meria 一章 - 4

「へっくしゅん」

妙な悪寒がし、くしゃみが止まらなくなった。
外に出る支度をしながらくしゃみを連発するものだからエステルとカミルが心配そうに愛菜に外に出るのはよした方がいいのではと声をかける。

「でも、今日はなんだか忙しそうですし、邪魔をしては悪いですから」
「私達親子が忙しくなる内容ではないが、本当に良いのかい」
「ちょっと村の見学もしてみたいですし」
「落ち着いたら後で、私の幼なじみを紹介するね」
「うん。お仕事頑張ってね」

愛菜は起きてすぐに家の中がバタバタしている様子を目の当たりにして、これはまずいと外に出ることを決めた。
朝食を早々に終えて見送ってくれたエステル親子に手を振りながら村の中心へと向かって歩き出す。ポケットの中からエステルからもらったメモを取り出し、何処に何があるのかざっと見た後、適当に歩き回った。
まだ日も高くなく過ごしやすい空気の中、農具を持っていたり、洗濯物を干していたり、お店の開店準備をしていたりする色んな村人にすれ違う。そしてやはり皆、頭に角が生えていて、愛菜とは違う人達であることが痛いほど分かる光景だった。
ちょっと目立つのか愛菜が通るたび、皆珍しそうにこちらを必ずチラ見をしてくるのが恥ずかしい。

(やっぱり制服は目立つよね。とは言っても、これしか無いんだけど)

真っ赤な顔で俯いて歩いていると急に前からあー!と大声が聞こえたため、驚いて顔をあげる。
愛菜よりちょっと年上な青年がこちらを指差して向かってくる。

「アイナ、だったよな。もうブラブラしてて大丈夫なのかよ」
「え?ええ!?」
「なんだよ覚えてねぇのかよ。お前おぶって運んでやったの俺なんだぞー」

まっすぐ大きな角を生やした青年は怒っている口調だが爽やかな表情でそう言って愛菜を茶化す。

「ご、ごめんなさい」
「冗談だよ。俺、クラエスな。エステルから聞いてないか?」

そういえば、幼なじみがいるとは聞いていたと愛菜はこくんと頷いた。
よろしくな。そう言って手を差し出してきたので愛菜はそっとその手を握った。大きくて硬い手だったがとても暖かかった。

「何処行くんだ?仕事始まるまでなら案内するぜ」
「仕事って?」
「今日は城から変な奴が来ていて何か村の女全員と話するからさ。女達の護衛しなきゃいけねぇんだ」

そいつらの馬車に乗せてもらった事を覚えていないかと尋ねられ、愛菜はそういえばそんな記憶もあるような気がすると記憶をひねり出しながら答えた。

「無理しなくていいぞ」
「あの赤いおじさん達の事だよね」
「ああ、それそれ。うっさん臭いよなぁアイツ」

あのニヤニヤ顔を思い出しただけでも忌々しいとクラエスは空を仰ぎながら大きなため息をつきながら言った。
愛菜に対して距離がかなり近かったから気をつけろとクラエスに言われるがあまり覚えていなかった為、首を傾げる。すると呆れたクラエスがもどかしそう身体を揺らしながらに本気で気をつけろと念を押してくる。

「『大丈夫かね、お嬢さん』とか言ってベタベタ触りまくってたぞ」
「顔だけしか覚えていないかなー」

引きつった笑いをしていた愛菜の後ろで人が通る気配を感じ、振りかえると見たことのある壮年の男が笑いかけて来た。
愛菜は「あっ」という顔のまま硬直し、愚痴を溢しているクラエスの裾を引っ張る。男の存在に気付くように知らせるがクラエスの彼へ対する悪口は止まらない。

「エステルにまで同じようなことしやがって。誰でもいいのかよあのスケベジジイ」
「失敬だね!私は可憐なお嬢さん達を平等に愛おしく思っているだけだよ!」
「ん!?」

聞いたことあるねっとりした声と愛菜の悲鳴が聞こえた為ようやっと背後の異変に気がついた。
肩を抱いて自分のそばへ引き寄せぐいぐいと顔を近づけるエクセルと、必死でそれを避けている愛菜の間をクラエスは急いで割って入る。

