「いいもの」と時の流れ
いいものに出会ったら、機会を逃さず手元に置いてください。かつて雑貨屋の店主だった人から、そう連絡がくる。むかし店で見たのと同じような物が欲しくてメールしたら、もう仕事はしていないと言われた、そのあとのことだった。
時代がどんどん変わってしまっているからね、と文章は続いていた。彼女がどういう思いでそれを書いたか、正確なところはわからない。でも、昨日あるものを売っていた店が明日には倒産とか、そういう事態はめずらしくない。
変化が起きやすくなっている時代だから、いいものに出会えたら即座に掴まないといけない。でないともう、次はないから。きっとそんな意味だろうと思って画面を閉じる。
いいもの、か。
いま着ているワンピースは「授乳が簡単にできる」というふれこみに惹かれて買った。3ヶ月も着ていないのに、もう毛羽立ってきている。デザイン自体は長く着られそうだ。でも生地が悪い。ワンシーズン着倒したら、あとは捨てるようにできている。
なにを「いい」と思うかは人それぞれだけれど、自分の場合そこに「長く一緒にいられる」が入っている。今季、買った物の中に、その条件を満たすものはほぼない。服もそうだし書籍にしても、そのうち手放すことを前提に置いてあるのが多い。
なんか居心地が悪いんだよな、短いスパンでいろんなものが変わるの。服なら5年は持ってほしい。そういう思想で物を買っているので、下手すると10年以上同じ服を着ている。小学6年生の頃に買った白いダウンなんか、まだ部屋にかかってる。10年どころじゃない。
おばあちゃんのお下がりグッズに至っては、たぶん自分より長くこの世にいる。生まれたときからそういう「付き合いの長い」ものを見ているので、短期間で風景が移り変わるのに順応できない。それなのに、最近の世の中にそういう物は少ない。
いいものに出会ったら、機会を逃さず手元に置く。この瞬発力は確かに、時代が変わるときには大事そうだ。
いまはあたりまえにある物が、次の時代にはレア物になっているかもしれない。だからさっさと手に入れるべきなのだ。自分にそこまでの反射神経があるかは疑問だけど。
物流に負担をかけたくないから、年末に買うのを控えている物もあるし。いいな好きだなと思っても「どこに置くんだ」「そこまで必要ないかも」と考え直したのもあるし。
そういうことを何も考えずに「欲しいから手にする」人は、それはそれで強い。生命力があるというか、少なくとも生き残れそうではある。あとで財布の中身を見て真っ青にはなるかもしれないが、目先のお金より「手元に残ること」が大事な場合もある。
目の前にあるときは、いつでもまた手に入るような気がするけど、出会いっていうのは一度、機会を逸するとそこまでだ。雑貨屋の店主だった人も、そういう経験をしてきたから「いいものに会えたら逃すな」と言うんだろう。
いまの世界には「明日には消えているかもしれないいいもの」がたくさんあるんだろう。でも、どれがいつ消えるかなんて予言できないから、何もかも明日の世界にまたあるような気がしてしまう。そうしていろんなものが姿を消していく。
それはちょうど、手のひらにすくった砂がさらさらと落ちて行くようなもので、誰も止めることができない。そう考えると、変化していくことが怖くて、このまま世界が止まってくれたらいいのにと思う。砂はずっとさらさらと落ちている。
自分は人一倍、変化が怖い人間なのかもしれない。だからずっと同じ服を着たがったり、同じ物で周りを固めたりしたいのかも。変わっていく世界に対して、自分は変わらないと言い続けるみたいに。
いまは時代の変わり目で、とりわけ生成AIはどこまで進化するかわからなくて、明日の世界が今日より良いとは言いにくい雰囲気になっていて、変化に怖い人間はずっと怯えてなきゃいけないのだろうか。
時の変化から自分を守ってくれる「いいもの」、出会えるといい。