meria 一章 - 2

自宅に帰った直後、エステルの父カミルは玄関先で壁を殴りつけ怒りで震えていた。

「化物分際でぬけぬけと……!!」

幾度と無く壁を殴りつけた後、ようやく落ち着いたのか腕を下ろす。ふらふらと家の中を歩きまわると手からは滲んだ血が床に落ちて彼の後ろをついてまわった。
何を探しているのかと思えば彼はまだ帰っていない娘の名前を呼んでいる。必死の形相で二階へ上がり、血の滲んだ手で彼女の部屋の戸を叩いた。
返事はない。

「エステル、まだ帰っていないのか」

部屋にはいるともちろん彼女の姿はなく、代わりに知らない少女が娘の寝台で寝息を立てていた。
暫くその様子を見ていたカミルは何かを思い出したように下の階へ降り、水と薬一式、あと何故か一冊の本を持って二階へ再び上がる。
少し寝苦しそうに寝息を立てる少女の横で薬となる草をすりつぶし水と混ぜ飲み薬を作り、彼女の口へ少しずつ流し込んだ。不味そうに顔を歪め、滲んできた汗を丁寧に布で拭き取る。
うっすら目を開いたように見えたのでカミルは大丈夫かと声をかけた。

「畑で陽にやられたのだろう。ゆっくりしていれば直に良くなる」
「あ……誰……」

今にも閉じそうな虚ろな目カミルを捉え、消えそうな小さな声で少女は問いかける。

「エステルの父親だ。娘もすぐに戻るから安心して休むといい」
「……あ……り……が……」

礼をすべて言い終わる前に意識が消えたのかまた寝息をたて出した。
落ち着いた様子を見届けた後、カミルは持ってきた本だけを手にし静かに部屋の外に出る。
扉を締めた後にその本を大事そうに抱くと表紙に埋め込まれた大きな宝石が青くうっすら輝き、怪しく笑みを浮かべるカミルの顔を照らす。

「ようやく現れた」

表紙に触れた手から滲んでいた血が宝石の中へと吸い込まれていく。傷が塞がるまで血を飲み込んだ後一層強く輝き、何の変哲もない本へ戻る。
手を握り開きをした後、カミルは満足そうな表情をして下の階へと降りていった。仕事場も兼ねた書斎にある本棚の隠し扉へ宝石の本を仕舞いこみ、何事もなかったように台所へ出て自分用のお茶を入れだす。
書斎から持ちだした書類に目を通しながら湯気の立つお茶を一口すすり、ため息を付いた。
内容は王家からの要請だ。国王、ダーリン=レイ・ハルシエルの花嫁となる娘の選定。並びに選びぬかれた娘を献上すること。
ただでさえ若い人出が少なくなってきている小さな田舎村で将来期待できる娘を一人失うのは痛手だし、安々と差し出せば民からも反感を買うであろうことは容易に想像できた。

「ただでさえ頭の痛い状況だというのに」

村長であるカミルと民たちのと間にある信頼関係に大きな溝があることは彼自身も良く理解していて、王家の要請を聞き入れれば溝は更に大きくなる事も容易に想像できる。
そしてそれが自身の娘であるエステルへと影響をおよぼすことも……。

「ただいま」
「ずいぶんゆっくりしていたな」
「うん……夕食何にしようか迷っちゃって」

両手に大量の食材を持って帰宅した娘の声が沈んでいる事に気がついたカミルはすぐにあのにやけた顔の男を思い浮かべた。

「あの男に何か言われたのか?」

あの男で特に思い浮かばなったエステルは首をかしげてクラエスの名前を上げた。だがカミルの顔からそうでないことを感じ取ったエステルはカミルが思っているようなことは無かったと伝える。
心配症だと苦笑した彼女の背後から腕を掴み、自分の懐へと強引に引き寄せる。華奢な手首からは想像もできない力で拒絶するエステルに向けてカミルはやはりと声を上げた。

「何を言われた。答えるんだ」
「痛いっ、やめてお父さん」
「お前は私の言うことを素直に聞きなさい。さぁ言え!」

左腕を引き寄せたエステルの首に回し、彼女の体が浮く程に力を入れる。
喉に当たる腕でうまく喋れず口を何度も開け閉めして見せた後、ようやく出た言葉は先程と全く変わらない答だった。
満足したのかカミルは首に回していた腕を解き、ゆっくりエステルの体を包むように抱きしめる。