「何考えてんだ!泣いてんじゃねーか!」
「君こそ私とそのお嬢さんの感動の再会を邪魔しないでくれたまえ」
「どこが感動なんだよ!」
「私に会えて涙を流して喜んでいるではないか」
「どういう脳みその構造してんだよこの糞ジジイは!」

連れのセットもそこは理解できないとぼそり呟いた。
疲れる。クラエスがどっと押し寄せる疲労感で息切れを起こしている間に、またエクセルは愛菜に近づき今度は手を握る。びくりと怯える愛菜にエクセルは先程とは違い優しい声色で愛菜の体調を心配してきた。

「もう具合は良いのかね」
「はい……あの時は、ありがとうございます」
「それは良かった」

そう言ってエクセルはじっと愛菜の顔を見つめる。名前を教えてほしいと言われるが、彼の眼を見ていると妙な胸騒ぎがしてそっと眼を逸らした。
エクセルの眉が一瞬ピクリと動き、冷たい表情に変わる。
術が効いていない。エクセルは愛菜の想定外の行動から異変に気が付き腹の中でおかしいと呟いた。本来ならば、先日のエステルと同じような反応が帰ってくる予定だったが、彼女は眼をそらし、名前を一向に教えようとはしない。

「恥ずかしいのかね?」

笑って愛菜へ囁いて見せるが、内心動揺が隠せない。
他にも、彼女に対して違和感を覚えたエクセルは徐々に本気で愛菜に対し興味を持ち始める。

「じゃあこの村での仕事が終わったら尋問でゆっくり聞き出すことにしようかね」

教えてくれないならしょうがない。とエクセルは愛菜の手を放すと意地悪そうな笑みを浮かべて愛菜を見下ろす。

「じん……もん?」

何を言われているのか理解できず困った顔でオウム返しをする愛菜に、エクセルは冷たい眼を向ける。
次に彼が口にした言葉から状況を理解した愛菜から血の気が引いていく。

「君、うちの国の人間じゃないだろう?」
「それは……」
「国境付近という訳でもない。こんな田舎村に何をしに来たのかねぇ」

誤魔化しようは無かった。
現に愛菜は彼らのような角など生やしていない、ここでは明らかに異質な存在。まだ特に言及されていないが、自分だけ角がない無い事を知られたらどうなるのだろうか。
珍しい物扱いされ連れて行かれる自分を想像して急に此処に居ることが怖くなってきた。

「何しに来たはこっちの台詞なんだよ。この糞野郎」

愛菜を自分の背でエクセルから守るようにクラエスが前に出る。

「名前は絶対に教えるな。コイツ名前を使っておかしな術をかけて来るからな」
「もうバレてるか。やっぱり君は嫌いだよ、クラエス君」

にやつくエクセルに名前を呼ばれ術をかけられるのではとクラエスの身体が一瞬反応する。
だが、その後エクセルは意味深な笑いしただけで特に声が聞こえたり、身体を操られるような事は起こらなかった。謀られたと理解し歯をむき出しにして卑怯者と罵倒し地団駄を踏む。
口汚い言葉を浴びせてくるクラエスを笑いながら流すエクセルと隠れていた愛菜の視線がかち合う。

「君は好きだよ」
「えっ!?」
「尋問の後は、夜伽でもしてもらおうかな」

そう言ってエクセルは手をひらひらと振り、先ほど愛菜が歩いて来た同じ道を辿るように去っていく。
急に静かになった二人はどっと疲れを表しながら、お互いの顔を見合わせた。

「ねぇ、クラエス」
「なんだ?」
「トギって何?」

真剣な表情で尋ねられ、クラエスは真顔のまま硬直する。
そして愛菜はその意味を教えてもらうことはできなかった。
なんつー言葉教えてんだとクラエスの怒りがエクセルに伝わったのか、村長宅に到着し扉を叩こうとしたエクセルの顔面に勢い良く開いた扉が直撃した。
あまりの激痛に顔をおさえてよろけるエクセルと、ちゃっかり後ろに下がって涼しい顔をしたセットの存在に気がついたのは家から大量の洗濯物を抱えて出てきたエステルだ。今ならいけるとすき間時間を使って洗濯物を片付けようとしたことが原因の痛ましい事故だった。

