meria 一章 - 6
「ぐああぁぁぁぁ!!!」
悲鳴と床に叩きつけられる衝撃で愛菜の意識が戻った。
だが急に立ち上がったような立ちくらみと頭を揺らすような頭痛に襲われ、目の前で苦しそうに呻くエクセルと一緒になって床へうずくまる。
「なんだ!?何があった」
「術が……跳ね返された」
エクセルがようやく出した声はやや落ち着きを取り戻していたが、まだ全身の震えが止まっていない。そして何故か顔を両手で覆ったままこちらに顔を向けようとしない様子に不信感を持ったセットが顔がどうかしたのかと問いかける。
「……今、私はどんな姿をしている?」
「な、何言ってんだよ」
「本当になんともないか!?おかしなところないか!?」
「いや、急に叫びだしたりおかしいだろ」
「違う!!見た目が大きく何か変わっていないか!?何か出ていないか!?何か増えていないか!?」
指を間から覗く涙を溜めた目が必死に訴えてくる。
彼の問いと、必死に隠す顔。セットは何か勘付いたのかエクセルの腕を掴み顔から手を離すように言う。だが嫌がるエクセルから手を引き剥がそうとするが彼は必死になって離そうとはしなかった。
「おい!何ださっきの声は!?」
エクセルの叫び声を聞いて鍵の掛かった扉を農具で破壊し入ってきたクラエスもこの異様な状況に、すぐ黙りこむ。
「退きなさい」
邪魔だとばかりに硬直した彼の後ろから冷たく言い放ったのは家の主であるカミルだった。流し目で彼を一瞥しすれ違ったカミルは足を止めると普段より一層冷たい無表情でエクセルを汚らしい物の様に見下ろす。
視線はエクセルに向けたまま、側に居た娘へ何をしていたのか問いただす。優しい声色だが一切動かない表情の父親をエステルは怯えた表情で見つめる。
「わ、私ちゃんと断ったよ。お父さんが居るから王様のお嫁さんにはならないって」
「何をしていたのかと聞いているんだ!!」
「ひっ」
父親に怒鳴られたエステルは恐怖で床に崩れ、ぐったりした愛菜を強く抱きしめながら泣きじゃくり父親に謝りだした。
「だってアイナが寂しそうだったから。だからお家に帰る方法探してもらえるようにエクセルさんにお願いしようとしただけで」
「前にも教えただろう、エステル。その娘が居ないと私達は幸せになれないと」
父は駄々をこねる娘をなだめるように優しい口調で語りかけるが、娘は泣きながら首を振る一方だった。
言うことを聞かない娘に腹を立てたカミルは何を言っているのかわからないくらい大きな声でエステルを怒鳴った後、目の前に居たエクセルの頭を掴みエステルの前へ付きだした。もう片方の手で顔を隠す手を剥ぎ取りエステルに向かってその顔を露わにさせる。
涙を流し怯えるエステルと無理やり姿を晒されたエクセルの目がかち合った。
両手を剥がされたエクセルは顔面蒼白でエステルを見つめ続け、彼女出すの言葉を待った。だが、エステルは目に映った光景の衝撃が強すぎたのか何一つ言葉にできず、口を開けてエクセルを見つめ続けている。
代わりにエステルに抱かれた愛菜が辛そうに顔を上げその見たことのない光景に驚いて、ポツリと呟いた。
「目が……三つある」
じっと見つめる愛菜達からエクセルは視線を視線を反らし抵抗をするがカミルの指が一層髪をきつく掴みあげ悲鳴を上げる。
痛みで顔を歪めるエクセルの額には赤く大きな目が苦しそうに開いたり閉じたりを繰り返している。あるはずのない場所にあり、蠢くそれは確かに異様な光景だった。
「私達、純血主義者の成れの果てだ。血が濃ゆくなりすぎた一族にはこの男のような化物が生まれる。その徴候はお前にもでているんだからな、エステル」
その一言を聞いてエクセルは両目を見開いてカミルを見上げる。歯を食いしばりようやく出た「やめろ」という言葉も虚しく、父親は娘に対して残酷な言葉を投げかける。
「こんな化物、産みたくないだろう?」