「お父さん、お前があの男にたぶらかされて居なくなってしまうんじゃないかと心配で」

頬を寄せ、髪を撫で、熱のある吐息と一緒に耳元でそう囁く父の言葉にどうしてそんな考えに至ったのか理解できず黙ったままエステルはぎゅっと彼を抱きしめた。

「大丈夫だよ。お父さんを置いてどこかに行ったりなんかしないから」

父の気持ちが落ち着くまで抱き合った状態のまま暫く経つ。先ほどの暴力とはまた違った刺激を与えてくる父の行為が終わるのをエステルは目を必死に閉じて耐えていた。
耳元で笑い声が聞こえ、エステルの身体が大きく震える。ねっとりとした何かが這いずりまわるような感触が耳を襲い、声にならない悲鳴を上げた。

「なぁ、エステル。お父さんの言った通りだっただろう」
「うっ……うん……」
「良かったな『お友達』が現れて」

まだカミルの言葉には続きがあったようだが、エステルはそれ以上聞くことが怖くなって両手で彼を突き飛ばしてしまう。何も考えず、必死だったせいで力加減を考えなかった為、カミルが大きく吹き飛ぶ姿が目に映った。
そのまま本棚へと盛大に突っ込んだ。

「……ごめん、お父さん」

衝撃で棚から落ちてきた本に埋もれる父にエステルは素直に謝った。
その後カミルは本棚を片付け、エステルは夕食の支度を始めだす。肝心の食事の時間も終始無言だったがいつもこんなものだった。

「明日はあの男がきて私の書斎を使うから、すまんが後で人が入れるくらいに掃除をしておいてくれ」
「えっと、明日は何をするの?」
「お前は何も気にしなくていい」

そう言って食事の終わった食器を重ねたあと、二階の寝室へと向かってしまう。
重ねたはいいが片付けずに置いていった食器を見て呆れながら立ち上がったエステルは自分の食べ終わったものと一緒に洗いものを始める。ようやく一段落がついた頃には外はすっかり暗く、夜も深くなっていた。

「アイナにご飯持って行かなきゃ!」

いろんな事がいっぺんに来たような一日を思い返し、呆然としていたエステルがようやく思い出したのは自分の寝台に寝かせたままの新しく出来た『お友達』の存在だった。
慌てて用意していたおかゆを持ってバタバタと二階へ駆け上がっていく間も、父の言っていた『お友達』という言葉が引っかかっている。
不安そうに部屋のドアを開けると、まだ眠っている愛菜の姿をみて、妙にほっとした。
エステルは床に食事を一旦置き、持ってきた布で愛菜の汗を綺麗に拭き取る。すると愛菜の目元がむずむずと動き、うっすら、おそるおそると両まぶたが開いていった。
ようやく半開きになった愛菜の瞳に自分の姿が映り、エステルはにこっと笑って愛菜を呼んだ。

「アイナ、ご飯持ってきたよ」
「エステル?」
「どうしたの。私の事、忘れちゃった?」
「ううん、なんか……もっと他に誰か居たような気がして」

男の人を何人か見た気がすると言って愛菜は口に手を当ててうーんと唸る。
おそらくクラエスや愛菜を運んでくれたエクセル達の事を言っているのだろう。エステルもなんとなく気がついたが、クラエスはともかく、エクセル達はエステル自身も初対面だったし、説明するのがややこしかったのでそんなことより食事をしようと強引に話題も持って行った。

「うちの畑で取れた麦と、ミルクで作ったお粥だよ」
「凄い。これエステルが作ったの?」

茶色く一筋の線が入った大粒の麦が甘く良い香りのするスープの中で柔らかくなり形が崩れかかっているのが分かる。一口すすると甘いが少し塩気のある味が癖になりそうだ。
コーンスープやシチューに似てる。と愛菜は考えながら粥を何度も口に運んでいく。

「おいしい?」
「うん!凄く!!」

黙って食べる愛菜を不安そうに見ていたエステルだったが、その必死な声を聞いて顔を赤くして嬉しそうに微笑んだ。

「エステル凄いよ。私、料理全然だめだったからなぁ」

そう呟くと一瞬学校で調理実習をした時の記憶が頭を過ぎり、愛菜の顔が見る見る萎んでいく。
そんな愛菜を見て慌ててエステルは空っぽになった器に追加のお粥をいれて愛菜に手渡す。
なんだか足りなくて落ち込んでいるように見られた気がして、愛菜は恥ずかしそうに頷き、お粥を口にする。

