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リアリティ・トランサーフィンの考察㉚『他人の目的』

他人の目的は、流行や権威といった仮面で装う。

「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン〈2〉魂の快/不快の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)


折に触れて書いていますが、トランサーフィンにおける願望の実現とは言ってみれば「消去法で残った目的は現実化する」というようなニュアンスのものになっています。そもそも、邦訳本の第2巻は副題が「願望実現の法則」となっているにも関わらず、著者のゼランドは冒頭で願望は(それが願望でしかないかぎり)叶わないと言い切っています。それゆえ、以降の本文中では願望に代わって「目的と意図」という言葉が使われています。

つまり、これは邦訳の出版に関わる人々による、明らかなミスリードでした。もっとも、出版された当時は引き寄せの法則など願望実現法に関する本が大流行していた時代であったので、本を売るためには、このようなミスリードはむしろ「よかれ」と思って行われたかもしれないと思います。

本は売れてなんぼ、というのは分かりますし、実際にこの手のジャンルとしてトランサーフィンは日本でもかなり売れた部類に入るのではないかとも思います。結果として、たくさんの人にトランサーフィンが認知されたわけですから、その判断が間違っていたとは、わたしも思わないです。

とはいえ、「願望実現の法則」という副題によって、外的意図という名の迷宮に迷い込んでしまった人は少なくなかったことでしょう。かくいうわたし自身も、当時そんな一人でした。そんなわたしが十何年の歳月を経て、いまこうしてトランサーフィンについて曲がりなりにも解説・解釈のようなものを書かせてもらっているわけですが、これらの記事を読んでくださった方々の記憶の一部が過去の迷宮から脱出することに成功したなら、こんなに嬉しいことはありません。

さて、前回の記事では「他人の人生ラインに幸せは待っていない」ということと、「自分の扉から自分の目的に向かっているなら、あなたはいまここですでに幸せである」ということをみてきました。

なんども繰り返して言っていますが、トランサーフィンは意識性を高めることによって不運もしくは不幸を回避するテクニックです。意識性は気づきの度合いのことですが、それはホーキンズ博士の意識のスケールの概念における意識レベルとも同義です。

意識レベルが高まるほど、回避できないようなカルマや煩悩(カルマも煩悩も実際はおなじものですが)は少なくなっていきますから、ほんとうのところは意識性を高めるということそれ自体が不運や不幸を遠ざけてくれるのですが、これについては卵が先かニワトリが先かという話で、意識レベルが高まるとカルマが減るとも言えますし、カルマが減るから意識レベルが高まるともいえます。しかし、真実はどうかというと、これらは同じものを異なる側面からみているだけです。つまり、実際には意識レベルが高まることもカルマが減ることも、同時に起こっています。

ですから、トランサーフィンの技法を活用することと、意識性を高く保つことも、実は同じことと言えます。意識性を高く保つからこそトランサーフィンを実践できると言えますし、トランサーフィンを実践することで意識性が高まるとも言えるわけです。

意識レベルが500を超えるようになると、自分も含めた人々が「ほとんど無意識的に生きている」ことに気づきはじめます。グルジエフに言わせるとほとんどの人間は「眠りこけて」いて「控えめにいって糞」だそうです😌

糞まではさすがに言い過ぎですが、実際のところ、ほとんどの人は意識が自我と一体化してしまっていて、「自分がなにをやっているのか、自分で分かっていない」状態のまま、その一生を終えていきます。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

(ルカ23:33〜34)

これをトランサーフィンの観点からみると、その人は破壊的振り子に支配されて、振り子の目的と自分の目的を取り違えて生きている、ように見えたり、あるいは過剰ポテンシャルをあちこちに産み出して、平衡力によってにっちもいかずひどい目にばかり遭っている、ように見えるわけです。

つまり、意識レベルが相応に高い人は、トランサーフィンを知らなかったとしても、それを知っているのと同じように、振り子のような思考エネルギーが産み出したエレメンタルや重要性という錯覚がいかに人の人生を狂わせているかを見抜いてそれを回避して生きています。

そう考えると、トランサーフィンはその人の意識レベルを500以上の領域へと引き上げるための「道」の一つであるといっても、おそらく過言ではないはずです。逆に、トランサーフィンをただの願望実現法だとしか認識しないのであれば、その恩恵は小さいかもしれません。なぜなら、ゼランド自身が願望は実現しないと言っているわけですから。

……と、前置き(なのかなんなのか、もはやよく分かりませんが)が長くなりましたが、トランサーフィン第2巻において、最終的に「回避しなければいけないもの」が他人の目的と、他人の扉です。

もし目的を達成する行為によって自分やほかの人々に何かを見せつけたいのであれば、つまりそれは偽りの目的である。

「なぜそれをしたいのか?」と、自らに動機を問うことは意識レベルの観点からいっても大切です。なぜならそれは簡単な話で、動機には意識レベルが反映されているからです。いいかえると、人はその意識レベルによって動機づけされるということです。

もしその動機が「マウントをとりたい」というものなら、その動機は深く考えなくても自己中心的で低い意識レベルから来ていることが明らかです。が、それだけではありません。自分や他者になにかを見せつけたいという、その「なにか」には、例えばどんなものがあるでしょうか?