父親の言葉に答えることが出来ずエステルは俯き涙を流した。ぼろぼろと玉のように流れ落ちる涙が抱かれた愛菜の顔へ落ちていく。そして何度も愛菜に向かって謝りながら更に強く愛菜を抱きしめる。
少し首が締り逃げることができなくなる。
泣きながら父親の言いつけを守り愛菜を逃がさないように抱きかかえるエステルを見て、エクセルは歯を食いしばった後、怒り任せに叫んだ。
「セットぉ!こいつを黙らせろ!!」
命令と同時に剣を鞘から抜いたセットに対し、冷淡な笑みを見せたカミルは彼に向かって掴んでいたエクセルを片手で軽々と放り投げた。振り下ろす途中で踏みとどまったセットの腹部にエクセルが衝突し、その衝撃で背後の壁まで二人の体が飛ばされる。
全身を襲った衝撃の強さがおもったより大きく意識こそ失いはしなかったものの、セットは辛そうなうめき声を漏らした。
「うおぉぉぉおお!!!」
背後から大声を上げクラエスが持っていた農具をカミルへ向かって振りかぶった。だが、勢いよく振ったはずの農具はカミルの腕で止められ反動で柄の部分から二つに折れ曲がる。
止めた構えのままカミルは反対の拳をクラエスの腹部に向けて叩き込み、よろけたクラエスに追い打ちで数発殴りつけた。床にたたきつけられた後、腹部の衝撃からかクラエスは血の混ざった嘔吐物を吐き出す。
「お前も他人の家の問題に首を突っ込むなとあれほど言っただろう」
「うるせぇ。お前、自分の娘をなんだと思ってんだよ」
「私の気持ちなど、非純血主義者のお前に理解できる訳がないだろう」
うずくまるクラエスを本棚めがけて蹴りあげる。彼が吹き飛んだ衝撃で本棚から散らばった中から見覚えのある一冊を見つけカミルは迷わずそれを拾い上げる。
青白く光を放つ表紙を見つめた後、カミルはエステルへ目をやりこちらへ来るようにと顎を上げて見せた。恐怖から渋々と父親の側についたエステルは愛菜の手を掴み父のもとへ向かう。逃げないように愛菜の両腕を後ろで組み、押さえつけているところをじっと見つめて黙り込んでいる。
愛菜は横目でエステルを見ながらうつむくエステルに声をかける。
「エステル……どうしたの?」
「私ね、アイナがここじゃない別の何処かから来た人だってこと知ってたの」
「え……」
顔を上げ側にいる父親に聞こえないように小さな声で話してくれた。
「お父さん、ちょっと前に知らない男の人からあの本を貰ってなんだか様子がおかしくなったの」
「エステル、何を話している」
「純血主義があるからお父さんみたいに不幸な思いをする人がいっぱい居るって言ってた。でも純血主義はなくならないんだって。新しい世界にならない限りずっとこのままだってその人が言ってた」
「エステル!黙らんか」
「別の世界から新しい世界を作ってくれる人が現れるって。だからアイナを見た時、きっとこの人だって思ったの」
愛菜に話していることが父親にばれてからエステルは一段と大きな声で話しだした。話を止めようとしない自分を本で打とうとする父親を見てエステルは意を決した表情で愛菜を真正面で立ち上がろうとよろけるエクセルに向かって突き出した。
急に背中を押され前のめりで倒れそうになった愛菜を慌ててエクセルが受け止める。
「初めて女の子のお友達が出来きて楽しかった。村の子は私が村長の娘だからって避けてたから」
「エステル!?」
「私の角、可愛いって言ってくれてありがとう。騙しててごめんね」
彼女の後ろで持っていた本をお大きく振り上げるカミルの姿を見て、愛菜はエステルに手を伸ばす。が、行っては駄目だと懐へ抱き寄せるエクセルに伸ばした腕を引っ込めるよう掴まれる。
目の前で父親に頭を強打され、床に崩れていく様子がコマ送りの様にゆっくりと目に映り、焼き付いた。
「エステル!エステルー!!」
「頼む、行かないでくれ」
エステルが床に倒れ動かなくなってから暫くして、じわじわと頭から流れる血液が床に滲んでいく。しかし赤い血だまりは暫くすると広がりが止まり、倒れたエステルに向かって吸い込まれるように引いていく。
