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魂が体に宿るのではなく、体が魂に宿る

2月の終わりに体調を崩して以来ずっと発熱が続いていて仕事を休んでいたのですが、一昨日から回復しはじめました。昨日はちょっとだけですが仕事に出掛けることもできましたが、久しぶりに体を動かしたため、今朝は筋肉痛と疲労感がひどくてお休みしています。そこそこの肉体労働なので徐々に慣らしていくしかありませんね。

ちなみに熱が下がったきっかけは、以前から持っていたものの使ったことがなかったホメオパシーのベラドーナというレメディを試しに使ってみたことです。ほんとうにそれが効いたのか、たまたまそのタイミングで回復したのかは分かりませんが、わたしにとってはそれはどちらでも同じことです。起こることが起こるべきタイミングで起きた。それだけのことです。

しかし、ついでにお話すると 20代の終わり頃になりますが、当時のわたしはアトピーでとても悩んでいました。ホメオパシーにであったのはその頃で、当時わたしは東京に住んでいたのですが、港区にあった日本ホメオパシーセンターの診療所で診てもらいました。そのときに処方されたのがソーファー(Sulph.)という硫黄のレメディでしたが、一粒試したところすぐに目から涙が出て止まらなくなり、体も火照ってきてしばらくは動けなかったのですが、翌日にはそれらの症状はおさまって、それからもう20年以上経ちますが、アトピーの病状は少しずつですがよくなっていき、今もお守り的に塗り薬(プロトピック)はもらっていますが以前のように顔が真っ赤っかのジュクジュクで外を歩くのが辛いというようなことはなくなりました。

これもそのときのレメディが効いたおかげなのかどうかは断定できませんが、飲んですぐに体に変化(好転反応というそうですが)が起きたこともあり、わたしの中では肯定的にとらえています。すべての物質の本質はエネルギーであり振動であること、そして水にはエネルギーを転写できる性質があることは、ホメオパシーとは別にわたしがずっと学んできた智識のひとつです。また、同毒療法という考え方は理にかなってもいると思います。

わたしは基本的に西洋医学を信頼していますが、西洋医学はもともとは戦場で必要とされた外科処置からはじまっています。それに後から薬物療法が見出されて加えられていったわけですが、西洋医学における薬物療法は対症療法が基本であくまでその場しのぎの対応といえ、病気の原因にアプローチ出来ていない場合が多いですね。これについて製薬会社の陰謀などと言う人もいますが、陰謀かはともかくとしても、営利企業なので利益を得るためにはリピートされる商品を売る必要があるという面は否めないでしょう。

それでも、例えば花粉症もちのわたしにはアレグラは欠かせません。花粉症の原因そのものを除去できるような治療法は現状ではありませんが、もしもそのような治療法が確立されると、アレグラは売れなくなりますね。その新しい治療法が西洋医学の枠内のものであれば、いずれはアレグラなどの薬に代わって普及していく可能性は低くないですが、もしそれがホメオパシーを含めた代替医療と呼ばれるものの一つであったなら、おそらく黙殺されるか誹謗中傷されるか、最悪の場合は潰されてしまうかもしれません。

ここではホメオパシーやその他の代替医療を勧めたいわけではありません。言いたかったのは、なんであれ自分の直感で決めるべきであるということです。自分の直感が手術を受けるべきだと言っているなら迷わず受けるべきですし、「この薬はやめたほうがいい(自分に合わない気がする)」というインスピレーションがあったなら、他の選択肢を検討すべきです。ただ、こと健康や病気の問題では一般的に選択肢が西洋医学の範疇に収まってしまいますよね。それが普通です。でも、もうすこし視野を広げてみてもよいかもしれないよ、ということです。代替医療について多少なりとも智識があれば、あなたの直感がより適切な選択肢を選んでくれる可能性がさらに高まるでしょう。

例えばですが、心の問題で悩んでおられる方にはバッチフラワーレメディがよく効くことが多いです。ここで詳しく紹介はしませんが、ビビッと来た人は調べてみられるとよいでしょう。

さて今回は久しぶりに「引用ノート」マガジンへの投稿です。この引用ノートでは、わたしが読んだ本のなかで見つけた気になる文章や興味深い情報をとりとめなくシェアさせてもらっています。

今回はドロレス・キャノンの「この星の守り手たち」からの引用です。ドロレス・キャノンは著名な催眠療法士ですが、彼女のクライアントのなかには催眠中に過去生を思い出す人や、宇宙人と接触した記憶を思い出す人が現れました。「この星の守り手たち」はフィルというクライアントとのセッションが主になりますが、フィルはなんと過去生では宇宙人(地球外の種族)だったそうです。ここでドロレスと対話しているのはフィルの過去生における地球外種族であったときの人格で、人間(ヒューマノイド)存在の霊的な真実について地球よりも進んだ見解を語っています。

ドロレス:わかりました。ありがとうございます。話を戻しますが、進化の過程で人間が登場し、やがて魂が宿ったのですね?