それは、「経済力(資産)」であったり「社会的地位」であったり、その他のものであるかもしれませんが、ここで例えばといって挙がってくるものはすべて、振り子と関係があるはずです。つまり、その振り子が自分の振り子でないかぎり(普通はほとんどそうですが)、その見せつけたいものをあなたが手に入れるためには他人の目的に手を貸すしかないというわけです。

他人の目的は、あなたが他人の幸せに貢献するものでしかない。もし目的があなたの人生に好転をもたらさなければ、その目的はあなたのものではないことになる。

本当の目的は、いつもあなたのため、あなたの幸福や成功のために作用するものだ。あなたの目的は、あなただけにとって必要とされる。

もしその目的が他人の求めるものを満足させるためや他人の幸福に貢献するために直接役立っているのであれば、その目的は他人のものということになる。振り子はもっともらしいあらゆる口実を使って、他人に仕えるようあなたを強制しようとする。

もちろん、ものには程度ということがあります。生活するのに必要なだけの収入を得るために、多くの人が振り子と関わることによって他人の目的に貢献しています。その本質を理解したうえで割り切ってしまえば、振り子から必要以上にエネルギーを奪われることもありませんし、最悪の場合は会社を変わるなど、うまくやっていく方法はトランサーフィンが教えてくれてもいます。

しかし、厄介なのはこの記事の冒頭に引用したように、「他人の目的は、流行や権威といった仮面で装う」ところにあります。いい会社で働くとか、いい服を着るとか、いい車に乗るとかいった目的はすべて他人の目的が「流行や権威」を偽装しているパターンといえます。ゆえに、「見せつけたい(マウントをとりたい)」という動機があるなら、それは偽りの目的、すなわち他人の目的であるということになります。

他人の目的は魂の不快を引き起こす。通常、偽りの目的は、とても魅力的なものだ。それに熱を上げた理性は、目的のありとあらゆるメリットを鮮やかに描き出す。ところが、目的がこれほど魅力的であるにもかかわらず、あなたのどこかが重苦しく感じられるのであれば、自分に正直になる必要がある。

理性=エゴはいつだって簡単に騙されます。なぜなら、いい会社もいい服もいい車もすべて、エゴにとっては自らの一部となるからです。それらを持っている自分は「すごい」となんの疑いもなく思えるのがエゴの性質です。しかし、魂はぜんぶまるっとお見通しなんですね。ところで魂の不快とは具体的にはどんな感じなのでしょうか? これについては前回の記事で引用した文章を再掲しましょう。

魂の不快は、抑圧、負担、重苦しい義務、憂鬱、危惧、やりきれない不安を示す。

さらにゼランドはこうも述べています。

魂の不快とは、気落ちしたり重圧を背負っているような重苦しい感じのことで、理性が楽観的な見解を披露する背後でかすかに現れてくる。魂のぎこちなさはスライドを利用することにより解消できるが、魂の不快はどうしても解消できない。

なにか目的があるときとは別に、悪い予感がするときにも魂の不快を感じることがありますが、ここで挙げられているのは他人の目的に対して魂が示す不快感のことだと思ってよいでしょう。悪い予感は、悪い予感そのものが魂の不快から来ているはずですので、あえて説明は不要だと思います。

なお、魂の不快はスライドでも解消できないというところも、当たり前といえば当たり前ですが、重要なことですので再確認しておきましょう。

それでは他人の目的に話題を戻しましょう。

あなたは破壊的振り子から自由な状態にいなくてはならないが、それは自分を孤立化させるということではない。社会全体が振り子による影響の上に築かれているので、それが嫌ならヒマラヤへでも逃げ込むか、あるいは、自分の振り子を見つけるかしかないのだ。

さきほど、ほとんどの人は生きていくために何らかの他人の目的に貢献していると言いました。ある意味それは必要悪のようなものですが、トランサーフィンを活用すれば、そこで起きうるよくないことをかなりの程度まで回避できるはずです。