代わりに床に広がっていくのは青白い光の文字だった。
「クラエス君もその円に入るなよ!」
「馬鹿言うな!エステルが……!」
「入ったらそのエステル嬢に魔力を全部吸われて死ぬぞ!」
エステルを囲むように広がる青白い光は円を描くように広がり、円は幾重も現れ重なり、複雑な紋章を描いた魔方陣へと姿を変えた。その魔法陣の中心で魔法陣と同じ色で輝く宝石の本を開きながらカミルが不気味な笑いを漏らしている。
彼の手の上でパラパラと高速で捲れていく本の音を聞いて愛菜は何かが思い出せそうな気がしてじっとその音を聞き入っていた。学校の風景が頭をよぎった瞬間、思い出しては行けないという声が頭をよぎり悲鳴を上げてエクセルにしがみついた。
愛菜の行動にエクセルは一瞬驚いた様に目を見開いたが、恐る恐る彼女の頭に手を触れ、落ち着くようにと頭を撫でる。触れた時、妙に懐かしいような気持ちがこみ上げ、前にもこんな事があったような気がした。
「また繰り返す気か、記憶持ち」
忌々しいとエクセルに向かって言い放ったカミルの声から彼の異変が現れだしていた。
見れば彼の顔からは血の気が引き、右手が上がらず肩から垂れ下がり、持っていた本を支えているだけで精一杯の様子だった。本は左手に持ち替えるも右手は一向に動く気配はなく、カミルは蒼白の顔で自分の腕を睨みつる。
「カミル殿。貴殿にその術は無理だ」
「無理など百も承知だ。何が合っても彼女を降ろすのだ」
軋む音と、焼けるような熱に耐えながら振り絞った力で右腕を愛菜に向かって振りかざした。腕を振るった際に生まれた風を使い、増幅させた魔術が愛菜に向かって放たれる。
エクセルの号令で皆散っていくが魔術なんて初めて見た愛菜は回避行動が追いつけず、足を滑らせる。
鈍い音を立てて転んだ愛菜が起き上がると焼けるような痛みで膝を抱えた。
「無事か!?」
予想外の場所へ伸びる手に愛菜は何があったのか理解できずその動きを目で追った。
エクセルは手で愛菜の髪に触れているがロングヘアーだった黒い髪はいつもと違い肩の辺りで途切れてしまっている。
鋭利な刃物で削がれ、不自然に斜めで真っ直ぐに切れた毛先を見て愛菜は呆然とする。
「嘘!?頑張って伸ばしたのに!!」
伸ばしていた髪が無残な状態になってしまった事に気づいた愛菜が振り返ると、床に散らばった自分の髪が青白く光りる液体になった後、ずるずるとエステルの元へ吸い込まれていく光景を見て無言で腰を抜かす。
後ろではセットの罵声にエクセルが言葉を返してはいるが、その声色は確かに焦りがあった。
「行くとああなる。絶対に方陣に入るな」
「なんなんだよ、あれ」
「術に必要な魔力が足りてないんだ。魔力になるものは何でも取り込む」
そういえばと愛菜は足元の光の円が徐々に近づいてきていることに気が付き足を引っ込める。
どうになかならないのかという声の答えなのか、エクセルは右耳につけていた耳飾りを外し、その真っ赤な飾り石をしぶしぶと見つめた後にエステルに向かってソレを投げた。石は落ちた瞬間に砕け、まるで水のようにエステルの中へと消えていった。
方陣の光が消えていき、倒れていたエステルの身体がぴくりと動き出す。ゆっくり立ち上がり、表情の無い顔をあげるとじっと正面にいる愛菜達をじっと見つめる。
「さて、何が降りるのかね」
立ち上がった彼女の一歩後ろで不気味な笑いを漏らしているカミルへエクセルが片口端を上げて問いかけた。
念願かなったと歓喜に満ちたカミルの理解し難い言葉を聞くことになる。
「神だ」
クラエスとセットがお互いの顔を見合わせた後、えらく真面目な顔のエクセルを覗き、次に愛菜に向かって話についていけてるか問いかけてきた。
