、両手を合わせて喜ぶエステルとクラエス。男を拳一つで地面に叩き落としたエステルを信じられないと引き気味につぶやきセットは足を止めた。
その近くでは息切れで喋ることすらままならない様子のエクセルが愛菜を探して辺りを見渡して居る。赤い人だかりが出来ている方を見て、今にも泣き出しそうな声で愛菜を呼びながら群衆に向かって走り出した。愛菜のもとに行こうとしている事に気づいたエステルはクラエスに傷の手当てはちょっと待ってと言い残して彼の後を追いかけて行ってしまう。

「エクセルさん、アイナのところに行くの?」
「エステル嬢!?」

手を振ってこちらへ駆けてくるエステルを見て真っ青な顔になり、危ないから来てはダメだと言ってエクセルは彼女を制止する。
しかし、エステルの方が力が強くあっさり彼女を掴んだ手を振り払われてしまう。
少女に力で負けてなんとも情けない表情になったエクセルににこっと笑いかけてアイナのいる場所まで連れて行くと提案する。

「エクセルさん、衛兵さんいっぱい居てアイナのとこに行けないでしょ?手伝ってあげますよ」
「いや、お気持ちは嬉しいのだが大変危険ですし」
「エクセルさんアイナの事好きですもんね!助けてあげたらアイナのエクセルさんに対する株も上がりますよきっと!」
「いや、好きとかいう理由で行くわけでは」
「エクセルさん、嘘下手ですね」
「…………」

にこにこ笑ってズバッと言い放った台詞にエクセルは敵わず、お願い致しますと頭を深々と下げて見せた。満足そうにエステルは笑顔を見せた後、群がる衛兵をかき分けてエクセルを先導することになった。
かき分けてすれ違う大勢の衛兵達は怯えているようだった。衛兵達に囲まれた中心で気を失った男が少女の身体を自身から生えた尻尾で押さえ込んでいるからだ。
尻尾の生えた人間に怯えながら、一人の衛兵が意を決して前に出て、男の外套を剥ぎ取ると、一層のどよめきが起こる。
その理由は今まで外套で姿がわからなかった男が端整な顔立ちの青年だったから。そして、その目元や口元には普通の人間ではあり得ない鱗が存在して居たからだった。

「先祖帰りだ……」

衛兵の一人が絶望したようにそう呟いた。
怖いもの見たさに青年の顔に手が伸びる。一瞬鱗に指先が触れるとびくりと離れた後すぐにもう一度、鱗の感触を確認するように触れた。同時に青年の目が開き、眼球がぐりっと音を立てるように動いて衛兵を捉え、その頭を片手で鷲掴みしながら青年がゆっくり立ち上がる。
衛兵の頭からみしみしという鈍い音が鳴り、悲鳴を上げて暴れ出した。

「血の薄い低俗が気安く触れるな」
「た、助けてっ助けてくれえええ」
「……汚らわしい」

頭蓋が割れるような音を聞いて半狂乱になった衛兵を青年はその言葉どおり汚いものを捨てるように放り投げて手を離した。床に転がった衛兵を仲間たちが引きずって回収していくと次第に青年の周りから衛兵たちが離れ出していく。
そんな怯えた彼らとは対照的にまっすぐ青年に向かって前に出る衛兵士姿の男が目につく。見たことのあるその顔に青年は不敵な笑みを浮かべて彼の名前を呼んだ。久しぶりだなと一言添えて。

「二十年ぶりか?」

そう言った青年の言葉には違和感があった。
何故なら青年の見た目は二十代そこそこの若者だ。それなのにふた回り以上の見た目のエクセルと面識がある口ぶりでしかも二十年ぶりの再会と言うのだから気味が悪い話だ。