「すみません。私、力加減が下手で」

そう言って手当をするときも確かに容赦なく消毒液を鼻に掛けられた気がすると机で腕を組むエクセルが呟いた。
嫌われてんじゃねーの。とセットが率直な感想を述べるとそんなことはないと否定し、不愉快だと鼻息を鳴らして詰め物を吹き飛ばす。
鼻血が止まったのを確認し、ようやく花嫁探しの面談が開始されることとなった。
一人目の娘、二人目、三人目。特にこれといって文句のつけようのない真面目な質問をエクセルが投げかけ、答えを記録していく。時折娘達の顔を見たりはするものの、あの病気が発病する気配は無い。
ただ異様なのは、娘達はエクセルと話しだすと段々虚ろな表情になり、彼の質問に対し喋らされているかのような印象を受けた。
そうこうした後、話を終えて出てくる娘達の様子がおかしいことはエステルもカミルも薄々気づいているのか口を閉じたまま村の男達に支えられて出て行く娘達を見送っている。
彼女たちの様子を見てエステルはカミルが言っていたエクセルの目を見るな、声を聞くなと言っていた意味がわかった気がした。

「悪趣味な術だな」

顔には出さないが不快感を露わにしたカミルの言葉にエステルは顔を曇らせて、面談が行われている部屋の方へ顔を向ける。
部屋から出てくる女の子たちの様子が少し前にエクセルと会話をした時の様子と似ている事が気になっていた。

「それにしてもお父さんって魔術について知識があったんだ」

時間を持て余し、何やら小難しそうな本をめくり続けている父親を覗き込みながら、意外だと話題を振る。
カミルは本を閉じて言葉が返ってくるのを待っている娘を見つめながらこれまた小難しい説明をしてくれた。

「あれはおそらく神降ろしを応用した精神洗脳を引き起こす呪術だろうな」
「カミ、オロシ?」
「……お前には少々難しいようだな」

聞き慣れない言葉を聞いたエステルは顔をしかめてどうにか話について来ようとする。その顔を見てカミルはふっと笑いエステルの頭を撫でた。自然な笑顔の父を見たのは凄く久しぶりに思えたエステルは嬉し恥ずかしそうに顔を赤らめて父の手を受け入れた。
一件仲の良い親子に見える二人が、親子というより恋仲の関係に近いものを感じていたのは面談を一段落終えて出てきたエクセルだった。長時間の仕事疲れから何か飲み物を貰おうと出てきたはいいが、えらい場面に出くわしてしまったと少し後悔する。

「…………」

無言で二人の様子を見ていたエクセルから徐々にいつも浮かべていた笑みが消えていく。どこか辛そうに目をしかめながら意を決したかのように急に二人の前に出てわざとらしい咳払いをしてみせる。
その音にエステルは大きく反応を示し、真っ赤な顔で何か用事でもできたのかとエクセルに尋ねる。反対に父親のカミルは涼しい顔と言うよりは憎悪に近いものを感じさせる視線を向けた後、持っていた本へ再び視線を戻して素知らぬフリである。

「お恥ずかしながら喉がからからで、何か飲み物を頂けないでしょうか」
「あっ!すみません、気がつけなくて。すぐにお持ちしますからお部屋でお待ち下さい」
「エステル嬢の様な可憐な方を使いのようにしてしまったようで、申し訳ない」

慌ててお湯を用意するエステルには聞こえているのかわからないが、エクセルは自分よりも二回り以上も若い彼女にに対し何度も頭を下げて詫びを入れる。もう一度、カミルの方へ視線を向けるが彼はこちらを見ようとはしない。
随分と嫌われていると改めて理解したエクセルはこれ以上、関わっても悪化するだけであろうと諦め用意された部屋へ戻ろうとしたが、何故かカミルの読んでいる本が気になった。彼の読んでいる本から微量の魔力を感じるが、記憶では彼は魔術の心得は無かったはずなのだ。