正直、愛菜は昨日から訳のわからない事だらけで逆に驚かなくなってっきているのか、思ったより冷静だった。だが、状況がわからないのは確かなのでそこは胸を張ってわからないと述べる。
三人揃って安堵した様子で「だよな!」と笑いが出た。
すると立ち上がってから微動だにしなかったエステルの表情が鋭いものへ変わっていく。
彼女が発っした声色は普段のエステルならば考えられないくらい落ち着いていてやや低い声だ。明らかに普段の彼女とは違う何かを感じる。
「なんだその笑いは」
「エステル……お前こそなんだよそのしゃべり方」
いままで見たことのない彼女の言動に動揺した幼なじみであるクラエスが彼女をそう呼ぶと、一層彼女の顔が鋭くなり、やめろと腕で払うようなしぐさを見せた。
「その名で呼ぶな。不敬であるぞ、ヒトの子よ」
立っている姿、瞳の色、声全て同じなのに、こちらを見つめる鋭い視線が急に恐ろしく感じ、クラエスは彼女の言葉に何も言い返せず後ずさる。
「では、我々は貴女をどうお呼びすればいいのですかな」
豹変したエステルに怯えるクラエスとは違い余裕のある喋りで彼女へ問いかけたエクセルと、持っていた盾を構え直し、徐々に戦闘態勢を整えていくセット。
彼らの行動から愛菜は自分がここにいて良いのか不安になり、クラエスの側に隠れながら何かを探すように辺りを見渡す。
「貴様はこの世界を産んだ私以外に神が存在するとでもい言いたいのか」
「……これはこれは失礼いたしました」
一方的な言葉に顔色一つ変えず、エクセルは彼女に対し恭しくお辞儀をし、彼女の名前を呼んだ。
「女神メリア様」
その言葉に満足そうに笑みを浮かべる彼女を見て、安堵するエクセルだったが後ろから連れの素っ頓狂な声が聞こえてきた為、真っ青な顔をして振り返る。すると連れのセットどころか先程まで怯えていたクラエスまでもエクセルの発言に顔を歪ませて体も文字通り盛大に引いている。
彼らの言葉を言い表すならば……。
「何言ってんだこのジジイ」
「素晴らしく素直な感想をありがとうクラエスくぅぅぅん!」
お前こそ何を言ってんだこの状況で相手を挑発するような言葉は慎め!
と言ってやりたかったのだが、それこそ言えば目の前に居る自称女神様の彼女を怒らせてしまうであろう事も想定内。エクセルはクラエスの肩を掴み黙っていてくれと目で訴え、唸り声を漏らしながら歯を食いしばる。
「メリアって世界を創ったいう、あの女神メリアか?」
呆れた様子ではあるが冷静な質問を投げかけるセット。だが、質問は明らかに彼女の言葉を信じていないというものだった。
「今時そんな話、聖職者以外に信じる奴居ないと思うんだが、嬢ちゃんは信じてんのか」
「くどい。私はメリアだ。この世界の母であり、お前の母だ。私を貴様ら畜生の子と一緒にするな」
「その母親が自分で創った子供を畜生扱いかよ」
反吐が出る。そう唾と一緒に吐き捨て鞘から剣を抜き自称メリアに向かって駆け出す。止めようとしたエクセルの言葉も無視し、セットは構えた剣を不敵な笑みを浮かべるメリアを名乗る少女に向かって振り下ろした。
だがその刃が少女に届くことはなく、待っていたとばかりに前に出てきたカミルの手で直接握り止められる。剣を握る右手からは血が流れ落ち、彼の持つ本へと吸い込まれていく。
表紙を飾る宝石が一層青く光り出し、カミルとメリアの顔が不気味な笑みを浮かべる。
「下がれ!セット」
呼ばれた様な気がし、一瞬背後を気にするような動きを見せたが、セットの意識はすぐに目の前にいるメリアに戻される。
歌っている。目の前で起こっていることが理解できず、セットは目を大きく見開く。
今彼の目の前でメリアは口を大きく開け歌を歌い始めたのだ。引きこまれる透き通るような歌声だが聞き覚えのない不思議な語感の歌に合わせセットの頭部に異様な痛みが走る。その今まで感じたことのない強烈な痛みに耐え切れず、叫びながら剣を投げ捨てた。
