「お嬢ちゃん」はもう聞けないのかも

 フランス語から「マドモワゼル」が消えようとしている。だけでなく、ドイツ語の「フロイライン」も望ましくない呼称となっている。これらはどちらも「お嬢さん」のような、つまりは若く幼い女性への呼びかけなのだけれども。
 
 10年以上前、中学校で英語を習ったときには既に「女性は全員『ミズ○○』と呼びましょう」と言われていた。むかしなら「ミス」が未婚の女性、「ミセス」が既婚女性だと習ったのだろうが、当時もう、そういう区分は差別的なことと考えられていた。
 
 男性は、既婚か未婚かで呼び方が変わらない。誰でも「ミスター」とか、場合によっては「サー」と呼ばれる。フランス語なら、お兄さんもおじさんも等しく「ムッシュー」である。女性だけ分けられるのは、不平等というものではないか。
 
 加えて、日本語の「お嬢さん」を考えてみてもわかる通り、こうした単語には侮りのニュアンスがつきまとう。若く未熟で、幼い。いい歳した女性を「お嬢ちゃん」と呼んだら失礼なのは、誰でもわかるだろう。だから使うべきではない、そういう流れがある。
 
 いまはまだ、話し言葉に残っている「マドモワゼル」も「フロイライン」も、この風潮に押されて消えていくだろう。これを「言語における差別の解消だ」と喜んでいいのか、それとも「言葉の豊かさが失われていく」と嘆いたらいいのか。
 
 自分には両方の気持ちがある。どちらかといえば後者の気持ちが多い。言葉を削ることへの抵抗があるのだ。
 
 大学で最初にフランス語の授業を受けたとき、先生の点呼は「マドモワゼル・メルシー」だった。教室にいる子たちは皆18か19で、誰も結婚していない。特に「馬鹿にされてる気がするから『マダム』って呼んでちょうだい!」と言う学生はいなかった。
 
 パリに旅行に行ったときは、それからもう何年か経っていた。客室乗務員から「マダム」と呼ばれた。なんかつまんない、と思った。
 
 「マダム」といえば、自分の中では成熟したいい感じの女性のことである。いまの自分が軽々しく得ていい称号ではないと思っている。それがあっさり「マダム」と呼ばれてしまって、なんだかおもしろくないのだった。
 
 もっとも、ドイツ語の先生は最初から一貫して「フラオ・メルシー」だった。フロイライン・メルシー、とは呼ばれない。フラオは女性に対する一般的な敬称だ。ドイツに留学したときは常に名前で呼ばれ、街中ではフラオともフロイラインとも呼ばれなかった。
 
 それを思うと、ドイツ語の「フロイライン」は、ほとんど死語なんだろう。ドイツで生活していても、ドイツ語を勉強していても、一度も呼ばれないんだから。ただ単語帳に「フロイライン:お嬢さん」と書いてあるだけで、使われているのを聞いたことがない。
 
 フランス語の「マドモワゼル」も、日本の授業の点呼で聞いたきりだ。どんなに「言葉の豊かさが失われる。つまらない」と不平を言ったところで、自分も使わなかった単語だ。文句を言える立場にはない。使われない言葉は消える。それだけだ。
 
 日本語の「嬢ちゃん」を聞いたのは、もう10年近く前のことだ。本屋で、カミュの『異邦人』をレジに持って行くと、店員のおじさんが笑った。「お嬢ちゃん、早いよ」。地元の秋田での話だ。だから正確には「嬢ちゃん、はえ」と秋田弁で言われた。
 
 そう言われても別に不快じゃなかった。実際に自分は未熟だったし、世間的に見てまだまだ「青い」部類だった。お嬢ちゃんと呼ばれて仕方ない。嬉しくはないけれど「『お嬢さん』という言葉は望ましくない。使用を避けよ」とまでは思わない。
 
 でも「嬢ちゃん」みたいな呼びかけも、いずれ消えていくんだろうな。これは予感でしかないけど、「おばさん」という呼びかけも嫌がられ、「そこのお母さん」も忌避され、「お姉さん」で統一とかになりそう。最悪「女性さん」とかになるかもしれない。
 
 そうなったら嫌だな。「おばさん」て呼ばれてもいいから、言葉が削られないでほしい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。