「そういえば、たぶんエステルのお父さんに会った気がする」
「えっ、お父さんが?」
「なんかお薬飲ませてくれた記憶がある。髪の色とか雰囲気がエステルに似てた気がする」
「あ!ホントだ。もう、薬の器私の部屋に置きっぱなしにしてるし」

部屋の片隅に汚れた食器を発見したエステルはだらしのない父の行動にプリプリと怒って仕方ないと片付けをする。
その様子を見て愛菜はくすくすと笑う。

「お父さんとお母さん、心配してるかな」

笑った顔が少しさびしそうで、エステルはすぐに愛菜の気持ちを察知した。
愛菜に貸していた自分の布団に潜り込み、愛菜のお腹をこしょこしょをくすぐり始めるのだった。

「ちょっ!?食べたばかりでそれは駄目だよ!あはは」
「大丈夫だよ。寂しくならないように今日は私と一緒に寝ながら色んなお話しよ」

エステルが愛菜の腕をぎゅっと掴んで二人向き合って横になり、恥ずかしそうに赤くなってくすくすと笑う。
愛菜が掃除はどうしたのか聞くと、大丈夫大丈夫と二つ返事をしてまた二人でくすくすと笑った。

「あのね、今日はアイナが寝てる間に凄いことがいっぱい起こったんだよ」
「凄いこと?」
「お城の人が来てね、この村で王様のお嫁さんを探すんだって言い出してね。明日ここで花嫁候補を選ぶみたいなの」

こんな田舎にお城から人が来るなんて珍しいのに更に凄いと興奮気味にエステルは話してくれた。
愛菜は王様と聞いて立派なひげを蓄えた老人を思い浮かべ、そんな歳の離れすぎてる人と結婚なんて嬉しいのだろうかと疑問そうに顔をしかめている。

「そのお城から来た人がね、凄い魔術師みたいなの。私、術かけられてちょっと怖かったぁ」
「まじゅつし?」
「でもね!その魔術師さんの角、すごいおっきくて綺麗な形してたんだ。羨ましいなぁ」

うっとりするエステルの言葉を頼りに記憶をたどる愛菜は優しそうに笑った壮年の男を思い浮かべた。大きくて、綺麗な曲線を描いた角が頭から生えていた記憶があった。
あの人の事だろうか。愛菜の脳裏にその男のまっすぐ自分の顔を覗き込む薄い緑色の眼が蘇る。
優しそうだが、あの眼は自分の見えないところまで見られている様な嫌な感じがする人だったような気がする。だが、それでもエステルは楽しそうに彼らとの間に起こったことを話し続けている。ひょっとして自分の考え過ぎなのだろうかと愛菜はその気持を仕舞う。

「ねぇ……エステル」
「なぁに」
「エステルも角、あるんだよね」
「う、うん。私のは……小さいし、あんまり見た目良くないよ」

エステルにも角があることを思い出し、愛菜は彼女の角を話題に出した。するとエステルは身を起こし愛菜から少し距離を取ってそう答えた。あまり触れないで欲しそうだった。

「私だってほら、見えないよ?」

まずいところを聞いてしまったと焦った愛菜は追うように起き上がり、自分の頭を指差しながら自分も角が小さいから髪で見えないと嘘をついてエステルを励ます。強張っていたエステルの表情が少しだけ落ち着いたように見えてが安堵する。

「エステルの角は羊みたいで可愛いね」
「え……」
「エステルが言ってるあのおじさんの角は大きすぎて、私はびっくりしちゃうかなぁ」

愛菜は丸く渦を巻いた小さな角を触れて笑ってみせた。笑った後に反応がなかった為、また言ってはいけない事だったかとハッとして愛菜は恐る恐る顔を覗くとエステルは顔を赤くしてもじもじとしている予想外な反応をしていた。
嬉しかったのだろうか頭の中で疑問がいっぱいの愛菜にエステルは困ったように言う。