同じようにクラエスにも異変が現れる。耳を塞ぎ、頭を抱え、顔中に脂汗をかいて苦しそうに呻きだした。
「クラエス!?」
「耳が千切れそうだ……頭が痛い」
側に居た愛菜が倒れこんだクラエスに何がったのか問いかけるが、ただ頭がいたいと床に突っ伏し痛みに耐えるため体を激しく揺さぶっている。
次第にクラエスの顔から血の気が引いてくのを目の当たりにした愛菜は助けを求めるように初めて彼の名前を呼んだ。
「エクセルさん!」
苦しむ様子はなかったが歌に聞き入るように身動き一つしなくなっていたエクセルを呼ぶが何一つ反応しない。小さな声で何か呟いて居るだけで心は此処ではないどこかに行ったかのような様子。聞き取れる言葉も愛菜にはなんのことかわからない。
「またか……また……」
愛菜は彼に駆け寄り服の裾を引っ張り、起きるように声を上げて彼を必死に揺すった。
何が起こっているのかもわからない。血だらけになったり、苦しんだり怖いことばかり起こってもう何が何かわからない。どうしてここにいるのかもわからない。
怖くて帰りたい。でもそれ以上に愛菜は、自分が何も出来ないのがたまらなく辛かった。
そんな思いを全部叫びながら、愛菜はエクセルの服を掴み顔を埋めて泣き出した。
「私なんでもしますから!起きてください」
「……私は……また、泣かせてしまった」
最後の言葉ははっきりと聞こえた。
「え……?」
「何をしてくれるのかね、アイナ嬢」
顔を上げた時にみた横顔は一瞬、泣いているようにも見えたエクセルだったが、こちらを向けばニヤニヤと笑みを見せるエクセルだった。
いつも通りの彼の言動に安心したのか返す言葉が見つからず彼を見つめ続けていた愛菜だったが、ふと彼の背後にあるものに気がつく。
壁にかけられた弓と矢。装飾が多く、おそらく部屋の内装品として作られたもので実用性には欠けるだろう。だが、愛菜はそれを指さしエクセルにあれがほしいと声を上げた。
「あ、あの!トギでもなんでもします!あれ取ってください!」
必死に指差すソレを見てエクセルはまさかと信じられない様な顔で愛菜の顔を見る。ベルトと一緒に腰へ仕込んでいた鞭を取り出し、装飾の弓矢に巻きつけ、力いっぱい引っ張った。
留め金具と一緒に壁から剥がれ落ちたそれを直ぐ様拾い、弦の強さを確認し矢をかける。
「何をする気かね」
「私、部活で弓矢使ったことあるんです!」
「ブ、ブカツ……?」
あまり聞かない発音で復唱するエクセルの顔で通じていないのは愛菜も理解できた。とはいえ部活とは何かなんて説明してる場合ではない。
「もー!後で教えますから!!」
「あ、ああ……すまない」
そんな緊張感のないやり取りをしていた二人の声をかき消すように少女の笑い声が上がった。
驚いた二人が見ると歌うのを止め、メリアが腹を抱えてケタケタと笑っている。隣ではどうしたのか理解できず面くらい混乱するカミルが彼女の方を抱く。
つい、娘の名前を呼んでしまい彼女に突き放される。
「本当にいつもいつも私の邪魔ばかりしてくれるな、エルメルト」
「……いつも?」
「今回は娘は珍しいな。お前が押されている」
「なんの事か全くわからないのだが」
メリアはまるでエクセルを昔から知っているかの様な言葉を投げかけた。エクセルが戸惑った顔で愛菜を見た後、本当に覚えがないという表情でメリアへ返す。だが、彼女はエクセルの言葉は聞いていないとばかりに話を続ける。
すると彼女はとぼけるなと冷たい声を放ち、エクセルを指差す。
「その目……自分の子を、忘れるものか」
子という言葉を聞いた瞬間、エクセルは嫌悪の表情を彼女に向かって見せる。母親を連想させる言葉が昔を思い出させ不快だったのだ。
彼女に対し一瞬芽生えた憎悪を抑え、エクセルは愛菜の名前を静かに呼んだ。
愛菜は彼を見上げて声のない返事をする。
「頭のあたりの高さを狙い給え」