あなたの目的も何らかの振り子に属している。しかし、目的が本物であるかぎりは、あなたにとって振り子に属することに何の恐れもないはずだ。自分の目的を見つけよう。振り子はあなたをお気に入りにせざるを得なくなるだろう。新たな振り子を作り出すことだってできる。大事なのは、選択の自由という自分の権利を行使し、振り子から支配されないようにすることにある。

しかし、そうはいっても他人の目的のために振り子と関わっていくということについては、「妥協はできてもそこに幸せはない」といえます。けっきょく、幸せは自分の目的に向かって進んでいるときにしかないのですが、この社会で生きている以上、どんな振り子とも無関係なところにあなたの目的があることはまず考えられませんね。

でも、それがあなたの目的であるのなら、そのときに言えるのはこういうことです。つまり「あなたの目的と振り子の目的は同じ」である、と。振り子にとって、目的を同じくする人物は自らのお気に入りにせざるを得ません。これまでの記事でだした例でいうなら、芸能事務所の振り子にとって、事務所のトップスターは一番のお気に入りです。ここでは振り子の目的(信奉者を増やして集まるエネルギーを増大させる)とトップスターの目的(ファンを増やして自らの人気を増大させる)は見事に一致しますね。

いずれにしても、あなたがあなた自身の本当の目的を見出したのであれば、その目的を達成するために手を組むべき振り子は自然に見つかるはずですし、もしそれが存在しなければ自分で作ればよいでしょう。自分で作る振り子とは、たとえばお店や会社やその他の組織といったものがそうですし、あるいはブログを開設するのも振り子を生みだすことになるといえますね。

大切なことは、あなたが意識的になって、自分の目的を探しながら、振り子との関わりについて「自由に」選択することだとゼランドは言います。自由にとは、つまり意識性の高い状態で、ということです。そうでなければいとも簡単に振り子に支配されてしまいますから。

では、どのようにして目的を探せばよいのでしょうか?

目的を探すプロセスにおける理性の課題は、探すことにあるのではない。理性が目的を探すとなると、広く一般に通用している固定観念や紋切り型の考え方をベースに分析を行い論理的な鎖を組み立てるという方法による。こうした方法で自分の道が見つかるのならば、誰もが幸せになれるに違いない。

理性にとっての課題は、すべての外部情報を自分経由で通過させ、その際に、魂の快・不快に特別な注意をはらうことにある。

理性にはこんな設定をしてあげるだけで十分だ。「何が人生をお祭りに変えるか探し出してみよう」。その後、すべての外部情報を理性経由で通過させながら、理性にセットした観点から魂の感覚を観察するだけでよい。

要約すると、理性つまり顕在意識としてのあなたはどうせロクなことは考えないのだから「それが現実化すると人生がめっちゃオモロなるかどうか」という判断基準だけ持っていなさい、あとはなにか目的が見えてきたら、その判断基準において魂がどう感じているかを観察するだけでよい、ということです。シンプルでいいですね。

遅かれ早かれあなたは「おお、これは大好きだ!」と、内側で何かが急に活気づいたような何らかのサインや情報を受け取るだろう。その情報についてあらゆる角度からじっくり考えて、魂の快適な状態を注意深く見守ろう。

これでようやくあなたは手段についてあれこれ考える誘惑から離れ、目的を定めることができる。その目的を達成するために所有し行動する決意が現れると、あなたの世界の層は驚くべき変化を遂げるだろう。まさしくそれが起こるのだ。

あなたの世界の層とは、あなたの人生ラインと呼び替えてもよいですし、あなたの世界線と思ってもらってもよいです。いずれにしても、さきほどのやり方で目的を探し、それが見つかったら、そうなるということです。

目的は定めるものではなく見つけるものです。そして目的を見つけるのは理性ではなく魂です。

これについて最終的に重要になるのは、理性=顕在意識であるあなたが、このことをどれだけ受け入れられるか? というところです。なぜなら、目的を見つけてそれを現実化するにあたって、実は理性であるあなたにはほとんど出番がない、という事実をつきつけられているわけですからね😌

これは人生全般にいえることです。理性は知覚の集合体です。そして、知覚には自ずと限界があります。つまり、理性には限界があり、ものごとの全体像を把握して正しい判断をくだすことが本質的にできません。理性であるあなたがその受け入れがたい事実を渋々にでも認めはじめると、意外なことにすべてがよくなっていきます。

今回は、これで以上になります。次回は「あなたの扉」というタイトルになりますが、基本的にはこれが最終回になる予定です。もっとも、番外編的なものを思いついたり、質問箱にトランサーフィンに関する質問をいただいた場合には、このマガジンに追加する形で記事を書くかもしれません。

それでは、読んでくださってありがとうございました🙂

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