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終戦前夜、それから小さな町の店

 8月14日。自分にとっては15日よりも戦争の色が濃い日にち。というのも、地元は終戦前夜に空襲を受けているからだ。土崎(つちざき)空襲、秋田の小さな町にB29が飛んできた夜。
 
 そのときの遺体は、自分も通った小学校のグラウンドに運ばれた。だから夕方になるとそういう霊が出る、とかつて同級生から聞いた。小学校時代は見なかったけれど、成人して地元に帰省したときにそれらしきものを見て、ひどく後味が悪かった。
 
 自分にとって戦争といえば、この空襲のイメージが強い。原爆でも東京大空襲でもなく。祖母の口を通じて直接、語られたそれは、なかなか頭の中から出て行かない。
 
 グラウンドに向かうトラックが遺体を積んでいて、腕がダランと垂れ下がっていた、とか。学校では竹槍を使って訓練させられたけど、そんなものが役に立つはずがなかった、とか。
 
 これはどれも被害者の視点に見える。祖母は当時、子どもであり選挙権もなかったのだから、それも当たり前だろう。ワケもわからないまま竹槍を持たされ、空襲に遭い、次の日には玉音放送が流れる。耳で聞いた戦争は、そういう理不尽な姿をしている。
 
 とは言っても別の見方をすれば、日本はナチスドイツと組んだ加害者であり敗戦国であり、被害者ぶっていられる立場ではない。韓国では8月15日を解放記念日と言う。植民地支配からの解放。それぞれの呼び方とそれぞれの立場。
 
 祖母はおととし亡くなった。土崎空襲の語り手はもうほとんどいないだろう。地元はあいかわらず夏を迎えている。

 
 ところで、土崎に帰ると必ず行く店がある。さして「いいところ」ではないし、田舎にありながらおいしいフレンチを食べさせるとか、そういう類いの店じゃない。ふつうの喫茶店だ。コーヒーが飲める。ケーキがある。ついでにラーメンもある。

 何がいい、と言われてもはっきりと答えられない。強いて言うなら、さほど商売っ気のないところがいい。地元の人たちが買い物ついでにわらっと寄ってくる。中には座敷タイプの席もあり、そこでグータラしている子どもやおじさんがいる。
 
 なんのキャラクターなのかよくわからない、大きなクマのぬいぐるみが無造作に置いてあり、壁には毛筆で書かれたなぞなぞが掛けられている。

「春夏冬 二升五合」。

 なぞなぞの答えはこちらから。
 
 とくべつ料理がおいしいわけでも、店員に気に入った人がいるわけでもない。それでもなんか寄ってしまう店ってある。この喫茶店は自分にとってそういう場所で、地元に帰る機会があったらまた行くと思う。
 
 特になんてことない町にある、なんてことない店。妙に居心地がいいのは、急かす人もいないし何をしていてもいい、ゆるい空気のせいだろう。
 
 「そんなんじゃなくて、ちょっといい店紹介してよ」。もし土崎に行く人がいたら、きっとそう言われると思う。ちょっといい店か。そういうところに出入りするようになる前に、わたしは地元を離れてしまったんだよな。
 
 でも祖父母や母が気に入っている店はある。小さいところだけど「麦とぶどう」。名前のとおり洋食の店で、肉も魚もおいしい。わたしはお酒が呑めないので、ここに行くといつもノンアルコールドリンクを頼む。好きなのはシャーリーテンプルで、柑橘系の爽やかな炭酸で、つまりは下戸にも優しい店。

  家族でおいしいものを食べたいときとか、久しぶりに会う友達と一緒に食事をしたいとき。そういうときに使わせてもらいました。今度はいつ行けるかわからないな。
 
 おいしいものの記憶。好きな人たちと一緒にご飯を食べた記憶。こういうのは、その最中には気づかないけど、あとから振り返っていい時間だったと思う。最近結婚した夫とも、そういう時間が重ねられたら嬉しい。



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