大きな音が不安。
突然不安になることがある。
不安と呼ぶのが正しいのかもわからない。
お腹がモゾモゾして、
脚がソワソワして、
酸素が薄くなって、
吸っても肺が動かない感じ。
そのうち、全身が心臓になったような感じになって、ボーッとして、世界が遠くなる。
私の意識が後ろに下がる。
望遠鏡を逆さまにして覗いてる気分。
ただ部屋で何もしていない時に起こすこともあるし、
テレビで音楽番組を見ていて、心が動いた時に起こすこともある。
しかし、大きな音・騒がしい場所・沢山の人が最もトリガーになることが多い気がする。
例えば、大きな駅。
アナウンスが爆音で流れ、
人や物、お店から流れる洪水のような音。
目の前を行き交う無限にも思える人。
どうしたらいいか、わからなくなる。
ある商店街を歩いてて、偶然お祭りの開会式に立ち会った。
スピーカーやマイクから聞こえるテンションの高い男の人の声。
それを近く遠くから見る多くの人、人、人。
心臓がトクトクと早く打つ。
耳を塞ぎたい。
平然としようとすると瞬きが止まらない。
段々と肩が上下する。
あぁ、本当に人混みがだめだ、と思う。
動作が雑な家族が、ドアを「ドカンッ」と大きな音をたてて閉める。
ふっと意識が遠くなり、5分くらい呆然とする。
人が怖い。
誰が悪意を持って、こちらに向けてるかわからない。
他愛もないお喋りに耳をそばだて、悪いようにネットに書き込む人がいるかもしれない。
突然、刃物を向けられるかもしれない。
どこに危害を加えてくる人がいるか。
毎日に予測が立たない。
一生懸命日々をやり過ごしていても、
道を歩いてるだけで誰かを不快にして、突然すれ違いざまに文句を言われたり、暴言を吐かれたりする。
苛々してて、ちょうどちょっと目に障ることをしてて、ちょうど鬱憤晴らしに一言言ってやっても何もしてこなさそうだし、されてもどうにでもなる、って本能的に思わせるからそういう人に絡まれるんだと思う。
絡まれないためには、完璧に清く正しく生きるか、ゴリゴリの金髪ヤンキーねぇちゃんになるかの二択。
生きる気力もぎりぎりな私が髪を染めたって見破られて、結局舐められる。
いいよね、お説教したおじさん・おばさんは、さぞすっきりした気分だろうな。
あなた達にとって、私は落ちてる空き缶と同じなんでしょうね。
他者にとって、私はゴミだから、虐げられる。
簡単に誰かの悪意の的になる。
誰かの鬱憤をぶつけられることが存在理由。
ただ安心安全に「今日も何も無かったね」と終わる1日が欲しいだけなのに、手に入らない。
何度も何度も、缶蹴りされて、次はいつどこで缶にされるだろうと思うと、見知らぬ他人と会うことが怖くて、外に出たくなくなる。
それでも出なきゃいけなくて、毎日が恐怖の中で歩く。
段々と、身近な人でさえも怖い気持ちが再燃してきて、あの人もあの人もあの人も私の事を嫌ってる疎んでると疑心暗鬼になって、
今の一言が今の一挙動が、相手を不快にさせたんじゃないか、評価を下げたんじゃないかと不安になる。
誰かに、缶蹴りされることに怯える人生ならいらない。
生きていくことは、怖い。
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