「認められたい」で嵌まる罠

誰かに認められたいという気持ちが強すぎて、自分を犠牲にしかねない。認められたからって何もいいことはないのに。褒められたり認められたりするのは嬉しいんだけど、それを餌にして頑張ると、すぐにエンジンが切れて駄目になる。

わかっているのだが、しかし。

「認められる」のがどういうことかというと、裏を返えせば「無能扱いされない」「軽んじられない」ということであり、私が気にしているのはこっちなのだ。ただ承認を求めて馬車馬のように走るのは馬鹿げてる、だけどそれを止める勇気が出ない。他人から下に見られることは苦しい。

馬鹿にされるのが嫌いなせいで、「私のほうが優秀なんだ!」とつい見せつけたくなることもある。で、そんな競争に終始していると、当然やりたいこともできずに疲弊する……

無能と思われるのは嫌、かといって頑張っても得るものはない。そういう考えのなかで板挟みになると、身動きが取れなくなる。どこもかしこも茨の道に見えてくるのだ。承認欲求って怖い。

褒められるのは嬉しい。それはそうだ。
認められたら頑張りたくなる。それもわかる。
でも、何のために?

無能と思われずに済んだところで、それはマイナスがゼロになるだけだ。何も面白くない。面白いことがしたいんだったら、馬鹿にされることも受け入れる必要がある。冷笑されること、嘲笑されること、あるいは呆れられ、無視されることも。

「人に認められることだけやりたい」なんてわけにはいかないし、それってきっと楽しくないのだ。「馬鹿にされるならされてもいい」「認められなくてもいい」と開き直るには、もう少し勇気が必要だけど、終わりのない戦いをやめたい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。