「随分、珍しい書物をお読みのようですねカミル殿」
「ああ、先日来た行商人から購入した本だ。なかなか興味深い内容でね」
「ほう、私も本はいくつか嗜んでおりますがその表紙は初めて見ました。どんな内容の本なのですか」

気さくな質問。だが、答えは返ってくることなく無理に笑ったエクセルの顔が引きつる。
反応は相変わらず。そしてぱっと見た限り、何の変哲もない学問書に見えた。行商人の荷物の中に魔術用具が混ざっていたのだろうかと無理やり納得する。

「エクセル様、すぐにお持ちしますので先にお部屋に戻っていてください!」

二人の間に漂う大変良くない空気を察知したエステルは慌てて茶器一式を用意しながら悲鳴のような声で早く部屋に戻った方がいい目線で訴えた。殺気にも似たエステルの目を見てエクセルはバツが悪そうに頬を掻き毟りながら部屋へと引っ込んでいく。
それを追ってエステルもお茶の用意一式を持って後に続いた。
エステルが部屋に入ってぎょっとしたのはまだ少女が一人中に残っていたからだ。

「ちょっと戻らなくなっちゃってねぇ……お茶でも飲ませるとだいぶ落ち着くと思うんだけど」

ピクリとも動かず両目とも開ききった状態のまま椅子に座る少女に手を振って見せるエクセルの背が困ったなぁと呟いた。
お茶を入れた器を無言で彼に渡すとエステルは不審そうに眉をひそめお茶を飲ませる様子を見守る。どういうわけかそばに居たセットが無言でエステルへ距離を詰めてくる事も気になっている。

「何をしたんですか」
「ん~、ちょっと素直な意見を聞きたかっただけだよ」

まだ台詞には続きがあったようだが、彼の声は茶器の割れる音でかき消されてしまった。
音のする方を見れば先ほど少女に渡した茶器が粉々に砕け散って床に散らばっていた。案の定というか、その音でカミルが何事かと声を上げるのでエステルはとっさに自分がドジをして落としたとだけ答え、気にするなと父へ伝える。

「触らないで。純血主義者なんて側にいるだけで不快なのよ」

エステルは割れた器のかけらを拾いながら「気持ち悪い」というその言葉を聞いてびくりと体を震わせた。彼女の言っている台詞が自分に向けられているような気がして怖くなる。
恐る恐る、少女の方へ目を向けると目に入ったのは入れなおしたお茶を容器から一気に口に含んだエクセルがそれを少女へ口移しをして飲ませる瞬間だった。何が起こったのか理解が出ず拾い集めていた容器のかけらを落とし呆然とその様子を見ている。
エクセルの喉が何度か波打った後、少女の口から舌を引っ込め最後に残った雫を口端から舐め取ると徐々に少女の虚ろだった目から光が戻っていく。
エステルは生々しい光景に耐えられず、顔を赤くして目を逸らした。

「君、不合格ね」

笑って目の覚めた少女にそう一言だけ言う。しばらくすると今までの事を思い出したように少女は震えだし、にやついたエクセルの頬めがけて平手打ちを食らわせた後、部屋を泣きながら出て行った。
対して痛手ではないといった涼しい顔でエクセルは器へ温かいお茶を入れなおし、一口すすると安堵したかのような大きなため息をした。

「別に好きで純血主義者やってるわけじゃないさ……」

そう言うとエクセルはエステルを見て同意を求めるように「ねぇ」と問いかけてきた。
父から言われた眼を見るなという言葉を思い出し、エステルは直ぐ様彼の視線から目を反らし、問いかけには答えなかった。
連れない反応を見せられエクセルは慣れてるとばかりに笑ってすませる。

「おい、こんな茶番いつまで続ける気だ」

割れて散らばった器を片付けるエステルの後ろで何やら二人が揉めだしたようだ。
エステルは顔色変えず掃除を進めていくが、耳に入ってくる会話はあまりいい気分にはなれない内容だった。
セットの言葉から先ほどのような事が娘達が来る度に起こっているらしく、しかもそれはエクセルが意図的に彼女等を怒らせているという。

