生まれたままの〈心〉は隠された宝箱の中
私は自分の〈心〉の生まれたままの姿をこの目で見てみたいと思う。
絵や文章で形にしてみても、それは自分の脳や身体、文字や色を通って
来ているので多少の装飾や加工を施されて表現される。
そこが楽しくて面白くて、好奇心をくすぐられる部分でもあるのだが。
〈心〉はきっと、自分の中に隠された宝石箱の中で、
この世に存在する色や存在しない色に常に移り変わりながら、今も輝き続けている。
そこから自分の脳や身体を使って外に出してしまうとありのままの〈心〉は消えてしまう。
表現のうちのひとつに料理があるが、
自分の〈心〉が食べたいと思った食材のありのままの姿は
見ることができるので、少しこの気持ちが紛れる気がする。
そして出来上がった料理を食べるという行為は形になった自分の〈心〉を
食べているということになるのかもしれない。
絵や文章で表現する場合は、その素材となる自分の〈心〉を目で見ることはできない。
定期的に、この世のものではない何かに、私の中の宝箱から〈心〉を
大切に取り出してもらって、そのまま目の前に差し出してもらいたい
ようなもらいたくないような気持ちになる。
しかしそんなことはこの世の誰にも、何にもできないからこそ、
自分の全てを使って〈心〉を一番大切に扱い、表現しようと思えるのかもしれない。
ちなみに、書いている途中で〈〉の中に心を入れてみるとなんだか
ダイヤの形のように見えた。さらに宝石箱の中に入っているようにも
見える気がしたので〈心〉と記してみた。
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