「ちょっとエクセルさん!置いてくなんて酷いですよ!」
「!?」

後ろから女の子に呼ばれエクセルは焦った顔で振り向く。衛兵の人混みをかき分け転がり出てきたのはピンクのエプロンスカートの女の子で周りの衛兵士も動揺しだした。
彼女の言い分は屈強な身体の衛兵士達をちょっとごめんなさいと声を掛けながらかき分けやっと愛菜のいるところまで先導したのに途中で置き去りにされたとエクセルに対し怒っているというものだった。

「いやエステル嬢、ここまで連れてきてもらったのは確かに感謝して居るけれどその男は――」

ぐったりした愛菜を自身から生えている尻尾で抱える青年を睨み付けながら、彼に歩み寄ろうとするエステルを必死に止めようとするエクセル。両手を広げて彼女の前に出る。どうか止まってくださいと何度も幼い少女に頭を下げるエクセルだったが、エステルはにっこり微笑んで彼に握り拳を構えて見せた。

「殴っていいですか?」
「あ、衛兵をかき分けて道を作って頂き有難うございます。置いて行って申し訳ありません。ですがそれとこれとは別で、貴女に何かあったら私本当にどうなるか」
「エクセルさんは私よりもアイナを心配しててくださいね」
「はっ、申し訳ありません。私の監督不行き届きでした」

尻に敷かれたように笑顔のエステルに叱られるエクセルは、次第に何も言えなくなりヘコヘコ頭を下げるだけになっていった。
見慣れない変な衛兵の魔術師がでてきたと思えば、今度は女の子が出てきてその魔術師を叱り出したりと理解に苦しむ展開に周りの衛兵達も緊張感の無さから困惑した様子だ。

「おい、ふざけているのか」
「ふざけて居ません!」

イラついた声色の青年に凄まれたエステルは彼の顔をまっすぐ見ながら、きっぱりと即答して見せた。すると青年は何かに気付いたように目を細めてエステルの顔をまじまじと見つめてくる。
そして何かに納得した様子の顔で独り言をいくつか呟いた後に意外な名前を口にした。

「お前、カミルの娘か」

エステルはそれを聞いた瞬間に思い出した。ひと月ほど前に自分の父親があの宝石の埋め込まれた怪しい本を行商人から買い取っていた時の様子を。目深く被った街灯の下にある行商人の顔が目の前にいる青年と一致する。
思わずあっと声が漏れる。

「どうした。俺の加工した写本は気に入らなかったのか」
「気にいる訳ないでしょ!あの本のせいでお父さんはおかしくなったんだから!」

彼に対する表情にや態度だけでなく、語気もかなりきつくなった事で彼女から異変を感じたエクセルが冷静に止めに入る。状況がわからない為、どうしてそんなに焦っているのか問うとエステルは一ヶ月前に目の前にいる青年と会った事があると言い出した。
ひと月前、父親であるカミルの前に突然現れてあの大きな宝石の埋め込まれた本を渡して去っていったという。

「娘のために純血主義だの先祖帰りだの、くだらないものが無い世界を創ろうとした結果がこれか」

皮肉とばかりに呟く青年の言葉に、エステルは動揺を隠せなくなって来ていた。
昨日、父親がしたことは自分の為だった。なのに自分が止めてしまった。そのせいで父親は死んでしまった。そんな自分を責める言葉が何度も頭の中を過ぎる。

「あの時は父親の言うことに刃向かうようには見えなかったがな」

何がそうさせたのだろうな。そう言って青年はエクセルを見る。まるでエクセルがその原因であると確信しているようなまっすぐ鋭い視線。エクセルはその視線から目を逸らさず、不安そうに小さくなったエステルの肩を大丈夫だと言うように抱き寄せ、青年に向かってエステルの答えを代弁した。

「そんなもの、初めから要らなかったのだよ」
「何?」
「エステル嬢はそんな世界を求めて居たのでは無くて、自分を自分と見てくれる相手が欲しかっただけと言っているのだよ」

