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見た事のない笑顔

「人の最期の表情は、その人の生き方が表れる」

看護師をされている知人に教えて貰った言葉だ。
家族や知人が頻繁にお見舞いに来る人、入院以降全くお見舞いが来ない人。
最期の表情は全く違うとのこと。彼女は言う。「お見舞いが来る来ないも、結局はその人の生き方の結果」だと。

10月某日、祖母が97年の人生を終えた。
ここ数年は施設で生活し、最後は眠るように旅立った。老衰だ。
亡くなる数日前、もう危ないかもしれないと施設から連絡があり、親族が集められたけれど、普通に会話もし呼びかけにもしっかり答えていた。来月に誕生日を控えていたので、皆、誕生日までは大丈夫だろうと話していた矢先の事だった。「家に帰りたい」と願っていた彼女の望みを叶える為、自宅葬儀となった。祭壇も、葬儀屋さんや参列された方に感動される程、たくさんの花で作られたものだった。子供、甥、孫、ひ孫に送られ、滞りなく式は終わった。

私は、彼女の最期の顔を見る事は出来なかった。けれど、施設から自宅に戻り、最期の身支度が終わった時、初めて彼女の顔を見た。
自分の想像を遥かに超えて穏やかで、少し笑みを浮かべて様な顔だった。
その表情を見た時、パニックになった。

正直、彼女との楽しい良い思い出は無い。
関係上「祖母」であるが「母」のように接し、私が高校生になるぐらいから、徐々に関係が悪化していった。とある事情により大学入学以降は、同居するも殆ど話すことは無く、話すと喧嘩になった。入退院を繰り返し、物忘れが始まり、自宅での介護が難しくなり、施設への入居を余儀なくされた時、毎日言い合いを繰り返した。そんな祖母しか知らない私は、生前「彼女の最期の表情はあまり良くない」だろうと想像していた。なので、実際、彼女の顔を目の前にした時、あまりの違いに違和感を感じたのだ。

全てが終わった後、母は言った。
「なんやかんや言うて、『徳』がある人やったんやな」と。
孫に最期の化粧を施してもらい、普段揃わない親族が皆集まり、祭壇は絶賛され、雨予報だった葬儀の日も雨は降らず、自宅から旅立った。
そして、来月行われる四十九日は、彼女の誕生日だ。
この世に生まれた日に、あの世に帰る。
なんとも、凄い人生だけれど、きっと、私が知らない彼女は『徳』を得られる事をしてきたのだろう。

正直、私は未だに「違和感」を払拭されてはいない。
時間薬だと言われたけれど、まだよくわからない。
日々の生活は変わらず続く。
その中で、ストンと収束される日がくるのだろうか。

施設の方に頂いた写真の中に、家族でも見た事が無い穏やかな笑顔で写る彼女がいた。そんな笑顔でほほ笑む祖母に1度で良いから会いたかったと今は思う。




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