結婚とグレードダウン
「赤ちゃんサロン」が団地で開かれていたので参加する。みんなで集まって、たたみの上で赤ちゃんをゴロゴロさせるだけの会。これがなかなかいい。大人は子どもをあやしていて、子どものほうはあやされていて、ただ幸福なだけの空間。
保健師さんたちもいて、赤ちゃんたちとニコニコ遊んでいる。7ヶ月の娘は、寝ころんでいる別の赤ちゃん(6ヶ月)のところに行って、顔にさわろうとしていた。あわてて止めた。向こうも女の子で、ずっと不思議そうに娘を見つめていた。
赤ちゃんはいい。ニッコニコでハイハイしながらこっちに向かってくるときなんかは、本当に幸せな気持ちになる。たぶん迎えている自分の顔も笑っているのだろうけど、生まれたての人々の、満面の笑みにはかなわないなあ。
自分は子どもを産んでよかったと思っていて、育児も今のところそこまで大変ではなくて、「楽しいんだからみんなやったらいいのに」と思っている。これならあと100人くらいほしい。
友達のひとりは今年、三人目を出産したけれど、やっぱり同じことを話していた。100人とは言ってなかったけど。
そうはいっても、そういうわけにいかない人がたくさんいるのが残念だ。「子育てが楽しいなんて言われても、そもそも結婚できない。自分は低収入だから、結婚するなら相手がお金持ちじゃないといけない。とにかくお金がないからダメ」って人もいる。
”お金がないから結婚できない”って、普通に考えると変なんだけどな……。ひとりよりふたりで暮らしたほうが節約になるし、トータルで使えるお金は増えるし、貯金もしやすくなるはずなんだけど。固定費が安くなるから。
でもそんな風に「生活が苦しいからこそ、支え合って生きよう」と思える人は、もう結婚している。支え合える人は、支え合えるからより生活が楽になるし、それができない人はできないからより苦しくなる。
自分もそうだった。誰かと暮らせば安く済むところを、どうしても広い部屋にひとりで住みたくて、高い家賃を払っていた。ひとり暮らしの頃の話だ。人といるわずらわしさからは解放されていたけど、その代わり、経済的には危うかった。
ひとりで快適に住みたい。自分のお金は誰とも共有せずに、自分のために使いたい。時間も労力も自分のために使いたい。そう言っているうちは高い暮らしをすることになる。それでいい人はいい。自分は、それがコスパの悪いことと知りながらやめられなかった。
あのままあの暮らしを続けていたら、どこかで破綻したと思う。結局ひとり暮らしは、唐突な結婚を機に終了した。結婚後は、旦那さんの社宅に移り住むことになった。当時、住んでいた部屋のほうがきれいで、セキュリティ対策もよかったから、少しへこんだ。
知り合いのマダムに、最高にしょうもない弱音を吐いた。「いま住んでるの、いいところなんです。なんでも近くにあるし。これから生活レベルが落ちると思うと、グレードダウンに耐えられるかわからない」。マダムは笑い、力強く言った。
「これから結婚して、長く生活していくことを考えてみなさい。子どもも授かるでしょう。それは長い目で見て、全然グレードダウンなんかじゃない。むしろアップなの。だって今の生活、いつまで続けられますか」
「歳を取ったら体力だって衰える。いまのままの体力・気力で働き続けることは無理。そのとき一人でいるのは辛いと思うわ」。マダムはそう言って、いまの気持ちはマリッジブルーってやつかもしれない、新しいことの前で尻込みするのはみんな同じだと続けた。
いまなら「『ひとりの快適な生活』ってやつ、言うほどいいもんでもないよ」と思う。多少のダウンを受け入れても、誰かと暮らすほうがいい。その結果、ニコニコ顔で突進してくるかわいい赤ちゃんに出会えたりする。
「自分のためだけに生きられるほど、人は強くない」って言ったの、誰だっけな。忘れたけど、それはホントそう。それをやめるとむしろ楽になる。