「どいつもこいつも純血主義は汚らわしいだの理解が出来ないだの……陛下も純血主義の生まれだと知らんのかね、この村の娘達は」
「俺だって血が繋がってる同士でしか縁組しない貴族のイカれた習慣なんて理解したくも無いぞ」
「だからそのイカれた習慣を止めようと見合い相手探してるんだろう」

机を叩きつけ、声を荒げるエクセルの言葉で場が凍りつく。

「今は自分たちが多数派で声が大きいだけで、王家に嫁げば立場は逆転する。アレ等がそんな生活に耐えれるわけがない」

だから自分を罵倒するような娘は絶対に連れて行かないし、この縁談には向いていない。
そう言って席に座り直したエクセルは不機嫌な表情のままエステルを呼んだ。
お茶のおかわりだそうだ。
一度台所へ戻り、入れなおしたお茶を持って再び部屋に入ると二人の口喧嘩は更に白熱していた。

「陛下の希望はこの小娘なんだろう。あんな親父の言うこと無視してふん縛ってでもつれてきゃいいじゃねぇか」
「えっ!?」

急に来た話について行けず驚くエステルに、勝手に喋ったセットに頭が痛いとエクセルは頭を抱えて机に突っ伏している。
先ほどのセットの台詞が頭のなかで何度も再生されている状態でエステルは持ってきたお茶をエクセルに渡し、すぐに部屋を出ようとした。
受け取ろうと差し出した手で茶器ではなくエステルの腕を掴んだエクセルが黙ったままじっと掴んだ手首を見つめた後、顔を上げて不気味な笑みを見せて問いかける。

「昨晩はカミル殿は優しくしてくれたかね?」

暫くしてエステルはその言葉の意味を理解し、両目を限界にまで見開きエクセルの顔を見た。
わなわなと震えながら彼のまだ赤い頬めがけて平手を打ち付けるとエクセルは椅子と一緒に床へ転がっていく。

「痛ってぇ……追い打ち……」

エステルは肩で息をしながら開いた手を握り歯を食いしばる。頬をおさえて悶えているエクセルを汚らわしい物のように見下ろし、その拳を振り下ろそうとした。
流石にまずいと思ったセットが後ろからエステルの両腕をつかみ、制止する。だが大の男が押さえつけているにもかかわらず、エステルの体はその制止を振り切ろうと徐々に前進しているのがわかった。
この女、おかしい。セットは必死に動きを止めながら強く思う。

「ふん縛って、連れて行けそうか?セット」
「いや……すまん、無理だ。なんなんだよこの女」

だろうな。と起き上がったエクセルは腫れ上がった頬を撫でた後、口の中が血なまぐさいと赤く滲んだ唾を吐き捨てる。
次に目をやった時には頬の腫れが徐々に引いていき皮膚が音を立てて再生していく様子を見せられる。音と合わせてエクセルの顔が歪んでいるのはおそらく痛みがあるということだろう。

「純血主義の理想ともいうべき存在かな」

あれだけ腫れ上がっていた頬はもとの状態へ戻り、にぃっと彼はいつもの笑みを作る。
身動きのできないエステルの目の前まで歩み寄り、少し強めに彼女の顎を掴み自分に向くように持ち上げた。

「高い身体的能力、豊富な魔力、代々伝わる奥義……一族繁栄を導いたものを絶やさぬように、薄めぬように、血を濃く残し、より強い力を手に入れたい。その集大成がこの娘のような存在さ」
「勝手に人を珍しい物の様に言わないで。変なのはあなただって同じじゃない」

目尻を下げて自分の顔を覗き込むエクセルのくすんだ宝石のような眼をエステルはずっと睨み続ける。
他の同世代の娘達と自身が異質であることを指摘されが癇に障ったのかエステルはお返しとエクセルの容姿や言動、おかしな術を使ったり容姿が普通ではない事を指摘する。ずっと気になっていた彼の額に描かれた赤い紋章。なんの意味があるのか分からないが、彼の只ならぬ空気を醸し出す要因の一つである事は間違いない。

