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著者について

はてなblog『 in SPIRE 内なる声をきく』

を書いています。そちらの プロローグ1 -2008 からプロローグというタイトルで続く一連の記事が、わたしの人生の一時期についての記録になります。

In SPIRE では非二元と意識のスケールの概念をベースに真理とは? 悟りとは? なにをすれば世界に貢献することになるのか? 苦しみとは? 輪廻転生とは? といったこと、つまり真理の探究者のみなさんが知りたい、理解したいと願っていることに的を絞って書いています。In SPIRE の記事は基本的になんらかのインスピレーションやハイヤーセルフからの啓示を受けて「書かされています」。人類の啓発、啓蒙がその目的です。

この note の記事は個人であるわたしの意思に任せて「書いています」。それゆえ幅広く雑多なテーマを扱っていますが、In SPIRE と note は相補的な関係にもなっているので、記事内で相互にリンクしていることもあります。

なお、わたしの書く話のほとんどはデヴィッド・R・ホーキンズ博士(宇宙物理学で有名なホーキング博士とは別人です)が明らかにされた人間の意識のスケールの概念をその前提としています。このため、記事の内容を十分にご理解いただくためには博士の『パワーか、フォースか』を読んでいただいていることが必要となります。この本を読むことそれ自体が、あなたの意識レベルを上昇させますので、必ず読まれるべきです。


いずれの記事もすべて無料でマネタイズは一切しておりません。真理はわたし個人のものではなく、普遍です。現代では、それを教えてもらうのにお金がかかるのはおかしいと気づくことから、ほんとうの探求がはじまります。すこし昔までは、知識を伝えるには書籍にしたり、直接会って教える必要がありました。それにはコストがかかったので、本を売ったり講演のための場所代やスタッフの人件費や本人の労力にみあう対価を得ることは基本的に正当だったと言えます。

しかし、いまはネットを使えば誰でももっている知識や情報を無料でシェアできます。文章を書くのが面倒なら、動画で喋ってもよいでしょう。それらによって広告収入が発生してもべつによいとは思いますが、読んだり視聴したりするためにお金が必要というのはおかしいです。講演会などやる必要はありません。様々な意識レベルの聴衆にたいして一様に理解をもたらす話をすることは、すくなくともわたしには不可能です。有料のサロンもしかりですね。オープンにしない理由はなんでしょうね? わたしは今のところやるつもりはないですが、なにかやる意味があるとしたら、少人数での無料のサットサンだけです。

自分自身が悟りであったり覚醒であったりということを経験して苦しみから解放されて、これこそすべての人類が経験するべき境地だと思うからこそ、労力を割いて文章をしたためるわけです。それなのに、お金を払わない人には教えない読ませないというのは、すくなくともわたしにはまったく理解できないことです。理解できないことをしているので、そうした人たちはそもそも本当に悟っているのかな? 覚醒しているのかな? という疑いをもたざるを得ません。まあ、本当はそんなことを疑わなくても、その人がどのような意識レベルなのかは、わたしには分かるのですけれども。

わたしには分かると書きましたが、実は客観的にも判断できます。真理について教えることに対価を求めるということは、愛することに条件をつけていることになります。真理について教えること=その人の意識を癒やすことであり、それはつまるところ愛することだからです。

" お金を貰わなければ教えられません。ここまでは無料公開情報だけど、もっと核心のあれこれを教えるコースは有料です。さらにもっと奥義っぽいコースは高額で、核心のあれこれコースを修了した人だけ受講する(お金を払う)資格があります "

こういったことはすべて、自分自身のパワーを自ら制限しているのです。高い意識レベルで測定される人物は、なにもしなくても周囲の人の意識レベルを引き上げるパワーを発しています。しかし、お金を払ってもらうことを条件に教えたり癒やしたりするという決定は、お金を払わない人が周囲にいても、その人にはパワーを与えないと決めていることになります。