面白くも無いと、目の前の青年は鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。くだらないと。
対峙する二人は自分の想いを否定されムッとした表情になる。
欲しがったところで独りでは叶わない。お前らは独りだ。純血主義者の成れの果てだと言う。
青年の言葉は寂しげで何処か悟ったもので、否定できないものもある。だが、二人は無言でお互いの顔を見た後、ゆっくりうなづいた。目の前の勝手な憶測で断言する男の鼻をへし折ってやると言わんばかりに二人とも不敵に笑って彼を指差した。

『相手はそこに居る』

それが彼が尻尾で抱いている少女であることに気付き、随分動揺した顔を見せる。彼の中にある何かに触れてしまったのか、そこから彼の空気が一気に変わった。

「ふざけるなよ!この蛇野郎!!」

その言葉を聞いて青年は歯を剥き出し吠えるように声をあげる。

「貴様は一体何度同じ事を繰り返せば気がすむのだ」
「……お前……ジルか?」
「貴様、まだ知らぬふりをするか!我が名はアンブロイド!女神メリアに忠誠を誓う誇り高き竜の末裔であるぞ!!」

男の名前を呼ぶと怒りが頂点に達したのか激怒した激しい口調で、まるで別人と言わんかのように自身の名前を叫んだ。そして大きく息を吸い込みエクセルに向かってその息を吐き出す。息は真っ赤な炎へと変わりエクセルとエステルに向かって襲いかかった。
向かってくる炎を避ける時間は無く、エクセルは側にいたエステルを抱き寄せ、自分の身体を覆い被せるように使って彼女を炎から庇う。直撃を避けるため前方に身体を倒し回避行動を取るも避けきれず、脚全体に熱と激痛が走る。
痛みを堪えるために抱える力が強くなり、エステルも彼の異変に気付く。

「っぐ……うぅ……」

自分を抱え、地面に倒れたまま放そうとしないエクセルを呼ぶが、返事は痛みを堪えるうめき声しか返ってこなかった。彼の肩越しに愛菜を尻尾で抱えるこの場から去ろうとする青年の背中が見え、エステルは待ってと愛菜の名前を叫ぶ。
やっと伸ばせた手も虚しく、青年は軽々と建物の屋根に登りその場から立ち去ってしまった。

「エ、エクセルさん……?」
「無事か」
「は、はい……」
「無事なら何よりだ」

あの後すぐに真っ青な顔で駆けつけたクラエスの手でエクセルの腕から引きずり出された。目の前で痛みを堪えるために自分の両脚を抱えて唸っているエクセルの姿と焼け爛れた脚を呆然と見ながら、何が起こったのか思い出そうとする。

「閣下!今応急手当てをします。ご自身で癒術は使えますか」
「さっきからやっている」
「誰か!癒術が使える方はいないですか!?」

地面に飛び込むかのように駆けつけた御者は持っていた鞄から瓶と薬草を取り出し、薬草を薬に漬け込む。とろみのある液体で濡らされた薬草を赤く爛れた部分へを貼り付けていく。
魔術を使って傷を癒す「癒術」の使用を促すがエクセルは癒しの術は不得意であると言っていた事を思い出し、御者は癒術に心得がある衛兵がいないかと声を上げた。しかし、周りの衛兵たちは先ほどの先祖帰り青年たちのことで混乱が起こり話など聞いていない。

「火だ。あの化け物、火を吹いたぞ」

衛兵の一人が呟いた言葉を耳にしてエステルはようやく何が起こったのか思い出した。
青年は名乗りを上げた後、口から火を吹いた。身体を後ろに大きく反るようにたくさん吸い込んだ息を一気に吐き出すとそれが炎となって二人に襲いかかってきた。
尻尾が生え、顔の一部から鱗が見える姿は確かに人間離れしているが、まさか火を噴くとはエステルも思わなかった。しかし、あの青年は危険だと言ってエステルを彼と対峙させないようにしていた言葉から、エクセルは彼がどんな男なのか理解していた事に気付き、エステルは後悔する。

