「過去」ができていく。【かつて住んだ街】
10代の頃、なぜか入ってしまった喫茶店がある。薄暗い階段をのぼっていくところにあり、住んでいる寮に近い。近いけど、怪しい空気を醸していたので普段は近寄らない。その日は、なにかちょっと、いつもと違うことをしたかったのかもしれない。
そこは本当に喫茶店だったんだろうか。まるで民家のようなのれんをくぐって中に入ると、おばちゃんと猫がいた。猫は太っていて、店内を自由に歩き回っている。店にはカウンターがあり、ソファーがあり、家のようなお店のような、よくわからない空間だった。
目に入るものは、どれも年季が入っていた。ソファーも、そこに置かれたクッションも、店主のおばちゃんが着ている服も。歩き回っている猫の毛がそこら中についていて、衛生的とは言いにくい。
「遊んであげて」と言われて、少しだけ猫をなでた。自分が入店してすぐに、おじさんが入ってきて、ここが自分の定位置だというようにソファーに沈んだ。それからまたすぐに、小学2年生くらいの女の子が、ランドセルを背負って入ってきた。
女の子とおじさんは、むかしからの知り合いみたいに話していた。おじさんが女の子を膝に抱いていたような気もする。自分は、飲みものを一杯だけ頼んで、飲んで、すぐに帰った。なんとなく、自分が馴染める場所じゃないと思った。
いつだったかテレビで、男の子を育てるシングルマザーがひとりで切り盛りするスナックの話があった。ドキュメンタリーだ。下町にあるお店で、お母さんが胸にパッドを入れて盛っていると、男の子が「おかあちゃんズルしてる~」なんて言う。
ひょっとしたら、自分が入った店もそんな感じだったんだろうか。シングルマザーがひとりでやっていて、店と家がつながっていて、客はだいたい顔見知りで、子どもと常連客の距離が近いような。
それっきり行っていない自分には、詳細はわからない。ただ「わたしが知らない世界だ」と感じたことだけ覚えている。ここは自分に縁のない場所だという、はっきりとした感覚。
どのへんが「縁がない」のかと言われてもうまく言えない。店のあったあたりは、水商売の女性たちが客引きをする、繁華街エリアだった。そういう空気。混沌としていて俗っぽく、「勤め人として生きる」スタイルがあまり普通ではないところ。
そういう場所があるのは知っていたけど、目の当たりにすると、いつもと違う風に吹かれた気になる。こういう人たちも、同じ社会の中にいるんだな……と実感する。「社会」って、あたりまえだけどいろんな家族や人の集合体なんだ。
そうして、交わらない人とは、同じところで生きていながら一生交わらない。関わりのない人同士はわかりあうのが難しくなり、世間はそうやって少しずつ分断されていく。他者の生活を想像するのが困難になり、自分と似たような境遇しか理解できなくなる。
自分が10年近くを過ごしたあの街は、よくも悪くも混沌としていた。女の子とおばちゃんの店があり、チェーン店があり、きれいな空間もあれば怪しい路地裏もあった。いま振り返れば、そういうカオスな空間に放り込まれたのは、いい勉強になった。
報道番組で、薬物の取り引きをしている男性のインタビューが流れて、見ると背景が近くの駐車場だったり。すれ違いざまに「ブッサ」と罵倒してくる、ガールズバーの若い女の子がいたり。東北出身のママがやっている、飾らない定食屋さんがあったり。
あのときはただただ生活していくのでいっぱいだったけど、なんか特殊な地域だったんだろうな、あれ。もしあの街ではなく、たとえば地元の秋田でずっと暮らしていたら、自分はまたもっと別の人間になっていただろう。
もっと素朴で、もっと人を信じていて、世界はたいていの場合、とても安全な場所だと信じて生きていたかもしれない。それもいいな。でもそうはならなかった。結局、わたしはあの治安の悪い変な街で、ちょっと変になりそうになりながら生きたのだ。
街は、結婚を機に離れた。引っ越した先は「丘」と名前のつくところで、ずいぶん落ち着いている。土地の空気に感化されたのか、それとも家族ができて安定したからか、自分の性格も少し穏やかになった(はずだ)。
いま住んでいる団地では、ペットが飼えない。わたしに向かって猫や犬をなでるよう促す人はいない。ガールズバーの呼び込みもいない。飾らないママのいる定食屋さんもない。かつて住んでいた街は、つまりすっかり過去になったのだ。