アンチテーゼ~明るい未来なんていらない
”未来って、もっとすごかったり、わくわくするものだと思っていた”
NHKだったか佐野元春と浦沢直樹の対談でそんな話が出ていたように記憶していて、ああ、そうだなぁってすごく共感したんですよね。
昭和42年に生まれた僕が子供の頃に抱いていた未来の図ってこんな感じです。
テクノロジーと宇宙と言うフロンティア、そして人類の革新でしょうかね。大袈裟に言うと。だからウルトラマンのような空想特撮シリーズにわくわくしたし、スタートレックに憧れたし、機動戦士ガンダムのニュータイプに惹かれたわけですよ。
でも一方でデストピアって概念もあって、70年代のアメリカンニューシネマのテイストに似た残念な未来を描いた映画も僕は好きでした。
映画『ソイレント・グリーン』はその代表作でしょうかね。
2022年、留まるところを知らない人口増加により、世界は食住を失った人間が路上に溢れ、一部の特権階級と多くの貧民という格差の激しい社会となっていた。肉や野菜といった本物の食料品は宝石以上に稀少で高価なものとなり、特権階級を除くほとんどの人間は、ソイレント社が海のプランクトンから作る合成食品の配給を受けて、細々と生き延びていた。そしてある夜ソイレント社の幹部サイモンソン(ジョゼフ・コットン)が殺害される。ニューヨークに住む殺人課のソーン刑事(チャールトン・ヘストン)は、同居人の老人・ソル(エドワード・G・ロビンソン)の協力を得て捜査に乗り出すが、様々な妨害を受けた後、新製品ソイレント・グリーンの配給中断による暴動のどさくさに紛れて暗殺されそうになる。
そんな中、自室に戻ったソーンは、ソルが「ホーム」に行ったことを知る。慌ててホーム=公営安楽死施設に向かったソーンは、真実を知ってしまったが故に死を選ぶしかなかったソルの最期を見届けることになる。草原や大海原などの映像とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の響きに包まれてソルが死んだ後、ソーンはその遺言に従い、裏づけをとるために死体を追跡する。そしてソルをはじめ多数の死体がトラックでソイレント社の工場に運び込まれ、人間の死体からソイレント・グリーンが生産されている事実を突き止める。その後、暗殺者の襲撃を受け、彼らを倒したものの自身も深手を負ったソーンは、病院に搬送されながら声高に真実を叫ぶのだった。(wikiより)
僕は未来に対するわくわくと不安を交互に覗き見ながら育ってきた世代って、勝手に自分の置かれた居る立ち位置を表現してしまうのですけれど、それは万博や高度成長、バブルといったイケイケな風と公害問題、オイルショック、バブル崩壊なんていう風の両方に吹かれていたからだと思うのですよね。
希望を持ちつつも、浮かれていると酷い目に合うよっていう俯瞰の視点が養われるには、恐らくどちらも必要な要素であったに違いないのです。
たとえば『ゴジラ』という存在は、実にユニークで昭和54年のゴジラは戦後10年で作られた怪獣映画であり、社会風刺であり、人類に対する警鐘であり、テクノロジーの在り方について考えさせられる作品です。
それが回を重ねるごとにより子供向けに簡略化、記号化された怪獣映画へと変遷していくのですけれども、僕が初めて劇場で観た映画がゴジラシリーズでも異色の魅力を持つ作品『ゴジラ対ヘドラ』なんですよね
今や光化学スモッグなんていう言葉を知らない人も多いかもしれませんが、子供の頃に校庭で遊んでいるとサイレンが鳴って、校舎の中に避難しないといけなかったんですよ。この怪物みたいな名前のそれは。
でも、その怪物って過去の遺物でもなんでもなく、今も身を潜めているんですけどね。
ここで紹介したい曲があって、それはもう解散してしまった”蟲ふるう夜に”ってインディーズバンドの曲なんですけどね。
『青の中の一つ』
人類は皆 一つになれない
どんなに平和に暮らしても
争いは起きてしまう
自分と違うものを不安に思う
人間は一番になったつもり
宇宙は冷ややかに見てるだろう
結構激しい曲だし、歌詞も尖っているし、曲の構成もポエトリーリーディング的な部分もあって、決して耳に心地の良いサウンドではないのですけれど、初めてライブハウスでこの曲を聴いたときはぶっ飛びましたよ。
彼らに出会ったのはまだ僕が今ほどインディーズシーンに興味を持っていなかった頃に、応援していたバンドの対バンの一つだったのですけれどね。正直に申し上げれば、最初ステージで彼らを観たときは、ああ、”この手の奴か”って、”昔こういうバンド流行ったよね、ちょっと中二病こじらせた風の”なんて思いながら遠くで眺めていたんですが、すっかりやられちゃいました。
『スターシーカー』は、彼らが成長し、たどり着いたひとつの終着点、自分たちの表現したい音楽や言葉、そこと観客、世界とどう折り合いをつけるかってところの最適解だったように思います。
ずっと君は自分だけ
信じてたよね
だから誰かに 頼れないんだね
きっと簡単なことさ
君の弱さを
聞かせて欲しい他人がいるから
立ち尽くしてた 歪む景色も
足早に通り過ぎてくよ
過去も現在も未来さえも
誰かと思い描けるのなら
もう大丈夫さ 僕はここだよ
宇宙の秘密を見つけに行こうか
銀河の海は優しくて
星たちが歌い始めた
アンドロメダの鎖を辿り
君の星へ 迷わずに
さぁ 僕は羽、広げよう
地球が終わるその時は
だからもう怯えなくていいよ
夜の闇は スターシーカー
すごくきらびやかで優しい旋律なのだけれども、この世界では”地球が終わるその時は”って歌っているんですよね。でもそれは絶望じゃないって力づけてくれる。
今更解散っしてしまったバンドの曲をこうして紹介する意味があるかどうかについては、僕も疑問を持たないわけじゃないけれど、だったら誰もビートルズを聴く必要はないだろうって、そう思わなくもない。
僕はいいと思ったものはずっと懐にしまっておきたいし、いつでも出せるようにしておきたい人だから、この作品に対する思いは機会があればいくらでも語りたいと思う。
昨日、気まぐれに行きつけのバーに寄って、そこでとても合いたい人に合うことができた。彼はとてもダンディーで繊細で、控えめで、剛毅、僕が憧れていた大人がそのまま図鑑の中から飛び出してきたようなおじさまだ。
なんでもない談笑しながら、ときどきかわす重たくも心地の良い言葉、そして今僕がとてもとても考えているテーマに対して、すでに最適解を求め終わっているような佇まいでいる。
”あれはしちゃだめ、これはいいのかな、なんてビビった生き方をしても人生はつまらないじゃないか”
僕は返す。
”幸せになろうとしないことは罪だと、僕は思うんですよ”
彼は深みのある笑顔でうなずき、美味そうにウイスキーのダブルを一気に飲み干す。
明るい未来に怯えることなく、破滅の未来を嘆くことなく、死ぬまで生きようっていう覚悟が、どうにも神々しくて、羨ましい。
もう明るい未来なんていらない。その時だけよければいいとも思わない。過去から続く現在、そこから見える明日を、何年か後をしっかり見据えてさえいれば、人は過剰に未来に期待もしなければ、絶望もしないのだと、そう思いました。
蟲ふるう夜にというバンドもまた、自分たちの過去、現在、そして未来をそんな風に見据えて、バンドを解散し、それぞれの現在を生きているのだと思えば、こんなに楽しいことはないのです。
僕も、かくありたい。
キミノオルフェ - 『この世界に花束を』も是非聴いてみてください。
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