アケルマンのフェミニズム映画:「ジャンヌ・ディエルマン」ノート
シャンタル・アケルマンの出世作、「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」を観た。この長いタイトルは一人息子を養う寡婦のジャンヌの宛先だろう。
暖房をつける、息子の靴を磨く、朝食を並べる、息子を起こして学校にやる、食器を洗う、買い物をする、ポストの中身を見て、男と寝て日銭を稼ぎ、夕食をつくり、息子に本を読みながら夕食を食べる癖を戒め、食器をまとめ、ラジオをつけて、息子のセーターを編み、ともに散歩する。淡々と日課が記録されていく過程で、ボタンのかけ忘れ、いもを焦がし、コーヒーを腐らせる、といった完璧にこなされていた家事が少しずつ綻びる。
この200分もの大作のなかで見逃してはならない符牒は、カナダにいる妹からの郵便物である。はじめはカナダからの近況報告で、夫と死別した美人の姉に再婚を促す。わざわざ息子の前で読み上げる。ジャンヌが再婚を望んでいるかどうかはまったくわからない。しかし、自分のアパートに日替わり男を招いて売春してどうにか食費を稼ぐあたり金銭的な余裕がなく、また、息子との冷めた関係を見るに、日常的に孤独に苛まれているにちがいない。それでいて、息子の性のめざめの相談にはタブー視してとりあわない。
3日目の夕方にいたって、かわるがわる帰り際の玄関口で紙幣を渡す男たちが、売春客であることが判明する。最後の客はほとんど強姦まがいの苦痛をジャンヌにもたらす。そして、淡々と家事をこなすように、まさにネズミを駆除するかのように、行為後の悦にいる男を裁ちばさみで刺し殺す。そのはさみは、おそらく北米にいる妹から届いたピンク色のネグリジェの固い包みを、あけるためにキッチンからもってきて、男の来客を報せるベルが聞こえるやいなや、わきに置いていたものだった。
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