モルグ街の遅刻と最適解
僕は物語を書く。だから人のことをよく観察する癖が付いている。
いや、違うかな。
子供の頃にエドガー・アラン・ポオの『モルグ街の殺人』を読んだときに、洞察力の優れた人間は、わずかな手がかりを元に、その場で起きた出来事を推論し、その証拠を集め真実にたどりつくことができるんだと知った時、すっかり憧れてしまって、それが物語を書く一つの動機になったのだと思う。
小説の内容についてはこちらを参照ください
簡単に言えば、ある街で起きた密室殺人をわずかな情報から推論し、解決してしまう探偵のお話です。犯人が現実離れしていることから、ちょっとしたホラー要素もあったりで、まぁ、ミステリーの名作であり、歴史上最初の密室殺人トリックものであり、洞察力の優れた男の活躍譚でもあるわけです。
つまりシャーロック・ホームズの原型と言っても過言じゃないでしょう。
しかしこれはあくまでも物語です。実際にそこまで洞察力が飛びぬけた人は存在しない様にも思いますが、さて、ポオの着想は、いったいどこから来たのでしょうかね。
僕はそのような洞察力の優れた人物になりたいとは思ったものの、ただ、人を観察しただけでは、まるで何もわかりません。
ベネディクト・カンバーバッチが好演したドラマ『シャーロック』にあるように、その人の身なりをパッと見て、どんな人物であるかを言い当てるなんてことは、まぁ、物語の中のよくできた話だとは思います。
しかし、ミステリー小説を読んで面白いと思うのは、パズルやクイズを解くようなゲーム的な娯楽性だけではないだろうと僕は思います。
とかく人は嘘をつく、この世は表と裏で出来ている。騙されっぱなしも癪(しゃく)に障るので、できれば身にかかった嘘の罠の一つや二つは暴いてやりたいっていう感覚は誰にでもあるのではないでしょうか(いや、本当は無いと思いますが、僕みたいな人はいるのです)
ポオもそうだったのではないかしらと思うわけです。
そこでこんなことを書きだしてみました。
質問に対して最適解が返ってこないのは
1)理解度が乏しい(または表現力が乏しい)
2)嘘をついている
3)後ろめたいことがある
そしてこれについてはこんな解説をつけて見ました。
子育てをしていると大抵わかる
部下を持てばなお、わかる
しかし女性と付き合うと、必ずしもそうとは限らない
人はそれを”駆け引き”と言うのだそうだ
これをFBに掲載したきっかけとなったのは、僕の相方の次のような行動からでした。
過日僕は彼と出かける約束をし、最寄りの駅で10時30分に待ち合わせをしました。さて、彼は多くの場合遅刻をし、僕を怒らせます。もちろん大人ですから、そんな彼の行動を先読みして、時間の設定からここで言う駆け引きがあるわけです。
時間をサバ読む僕と、そんなに早くいっても仕方ないし、起きれないという彼と時間の妥協線を見て、11時でいいところを、10時15分にしようと提案し、10時30分という妥協点を導き、10分15分遅刻しても余裕が持てる時間の設定です。
つまりここで僕は一つ嘘をついたことになるのですが、それが”かけひき”に当たります。
そして案の定約束の時間に彼は現れず、5分過ぎたところで次のようなメッセージが来ました。
”めけさん、いま改札ですか?”
さて、僕は考えます。彼はすでに来ているのだけれども、すれ違い行き違いで、時間が過ぎてしまった・・・いや、それは経験上ない。まず、先に付いていれば、勝ち誇ったように、”改札つきました。今どこですか?”となることは疑いもない。
待たせる人は待つのは嫌なのである。
なるほど彼は遅刻をし、本来であれば、”すいません、5分遅れます”と言えばいいし、その5分遅れるのは家を出る前にわかるわけだから、10分前にそのメッセージを僕に送るべきなのである。
それによって僕は5分間の時間つぶしをどこか・・・たとえば朝食は抜いてきたので、缶コーヒーを飲むなり、家をゆっくり出ることもできたでしょう。
しかしながら彼はそれをしない――なぜか?