「純血主義で高位な魔術も使えるってことはあなただって何か隠してるんでしょ」
「なら見るかね?きっと君も村の人間と同じ事を言うと思うよ」

汚らわしい。怖い。人間じゃ無い。私たちとは違う。化け物。
エクセルは笑いながら自身が今まで言われて来た言葉を羅列して行く。そんな言葉を延々と言い続けながらなんで笑っているのか理解ができないとエステルは止めるように言って目を閉じる。

「もうやめてください。こんな事されたら、また村の人たちが私達を悪く言う。私はただお父さんと普通の親子として普通に暮らしていたいのに」

エステルはぼろぼろと涙が溢れだした。エクセルは手を引っ込め、セットにも手を放すように指示する。
恐る恐る、手を放しエステルから離れるセットはまだ警戒を解いていない。止まらない涙を止めようと手で拭い取るエステルに向けて剣を構える。

「女の子に剣を向けるな、馬鹿者」
「お前なぁ、護衛するこっちの身にもなれよ」
「彼女の件は黙って連れて来て悪かったと思ってるよ。後で多めに渡すから勘弁してくれ」

予定の報酬を上乗せすると言われてようやくセットは剣から手を離し、憮然とした様子で腰に手を当てた。二人に手を出さないと言う意思表示だ。
彼が落ち着いた事を確認し頷いたエクセルは未だ泣き続けるエステルの姿を見て次はこっちかと困った表情で頭を掻く。
エクセルは泣き続ける彼女の肩を抱き、頭を軽く撫でながら落ちつくように優しい言葉を短く何度も投げかけていく。術に掛かった他の少女たちが取り乱したときと同じ方法だが、効いているのかエステルの涙は止まった。

「お父さん……」
「エステル嬢は本当にカミル殿の事をお父上として愛しているのだねぇ」

当然のことだが、それは純血主義者にはなかなか難しい事だとエクセルは言う。ずっとそばに居て、これからもずっと居てその人しか知らず、なんの疑問もなくその人と子孫を残して行く。そんな中で生きて行くと親子の愛情など消えてしまい気がつけば男女のものになっている。そのおかげである問題が発生し、歴史ある貴族達はどんどん数を減らしている。
そんな中で彼女のように父親の愛情を求める存在は希少なのだ。

「純血主義のことで村人から色々言われ続けるカミル殿が心配だったんだねぇ。だからそうやって気を張って自分が守らないとって自分を追い詰めて居たのだろう」
「なんで、そんな事言うんですか」

自分の気持ちを言い当てられ恥ずかしさと悔しさでまた泣きそうになっているエステルの質問に、エクセルは笑ってある人の話をし始める。エステルと同じようにバラバラになりつつある家族のために自身がこの状況を変えるために行動している男の話だった。
家族を想う気持ちからエステルもその男も同じ強さを感じるとエクセルは言う。

「私には出来なかったですからね」

何か思い出し、そう低く呟いた自身がの言葉に一瞬どういう顔をしていいのか悩んだが、エクセルは少し困ったように眉を下げて笑ってみせる。するとエステルはしおれた顔で俯くのでまた泣かせたと、かなりショックを受ける。

「あの……エクセルさ……ん」

言おうか、言うまいかエステルはずっと悩んでいた事をやっと言えるような気がしてエクセルを呼んだ。
呼び方を変えたのも、その話題を出して良い人なんだと先ほどのやり取りからエステル自身が出した答だった。
のだが。
部屋の入口が勢い良く開いたため、中に居た三人ともが驚いた様子でそちらに気を取られてしまった。
勢い良く女の子が一人放り投げられ、入り口は締まり、外から何やら聞いたことのある青年の声が「よそ者を巻き込むな」とか「あの変態に会わせたら駄目なんだって」とか叫んでいる。
床に転がっていた少女が起き上がると部屋から出ようとするが、どうやら開かないらしくひどく動揺した様子でおそるおそるとこちらへ振り向く。