「全員あの男のせいで腰が引けてるな」
「本来は自警の集団ですからあんな規格外の化け物相手は無理でしょう。僕も嫌ですよ」
「おまけに救護兵の人間はここにはいないみたいだな。当たって砕ける気満々じゃねーか。大丈夫かよここの衛兵」
「だ、そうです閣下。これを期に癒術も使えるようになりましょうね」
「お前らなぁ……」

自分たちは違うからとエクセルの所属である衛兵に対し辛口評価をはじめ出すセットと御者のやり取りを聞いて思わず声を漏らす。とりあえず言葉を返せるまでは落ち着いたかと応急処置を施した御者はホッとした後、隣で不安そうに手当てを見ていたエステルの頭をポンポンと叩いて大丈夫だと笑顔を見せた。

「おっさん大丈夫か」
「ああクラエス君、こうなるからちゃんとエステル嬢が無茶しないよう護衛してくれ給えよ」
「この馬鹿っ」

脂汗を滲ませた真っ青な顔で笑い混じりに言われたクラエスは隣にいたエステルの頭を叩く。結構本気で叩かれエステルは頭を押さえながら涙を滲ませる。その滲んだ視界に見慣れない靴が見え、一緒に顔を上げたクラエスが隣であっと声を上げた。
他の衛兵とは雰囲気の違う数人を引き連れた男を信じられない顔で見る一同。男はそんな視線も気にせず混乱している衛兵達に撤退命令を下し、この場から離れるよう指示をする。
男の命令を聞き入れ下がりはじめた衛兵達を確認し、こちらに戻ってきた。

「私なら癒術の心得があります」

その場にいた全員が冷ややかな目で衛兵隊長である彼を睨みつける。
しかし当のスコルは涼しい顔で早めに処置をした方がいいのではないかと問いかけ、全員顔を見合わせて渋々とスコル達の後を追ってその場離れることとなった。
まるで街に入る前の振り出しに戻ったかのように昨日散々いた関所の医務室でエクセルの治療をする羽目となる。

「君、先ほどの戦闘を見たところかなりの腕力があるようなのでエクセル閣下の治療を手伝って貰いたいのだが」
「それは構いませんが、腕力が強いからってどういう事ですか」
「実戦経験豊富な彼らに聞いてみてはどうかな」

エクセルの治療を手伝うようスコルから声をかけられたエステルはその条件が腑に落ちず、何故自分なのかと問いかける。勿論治療を手伝うのは賛成だが、理由の意味がわからない。しかもセットや御者にその理由を教えてもらえと話を逸らされる始末だ。

「私は実戦はほぼ皆無なのであの痛みはよくわからなくてね。まぁとにかく準備ができたら呼ぶよ」

そう言って医務室に消えて行った。
エステルは何が何やらわからず、とりあえず彼の言う通り何のことなのかセット達に聞いて見た。するとセットと御者は「あれなぁ」と何か分かったと言わんばかりに首を縦に振っている。

「ちょっとした傷でも癒術の反動は痛いですから、今回の火傷は相当ですよねぇ」
「かと言って自然治癒待ってたら時間がいくらあっても足りねぇしな。しょうがねぇのもわかんだけど痛てぇよなぁ」

思い出しているのか大の大人が痛い痛いとしかめっ面を見せている。

「癒術って傷を治したりする魔術ですよね?治すのに痛みがあるんですか??」
「そうだねぇ、正確には無理やり再生させるのが癒術なんだよ」

傷を治すと痛んでいるところが痛くなくなるのでは無いかと考えるエステル。御者は最終的にはそうなると前置きし、しかしそこまで行く過程が問題なのだと言う。皮膚の再生を急速に行う事で身体に異変が出るのだと言う。それが痛みなのだそうだ。