”後ろめたいことがあるから”に他ならないのです。時間の設定はこちらが妥協して譲ったわけですし、遅刻も毎度のこと、今日みたいに余裕がある時は僕も笑って許すのですが、新幹線の時間が気になるようなときは、真顔で苦言を呈するわけで、そんな経験から、段取り悪く、前もって遅れることを伝えそこなった彼は、僕に謎のメッセージを送り、けむにまく作戦に出たわけです。
もう一度彼のメッセージを読んでみましょう。
”いま改札ですか?”
最適解は先ほど述べたように”すいません、5分遅れます”を10分前に送ることだとしましょう、謝られたら僕も怒りはしません。しかしそれをしそこなった彼は最適解から外れた質問を送ることで、僕の注意を逸らすことを試みたわけです。
僕はそのことを瞬時に理解し、彼を待ち構え”スイマセン、お待たせしました”とさらっと流して電車に乗り込んだところを捕まえて、僕は説教を始めました。
”実は最近、こういうことが多くて、別に苦言と言うわけではないのだけれども、困ったものだと思っているんだよ。お前、わざと『いま改札ですか?』っておかしなメール送っただろう?”
彼は笑いながら、今、まさにそれを言い訳しようと思っていたのに先に言われたと話し始めます。
さて、それから二人仲良く僕のプランでアメ横で台湾の屋台に入ってブランチを済ませ、目的のマンガ家、永井豪の美術展を上野の森美術館で堪能し、その感想会をまたアメ横の焼き鳥屋で日が落ちる前語りあったわけですが、僕が言いたかったのは、僕の周りにはこのような”可愛い騙し合い”が最近どういうわけか横行してましてね。
いささか辟易していたところに、身近な人間にやられたものだから、ああ、今はもうそういう流れなのだと諦めたという話なんですよ。
でも、そんな中で、とても優しい嘘に出会えたことは、ちょっと自慢したくてここまでがそのフリだったわけですけどね
過日、僕はある人に、ちょっとした頼みごとをしました。しかしどうやらそれは実行されなかったことがわかり、僕はそのことによって、何がどうなったのかを知ることができました。
彼は後日僕とあったときに、”そういえば、あれ、どうなりました?”という質問に、とても優しい嘘をついてくれたのです。
それはある人に、ちょっとした贈り物を渡してほしいという依頼だったのですが、それが実行されなかった理由は容易に想像ができました。
僕は彼の嘘に気付きながらも、その気遣いにとても感謝をし、面倒なお願いをしてしまったなと、少し反省をしました。それは簡単に言えば、意地悪な贈り物であり、それが実行されたときには、もしかしたら、多くの人を傷つけたのかもしれません。
もしかしたら、彼ならそれを止めてくれるかもしれないと、潜在意識の中で彼にすがったのかもしれない自分を恥じつつも、優しい嘘に触れて、悲しい現実よりもとても清々しい思いをしました。
僕は過ちを悔いながらも、優しい人に出会えたことに感謝しつつ、それでも誰かの嘘について先にあげた3つのことと”かけひき”について思いを馳せます。
僕はきっと嘘が好きなのだと思います。
それは弱さだったり、優しさだったり、可愛げだったり、時には憎悪の対象になるかもしれませんが、それでも僕は嘘を大事にしたいし、それを見極めながら、人の優しさを信じたいと思います。
偽善こそ人のできる最善の善行である
偽を用いて善を為すは、戯を持って悪を為すよりはるかに人らしい
誰だって会いたい人には誰かに嘘をついてでも時間を作るし、会いたくない人には、その人を気遣って嘘を用いてしまうものです。それはやさしさとかではなく、人間らしさだと僕は考えます。
どう感じるかは、また、別の話ですけどね。
しかし毎回忙しいからなんて言い逃れをしていたら、本当に忙しくなって、身動きが取れなくなるっていうこともあるかしらね。
嘘から出た真、オオカミはきっとくる。
僕は名探偵ほど洞察力は無くてもいいけれど、優しい嘘に気付けるくらいの推理力と、”かけひき”に後れを取らない考察力を持ちつつ、それらを許容する心の器を持ちたいと、思い始めています。
だからこそ、僕は質問に対しては、常に最適解を自他ともに求めたいと思います。