「アイナ?」

状況が分かっていないエステルが彼女の名前を読んだ瞬間、エステル以外が「あっ」と声を上げる。
呼ばれた愛菜本人は絶望の表情を浮かべ、片やそれはそれは嬉しそうに締りのない笑顔のエクセルを交互に見たエステルが何か理解したように顔を輝かせた。

「すでに二人は交流があったんですね!」
「ええ!なにせ、馬車でこの村へお連れしたのは他ならぬ私ですからね?ね、アイナ嬢」
「うええええええん!!!」

教えてもいない自分の名前を呼ばれ、恐怖で泣き出す。逃げようとする愛菜をがっちり抱きしめて離さないエクセルの息が耳元に吹きかかり背筋に寒気が走る。
セットから見れば愛菜が可哀想でしかたがないのだが、何故かエステルは「良かった」と、この状況を喜んでいるため心底理解が出来なかった。

「エクセルさん、私の代わりにアイナをお城に連れて行ってあげる事は出来ませんか?」

そして彼女のこの一言で、馬鹿騒ぎをしていたエクセルですら動きを止める事態となった。
エステルの急な話に一番困惑しているのは当然、愛菜だろうが、それと同じように降って湧いたエクセルも動揺の色を隠せない。

「アイナは記憶喪失なんです。どうやって此処に来たのかとか、自分の住んでいた場所も名前くらいしかわからなくて凄く困ってたんです」
「ほぅ、それは初耳だね」
「帰る方法がわからないなら、いっそ陛下のお嫁さんになったら幸せになれるんじゃないかなって」

最後の方は自信なさげでどんどん声が小さくなっていくエステル。理由はエクセルの顔が思いの外険しいものへと変わっていったからだった。
嫌がる愛菜から体を離し、不安そうに見上げる彼女の頭を撫でながらエクセルは首を振る。

「残念ですが、それには応えられない」

エステルもその答えは想定内だったのか驚く様子はなかった。だが、諦めた様子はなくどうしても無理なのかと食い下がる。

「私は貴女を連れて帰るように陛下から命を受けております。例え陛下の花嫁となるかも知れぬ貴女のご命令であろうとも、陛下の命に背く事は出来ません」

そうきっぱりと良い、エクセルは恭しくエステルに対しお辞儀をしてみせる。
だが、とエクセルは自分を不安そうに見上げる少女へ視線を下ろしニヤリと笑ってみせた。その顔は何か良からぬ事を考えているものである事は愛菜にも容易に想像できた。
彼から離れようと片足を後ろへ下げようとした矢先、手首を捕まれどこに行くのかと笑って追求された。

「ですが、陛下の大切なエステル嬢の希望だ。君の身柄を保護する事を検討するとしよう」
「検討するってどういうことですか」

エステルへに比べ愛菜への上からの態度にむっとして講義する愛菜の前に向き直ったエクセルは填めていた真っ白い右手袋を外し、その手で彼女の頬を撫でた。
その様子を見てエステルが赤くなって小さな声を上げるのと同時に、愛菜も男の突然の行動に動揺し体がビクリと反応する。

「エステル嬢がああは言っているが、それは君がついた嘘で、実は敵国の工作員かもしれないだろう?」
「なっなにするんーー」
「ちょっとだけ、見せてもらうだけだよ」

一段下げた声で愛菜の名前を呼んだエクセルは左手で愛菜の体を引き込み、両目と両口端が同時に歪ませた。
名前を呼ばれてから愛菜の背筋に何かが這いずりまわるような感覚と、頭の中でばらばらと本が高速で捲れていくような音が聞こえ出し悲鳴を上げるが口を塞がれてしまう。
短い悲鳴と愛菜の怯える表情に異変を感じたエステルが止めに入ろうとしたがセットに止められる。振り払おうと彼を睨むが、何かに怯えるような表情で首を振られた。
鎧を着た屈強な彼のこれほどまでに怯えた表情を見てエステルも悟ったのか、振り払おうとした手を下げ、恐る恐る愛菜達の方へ視線を向ける。

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