「アイナ、女の子同士でも角を触るのはあんまり良くないよ?」
「へっ!?」

あっ、そういうことか!愛菜は慌てて手を離した。
この世界の常識がいまいちわからない。ましてや角なんて生えていない愛菜にとってそれがどういう意味がある部分なのかもよくわからない。だが、あまり馴れ馴れしく触るものではないことが今のエステルの表情から察した。
たぶん、胸とかお腹とか……そういうのを触っている感じなのだろうと愛菜は推測して顔から火が出そうだった。

「ご、ごめん」
「ア、アイナはちょっとだけなら良いよ」
「そ、そう?ありがとう」

やっぱりわからない!
赤くなってもじもじと言うエステルの言葉に愛菜は動揺を隠せなかった。
エステルも何やら落ち着かない様子でベッドから降り、持って来た食器やらをかき集めて洗いものと掃除を片付けてくると言って出て行ってしまって結構時間が経つ。
何やらやらかしてしまった感じがして、愛菜は恥ずかしさのあまり布団に潜り込み身悶えをしながらまた眠りにつこうと眼を閉じる。
部屋の外でエステルの声が聞こえた気がするが、その頃にはもう眠気がまたやって来たその時で何を言っていたのかは愛菜には全く聞こえては居なかった。

「嫌!今日は嫌!!」

腕を捕まれ廊下を無理やり引きづられているエステルの頬に平手打ちが襲う。殴ったのは彼女の父親であるカミルだった。
カミルは冷たい表情でエステルを自室へ来るように腕を引っ張る。
真っ暗な父の部屋に放り投げられた後すぐに鍵を掛けられた音が聞こえた為、もう何を言っても無駄だと悟り、騒ぐことを止めた。

「あの娘が居るからか?」

暗がりにも目が慣れ、カミルが首元の釦を片手で外している様子が見えた。全て外し終わった後、父の冷たかった顔がゆっくり歪んだためエステルは小さな悲鳴を上げて部屋を逃げまわった。

「お願いお父さん、今日は本当に嫌なの」
「駄目だ」

ようやく捕まえたと腕を捕まれ、小さくなって震えるエステルの顔から血の気が無くなっていく。限界まで開いた目に映るのははだけた服から覗く父の胸板だった。
優しく頭を撫でた後、カミルは娘の角へ舌を這わせて笑う。

「ひっ……」
「お前が私を裏切らないように身体に教えておかないとな」
「お父さん、痛いよ……痛い」

後ろから覆いかぶさる父に口を塞がれた後、苦しそうに涙を流す。

「明日はあの男の目を見るな。声を聞くな。いいか、わかったな」
「うん……うんっ……」
「いい子だ。愛してるぞ、エステル」

最後の言葉で父が満足したことを理解し、エステルはようやく開放されるという安堵から意識を失う。
何度も身体を揺さぶられた感覚が残ったまま朝を迎え、起きた後も体中が重たくひどい気分だ。眠たそうな目でそばに居た父親を見るといつもの穏やかで優しそうな顔が寝息を立てていた。

「お腹、痛い……」

そう言ってシーツを被ったまま腹を抱えて部屋を出た。
そっとそっと音を立てないように下へ降りていく。心配なのはこんなところを愛菜に見られてしまうことだ。急ぎ下の階で適当に見繕った服に袖を通し、ひと安心。
次は朝食を作らないと。眠気眼でも頭はいつもの朝の習慣を呼び起こし、狂いのない手順で仕事をこなしていく。

「おはよう、エステル」

急に聞こえた父親の声にエステルはビクリと身体を震わせた。

「おはよう。お茶飲む?」
「ああ、頼む」
「うん、すぐ用意するね」

いつもと変わらない朝のやり取り。もうこの何も無かったかのような流れも慣れてしまった。
お茶を父の前に出すと、彼は静かにそれをすすりながら今日の仕事の書類に目を通している。いつもどおりの父の姿に安心してエステルの顔から笑顔がこぼれた。

「どうした、エステル」
「ううん。今日もいつも通りだなぁって思っただけ」

時々ある夜の折檻さえ我慢すれば、いつも優しくて大好きな父親であることに違いはなかった。
この一件が終わったらいつもの大好きな優しい父で居てくれるはず。そう信じて、エステルはにこにこ笑い続けることにした。
だがここでふと愛菜を思い出し、表情が曇る。

「アイナ、まだ寝てるのかな」

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