そう言ったエクセルは鞭を下から振り上げメリアの一歩後ろに居たカミルの手に当てた。弾かれた手から持っていた本が離れる。反動で床を鳴らす鞭の勢いを使い、もう一度振り上げて宙に浮いた本を更に高く上げた。
エステルの身体をメリアとして制御している本体が手元から離れカミルだけでなく、本の力によって現世に呼ばれたメリア自身もそれを追うように振り返る。
頭上あたりまで上がった本へ手をのばしたが、何かが鈍く砕ける音を聞き、カミルは限界まで目を見開いた。
「魔石が……」
表紙の宝石に突き刺さった弓矢を見て絶望の声が漏れる。
そしてカミルはその本を手にすることも出来ず、伸ばした右腕が床に向かってゆっくりと落ちていく瞬間を見ていた。
「魔力のない貴様に、それを扱う資格など無い」
ベルトに仕込んでいた鞭のように撓る刀を引き抜き、カミルの腕を切り落とす。エクセルはもう片腕を、痛みで床に崩れるカミルに向かって腕を振り上げると、彼をかばうように彼女が目を覚ました。
「やめて!!お父さんが死んじゃう!!!」
喉が潰れてしまいそうなほど必死な叫び声にエクセルの手が止まる。
目の前で大泣きしながら彼に駆け寄って行く彼女の後ろ姿から思い出してはいけない記憶がエクセルの脳裏に蘇り、真っ青に顔色を変えて静かに武器を降ろした。
途中力尽きたエステルは折り重なる様にカミルの上に崩れ、その上に矢の刺さった厚い本がばさりと音を立てて落ちる。
急に部屋が静かになった。
「……帰るぞ」
深い息をついて初めて言葉を放ったのはエクセルだった。
自分に言われた事を暫くして理解したセットは戸惑いながら答え、剣を鞘にしまう。
「おい、何してんだよ」
「何って、連れて帰るのだよ。最初からそういう仕事だからな」
おもむろに倒れたエステルを抱きかかえるエクセルに対し、クラエスは講義するような口調で止めに入ろうとする。だが、来るなと一喝する彼からエステルを背中に渡され一瞬何が起こったのかわからなくなった。
ひとまずエステルを背負い直し、彼の言われた通り部屋の壁に向かって下がる。
エクセルがしきりに気にしていた床がどんどん白く変色していっていることに気が付きそれを避けるように壁際まで追いやられる。
「まだ足りないか……」
どうするか一瞬考えた後、エクセルは右耳に残っていた赤い石の耳飾りを外しもう一度悩んだ末、宝石を白い方陣の中央へと投げ入れた。
「魔力が足りなさすぎて術がまだ終わらない。此処に居続ければ魔力がなくなって死ぬ」
「ちょっと待てよ、ソレに入ったら死ぬのか!?」
「今少し多めの魔力をやったから暫くは抑えれるだろうが……まぁ時間がないから早く此処を出るぞ」
出る。と言っても部屋のほとんどが白い方陣でうめつくされている状況で部屋から出るにしても、もうすき間もない。おそらく微量に残ったのすき間をゆっくり進んでる時間も無いだろう。
「村にも異変が起きてそれなりに経つだろうから、そろそろ来てもいいのだがな」
「何、一人でぶつぶつ言ってんだよ。どうやって出るんだよっつてんだ!」
白く光る命の危険がじわじわと迫ってくる非常事態にも関わらず随分と涼しい顔をして独り言をいうエクセルに怒鳴るクラエスに対し、側に居たセットが後ろに下がるよう手を払った。ちょっと雑な指示にキレ気味ながらも一歩後ろに下がった瞬間、クラエスの居た場所の大体顔辺りに極太の金属矢が突き刺ささり、鋭い先が顔を出した。
「クラエスしっかり!エステルが落ちるよ!?」
何が起こったのか理解できず固まったクラエスは半ば気絶寸前だった。愛菜はずり落ちそうになっているエステルを支えながらクラエスを叩き起こした。
その間も壁にはどんどん金属矢が刺さり続け、飛び出した先がアーチを描き切ったそこへセットの蹴りが入る。金属矢によってもろくなった木製の壁がめりめりと音を立てて外に向かって倒れていった。
外で待ち構えていたのはエクセルが乗ってきた馬車と、弩砲を構えた御者の男だった。男の安堵した声が高らかに上がる。