つまり言えることは、こうした人たちは高く見積もっても意識レベル539を絶対に超えてはいないということです。540は無条件の愛のレベルで、真のヒーラーの領域です。500から539までは条件つきではありますが、それでも愛の領域です。ですから、本当をいえば条件つきの愛とはいえ、500から539のレベルの人もここでわたしが書いていることが理解でき、自分もそうあろうと考えられるはずです。無意識的に条件づけてしまうことはあっても、意識的にそうする(お金をとる)ことはなさそうです。

つまり、営利でやっているスピリチュアルマスターやティーチャーといった人々は、わたしの見解ではもっと低い意識レベル(おそらく300台上部)の領域を生きているはずです。なかにはもっと高い意識レベルの人もいる可能性はありますが、それでも539が上限であることは上に書いたとおりです。

誤解を招かないように申し添えておくと、お金を稼ぐことが悪いという話ではありません。お金を稼ぐこと自体はぜんぜんよいのです。よく誤解されるのですがわたしはお金を嫌悪しているわけでは全然ありません。わたしも生きていくのにお金を必要としていますし、お金を使って色々なものを買ったり食べたり旅行したりすることは大好きです。

だから、ティーチャーやマスターを自認する人々といえども、彼らがお金を稼ごうとすることは当たり前のことでもあると思っています。ただし、それは真理を教えることとは別でやるべきだというのがわたしの考えです。その人にしかない能力やスキルをお金に変えたり、あるいはなんらかのサービスを提供する(たとえばリトリート施設を経営するとか)というのは大いに結構だと思います。そういうことを賢者が行ったところでなにもおかしくありませんよね。

わたしが言っているのは単に、真理や愛や癒やしをお金に変えようというマインドは、真理や愛や癒やしに条件や限界を設けているということです。逆にみれば、真理や愛や癒やしについての理解と境地に条件と限界が存在しているからこそ、それをお金に変えようという発想になってしまうとも言えるでしょう。


また、そういう営利でやっているスピリチュアルマスターやティーチャーにお布施をあげ続ける行為は、他人である彼らの個人的な願望や動機を満たすことを助けているだけであって、あなた自身にはなんのご利益もありません。お金を払っているんだから、その情報には価値があるはずだ、それを知ればきっとなにかあるはずだ、という思い込みがあるなら、その思いはまさに煩悩くるしみですから、いまここで手放してしまいましょう。そして、あなたが手放すことは彼らにとっての学びとなります。

もちろん、わたしが書いていることがすべてではありません。ほかにもわたしのような人がいるかもしれませんし、わたしの書くものにも人によっては合う合わないがあることでしょう。ですが、誰にとっても、必要なタイミングで必要な学びがやってきます。わたしは誰にとっても師ではありません。わたしはただの機会でしかありませんが、誰にでも手が届く機会であり続けたいと思っています。たまたまこの文章を読まれたあなたがその機会を手にしていただけたなら幸いに思います。


質問箱:なんでも聞いてみてください。

質問箱はそもそも Twitter での知り合いの方が「作ってみたらどうですか?」と言ってくれて設置したのがはじまりですが、いまではわたしにとっては実はこの質問箱がメインのコンテンツです。

基本的にどういったご質問でも構いませんが、公序良俗に反するような話題、例えばわたしは過去に薬物依存者であったことを公表していますが、薬物についての興味本位の質問にはお答えできません。また、特定の個人、およびその個人にひもづいた思想やアイディアについての評価や批評を求める質問にはお答えできかねる場合があります。どうしてもという場合は質問の内容を一般化してくださると、答えられるかもしれません。

また、これはお願いですが、質問をされる場合は質問箱や note の質問箱への回答のマガジンをご覧いただき、過去に同様の質問がないか確認していただけると幸いです。似たような質問でも、こまかいニュアンスが違うこともありますから、わたしは構わないのですが、もしかしたら質問する必要がないかもしれませんよ、ということです。

なお、回答は質問箱とこちらのnoteに公開させていただきますので、ご自身のプライバシーの開示についてはくれぐれも慎重に確認されたうえでのご質問を心がけてくだいませ。


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