フィル:その通りです。人間の体は魂に宿るべく創られましたから。微妙な違いですが、魂が体に宿るのではありません。体が魂に宿るのです。魂こそがあるべき姿ですから、このように表現したほうが正確です。

『この星の守り手たち』(ドロレス・キャノン, ワタナベアキコ 著)

ドロレスの質問は、この引用箇所の前段においてフィルが「動物の進化が人間という形態にまで到達したのちに、その体に魂が宿るようになる(つまり魂を宿すための器として人間という生命体を動物から進化させて創造した)」という話をしたことについてのものです。つまり、その時点まで人間(のカタチをした生き物)にはまだ魂はなかったということです。

これについてフィルはそうだと答えつつも、正確には「魂が体に宿るのではなく、体が魂に宿るのだ」と訂正します。

これについて考えてみましょう。一般的なイメージでは、魂はこの記事でお借りしたタイトル画像のように、ボールのようなものと考えられているかと思います。人魂とかいいますね。そういう感じです。

しかし、ほんとうの魂とは肉体よりも高次の体であるところのコーザル体のことです。ちなみに人間には肉体とコーザル体のほかに、エーテル体、アストラル体、メンタル体といったボディ(微細身ともいいます)が備わっていると言われているのですが、このうち肉体とエーテル体とアストラル体、それからメンタル体までは、この物質世界で生きている個別の(個我の)わたしたちを構成しています。ちなみに、この四つのボディを一纏めにしたものをわたしは「転生体」と呼ぶことにしています。

コーザル体はここに出てくるボディの中ではもっとも高次の存在です。コーザル体は無数の転生体の意識と記憶を保持しているとされているのですが、コーザル体が魂であるというのはそこから来ています。

そして、順番からいくと、まずコーザル体であるところのわたしたちの魂が「次は21世紀の日本に転生体を送りこもう」と考えるわけです。考えるといっても、ここに書いたような言語による思考ではないかもしれませんが、ともかくそのように意図するわけですね。ちなみにわたしは20世紀にこの日本に送りこまれました。

次に、21世紀の日本のどんな両親のもとで生まれてくるかを決めて、そこにアストラル体とメンタル体を送りこむわけです。送りこむとはいっても、コーザル体の次元では時間も空間も超越していますので、実際にどういう感じなのかはわたしにも分かりません。いずれにしても、アストラル体とメンタル体はコーザル体のこの物質次元における延長ですから、アストラル体もメンタル体も魂といえば魂です。

送りこまれたアストラル体とメンタル体のエネルギーは母親の胎内に胎児が発生するよりも前にその場に干渉しはじめます。いわば、そうやって赤ん坊が現れるのを待ち構えているわけです。母親の子宮に相当する場を霊的な次元でも用意するのですね。これが赤ん坊のエーテル体になります。

エーテル体は肉体の青写真とも呼ばれていますが、このように赤ん坊はエーテル体のゆりかごの中に肉体として生まれてくるわけです。エーテル体は最初からアストラル体やメンタル体と繋がって(重なって)いますから、フィルがいう「体に魂が宿るのではなく、体が魂に宿る」というのが本当のところなんですね。もっとも、体が魂に宿るというよりは、魂という場に肉体が発生すると言った方が分かりやすいでしょうか。

さらにいえば、人間の意識はすべて一つにつながっています。魂も次元は異なれど意識のあらわれですから、すべての魂は本来はひとつのものです。その観点でいえば、わたしたちの肉体は広大な魂の海に浮かんだヨットのようなものです。

あるいは一枚のシーツを思い浮かべてみてください。このシーツを床にぴしっと張った状態で置きます。これがすべてであるもの、一なる意識です。そして次に、おもむろにどこか一箇所を指でつまんで、その部分をちょっとだけ持ち上げてください。小さな山がそこにできますね。この山がわたしたちの個別の意識です。この山の上に目印としてシールを貼っておきましょう。このシールがわたしたちの肉体です。

おなじように、山をたくさん作ってそこにもすべてシールを貼ります。こうして出来たものが、人間の世界です。各シール(肉体)はそれぞれに異なっています。その肉体には個別の意識(山)があります。山の上の方はこの物質次元におけるわたしたちの自我ですが、麓の方へ降りていくとそこはハイヤーセルフと呼ばれる領域になります。山全体をあなたの魂と呼んでよいでしょう。

個々の山は独立して存在しているように見えても、実際にはどれもこれもすべての山が一枚のシーツ(一なる意識)の一部です。つまり、個別の意識というのは幻想で、本当は一なる意識の一部でしかないのです。

この観点からみても、魂が体に宿るわけではないことが分かると思います。それでは今回はここまでです。お読みいただいてありがとうございました。


おまけ

OTYKEN - PHENOMENON (Official Music Video)

シベリア原住民族の人たちのバンドです。色々すごくて色々やばいです(語彙)。

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