「エクセル閣下!セット殿!よく御無事で」
「素晴らしい、さすが王国騎士団。危ない橋渡って連れて来た甲斐があった」
「さーんきゅ」
自分が褒められたことを理解したセットが二本指で敬礼のような砕けた仕草をエクセルに向けた後、開けた穴から馬車へと飛び乗った。
「君達も早く乗りたまえ」
その言葉を聞いても入り口の開いた馬車をじっと見ながらクラエスは動きを止めていた。
彼の様子がおかしいことに不安になり、愛菜が名前を小さな声で呼んだ。
「最初からそういう仕事ってことは、王の花嫁がどうのってのは最初からエステルを連れて行く気だったって事だよな」
「おや、この状況で乗車拒否かね?」
エクセルを睨みつけるクラエスに向かって一斉に御者とセットの武器が彼に向けられる。
不敵な笑みを見せつつも、焦りを隠せないエクセルの表情を見てクラエスは耐え切れず吹き出し「馬ぁ鹿」と言って馬車に飛び乗った。
「俺がこいつを死なせるような事するわけねぇだろ」
「このっ……」
「花嫁なんて認めねぇし、アンタの事は信用してないからな」
流石に馬鹿の一言が頭にきたのか、震えながら喉まで出かかった言葉を押し殺した。
直ぐ様、彼の後ろに居た愛菜を呼び手を差し出す。
「君も来たまえ」
差し出された彼の手袋が返り血で斑模様に変色しているのを見て、愛菜は一瞬戸惑った。よく考えれば、なんのためらいもなくカミルの腕を切り落としていた光景を思い出し急に彼が怖くなった。
愛菜の震える足を見てエクセルは差し出した手を引っ込め、無言で彼女へ近づく。
近づいてくるエクセルに驚き、持っていた弓矢を落として目を閉じて縮こまる。だが急に体が軽くなった事に気が付き、顔をあげる。
「すまないね、巻き込んでしまって……責任は取るよ」
そう言って硬直した愛菜を抱きかかえたエクセルは、馬車へと飛び乗った。
乾いた鞭の音と馬の鳴き声と共に馬車のは勢いよく走り出してからも、愛菜はエクセルに抱きかかえられた状態のまま離れず、彼の服にしがみついていた。
エクセルは迷った末、愛菜の頭を撫でて見た。その感触に驚いた表情をした後で複雑そうに顔を歪める。
理由は愛菜に角が無い事に気づいたからだ。
愛菜もエクセルの止まった手で角が無いと気づかれた事を理解し、一層強く服にしがみつく。その締め付けが強すぎてエクセルが声を上げる。
「アイナ嬢、少し落ち着きたまえ」
「ひぃゃっ!?」
愛菜を支えていた手が、やけに柔らかい部分を掴んだ瞬間、愛菜の体がびくんと大きく震えて悲鳴を上げた。
何処に手をやっているのかなんとなく理解したエクセルは、何度か手に力を入れたりゆるめたりした後、複雑そうに締りのない笑みを浮かべる。
その様子を真正面から見ていたクラエス、セットが「知らね」とばかりに視線を左右に逸らした。
「どさくさに紛れてどこ触ってるんですか!?」
馬車の中で乾いた音と愛菜の怒鳴り声が響いた。
椅子の上に膝立ちし、エクセルの顔を何度か叩いた後、ふと外の景色が目に入り手を止める。
だいぶ離れたカミル村の辺りからじわりじわりと畑の色が茶色く変色していく光景を目にし、背筋に冷たいものが走った。強張った愛菜の肩を後ろからエクセルがそっと触れて外のことは気にしない方がいいとだけ言って座るように指示する。
「疲れただろう。狭いが少し横になって休むといいよ」
エクセルの膝を借りることになるので愛菜は怪訝な顔を見せて断ったが、気づけば彼の肩にもたれ眠ってしまう。
愛菜は夢を見ていた。
昨日からの唐突な出来事からもはや懐かしく思えてしまう学校の夢だ。独特の緑色をしたリノリウムの床をじっと見つめながら校内を延々とさ迷っていた。
「え…」
誰かに呼ばれた気がして振り返る。
夢はそこで覚めてしまう。
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