「なんて言うのかなぁ……皮膚を無理やり引っ張られてどんどん広げられて行くような感じっていうのかな」
「嬢ちゃんが呼ばれた理由はその時の痛みで暴れるから、あいつを押さえて居てくれって事だな」
「なら別にエステルを指名しなくてもいいんじゃねーのか」

その内容を聞いて不安になってきたエステルに後ろからクラエスが声をかける。自分が替わろうかと提案してくれたが、エステルは自分がやると首を横に振った。
昨日カミル村での一件で寝込んで居たエステルを夜遅くでも介抱し、薬を飲ませてくれて居たエクセルに恩返しがしたいと伝える。エクセルが自分たちが眠って居た間もエステルを看病をして居た事実に驚きクラエスは言葉を失う。

「別に誰でもいいが、準備はできただろうか」
「あ、はい!行きます」

呼ばれたため、慌てて医務室に駆け込んだ。入った瞬間、部屋の中に充満する消毒液の臭いがきつく思わず顔を歪める。
寝台に寝かせられ焼けた下半身の衣服を剥がしている最中のエクセルと目が合う。

「何を考えているのかね君は」
「女性がいると少しは痛みも我慢できるでしょう、貴方なら」

両脚、太股の半分あたりまでに広がっている火傷に触れながら淡々とした口調でスコルはエクセルに返した。その触れた指先がほんのり光り出した瞬間、エクセルの身体がビンっと縦に伸びて何かを堪えるように呻き声を上げる。爛れて見る事も辛い状態だった傷口がその触れていた部分だけほんの少し色が正常な肌の色に近づいていた。

「この様に治療をして行くのだが、皮膚を急激に再生させると痛みを感じる様で皆辛すぎて結構暴れるのだよ。脚をばたつかせると肝心の治療ができないからこうして脚を動かさない様に押さえていて欲しい」
「分かりました。エクセルさん痛かったら痛いって言ってくださいね」

エクセルの顔を一度覗き込み、心配しないでと微笑みかけてから配置につくエステル。傷に直接触れない様に透明な手袋をはめた後ゆっくり足首の少し上を掴んで動かない様に固定する。
これから襲うであろう痛みの事と、先ほどエステルの可愛らしい笑顔を見れた事とで複雑な気分になって少し目に涙がにじむ。すると今度はスコルが顔を覗き込んできた。

「あんまり暴れるとせっかく隠しているものが彼女に見えてしまいますから、頑張って我慢してください」

そう言って口に噛み締め様に口に詰め物をねじ込む。何か言いたいのか上半身を起こしてフゴフゴと口から音が漏れてるが詰め物のせいで話せない。
エクセルは諦めて身体の力を抜いて寝台に倒れ込み、天井を見つめる。スコルが忘れていたと踏ん張る時は側にある布を掴めという言葉と同時に痛みが襲ってきた。いつか呪い殺してやると本気で思った。
脚を押さえていた手の力が徐々に強くなっている事にエステルは不安に思い顔を上げる。側には癒術を患部にかけ続けるスコルが大粒の汗を流しながら術の詠唱を続けている。
ある程度、全体の傷口の炎症が治まった頃から二人はエクセルの脚に違和感を覚え始めていた。スコルからエステルへ何か訴える様な視線を向けられたがなんと言っていいのかわからず、エステルは困った表情を彼に向けた。
二人の困惑の理由は火傷の治療もほぼ終わったと言うのに痣のような滲みが消えないからだ。足先から上半身に向かって何かが這いずり回ったような痣があり、明らかに火傷の痕とは違うものが癒術を使っても一向に消えない。

「……」

まさかエステルは恐る恐る、腹部の裾を上げると痣が続いている。これ以上は見ないほうがいいと思い、静かに裾をもとに戻した。当のエクセルは痛みに耐えられなかったのか気絶し白目をむいて動かなくなっている。
エステルは息が出来なくなる事を心配して口の中の詰め物を引っ張り出し、手で彼の瞼を閉じるようにした。

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