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【往復書簡】箱の中の手紙を待つ

\\\往復書簡、やってます///



人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙

 「手ぐすねを引いて待つ」は、十分に準備をして機会を待つという意味になるのだが、往復書簡という形でこうして公開を条件で手紙のやり取りをする上において、それは相手に対して著しく失礼、或いは無礼な表現であることを認識しているうえで、やはりめけの心情を素直に語れば、ふさわしい表現をほかに思いつかない。

 善いこと、というのを求めてしまう気がする。
 もっともっと素敵なものとか、あるいはわたしの素敵な状態(書きたいとい気持ちが満ち溢れること)を待ってしまっているような……万全を期す、というとわかりやすいだろうか。

【往復書簡】 手紙を飼う

 こうした現象はすでに自己の事象として経験済みで、そういうときは「何を書けばいいのかわからない」と相手に問いかけてしまえばいい。しかし簡単にそうもいかないということも経験済みのめけにとっては「だろうな」という心持ちのまま届かない手紙を待っていた。待っていたといっても郵便箱を毎日確認していたわけではない。確認しなければ来ているかどうかわからないのに、来ていないだろうなと開けずに放っておけるほどに予測の範疇であり、想定内ということだ。

 そして「他人(ひと)は誰かを助けることはできない、自分で助かるだけ」などと、ラノベ小説家か小説家の狭間を行き来する作家の言葉を引用しつつ、ねるにアドバイスを送る。

「ほら、この手を掴んだら立ち上がれるかもしれない。でも次に立ち上がれなかったとき、手が差し伸べてくれる人を探してしまうくらいなら、この手は掴まないほうがいい」
 などと意地悪な表情をスタバのケーキで隠しつつ、めけはさらっと言ってのけ、なんならそのことすら、芳醇な甘味に交えながら記憶の片隅にしかとどまらない程度で真理を置き去りにするだろう。

 何かにすがるわけにはいかない、すがらずになんとかしようと思っているからこそ、書けないでいるのだから、その書けない自分を見つめる時間こそ、重要なのだと思う。

心の中で、めけに何度も問いかけた。ねえ、めけはどう思う?って、書きたいことが何度も浮かんで、それは消えたり消えなかったりした。

【往復書簡】 手紙を飼う

 思うに、よく考え、よく思う人とは、こうした自問自答を繰り返しながら、解決できない難問、或いは期限が押し迫って自分だけでもどうしようもない宿題を前に「何から手を付けていいかわからない」と助けを求めるものだと思う。
 そしてめけは「ただ釣り糸を下げるだけではそこに何も食いつきはしない」などと仙人のようなことを言って先達ぶった言葉を用意しているのである。
 そしてとどめに「人は迷う時、ないものに畏れ、ないものをねだる」などと偉そうなことを言う。

 さて、まずはめけの話をしよう。ねるからの手紙が届くまでの間、滞っていた心のメカニズムの探求について、めけはいろいろなアプローチを試み、現時点での仮説を立てることができた。

 そうしたことから学び取ったことに心の動きは記憶という重力の影響を受けるということだ。笑いや恐怖に対する心の動きはいくつかに分類してその性質を根源的、原始的な作用と文化や風習と言った集団の共通認識、そして個人の記憶に基づくトラウマや成功体験の3つ。
 ねるが”「⚪︎⚪︎をすると⚪︎⚪︎になるよ」という事象について、身体の変化を理解できた試しがない。”というのは、このめけの分析によれば、社会一般的には「AをすればBになる」がねるの個人体験では「AがBになった試しがない」というギャップをどう埋めていいのかわからないということだと思う。

 めけの持論に「現象には必ず理由がある」というのがある。この場合、「AをするとBになるよ。なぜならばAという行為は対象のCに対してBに変化させる効果があるからだ」となる。具体的には腹筋運動(A)をすればお腹周りがやせる(B)なぜならば運動には脂肪を消費する効果(C)があるからだ。

 これはわかりやすい。しかしここには条件がつく。ただし過剰に甘いものを摂取しないこと、そして運動は毎日1か月以上持続させること。
 この条件は場合によってもっと多岐にわたることもあるし、効果が認められるまでもっと時間がかかるものもある。

 このような肉体的な変化、物理的な変化は観測が可能であるからわかりやすいが、それが行動に対する心理的な効果(Aという行為が対象CをBに変化する事象の観測)となると難しい。なぜならば観測者によって結果が変わるからだ。これは量子力学でいうところの電子のふるまいは観測によって変化するという性質に似ている。いや、似ているように見えると言った方が正しい。

 具体的に「手紙を書きたいのに書けない」ということを解くのであれば、ねるは「手紙が書けない」と自分を見ているけれども、めけが観測すると違うように見える。「書き終えて送れない」というのがめけが観測したねるの状態だ。この「書き終える」とは何かといえば「気の利いたオチ」や「今どうしても質問したい何か」とか「とんでもないエピソードがあった」とか、手紙のエピソードやピリオドが手の届くところに見当たらない状態であるのだと思う。

 そしてもう一つ大事なこと。それは手紙とは何かという定義だ。手紙とはコミュニケーションツールであると同時に作品でもあり、物語でもある。ねるは手紙が書けなくとも、書き終えることができなくともめけとコミュニケーションの取り方がわからなくなったわけではないと思う。
 会話やLINEなどでの対話は、即時性があり、そこに必ずしもオチや物語性は必要とされない。しかし手紙の性質はそれとは違う。相手の反応は手紙を受け取ってからでなければ観測できない。即時性のある対話であればその場で軌道修正が可能だけど手紙は最初から最後まで自分で書いて、自分で終わらせなければならない。

 ねるが手紙を書き終えることができなかった理由。それは手紙という形ではなく、対話でないと伝えられないことを今、抱えているからではないだろうか。めけはそう分析する。これはとても意地の悪いことを書いているのだと知っていて、そうであろうと思う。これが「AをしてもBにならない現象」の実態なのだと思う。「書きたいことがあれば手紙が書ける」はずなのにそうならないのは「ピリオドが打てない」からであって、ようやくねるはそのピリオドを見つけた。だから手紙を書けた。

義務とか義務じゃないとか、そういう括りを全部捨てても書くことが好きだったらよかったのに。そこまでの情熱や才能がなくても、ふらふらと書き続けていきたいものである。ふらふらと

 さて、先に述べた釣りの話。
 釣りにはエサが必要だけれども、そのエサも釣りたい魚によって変える必要があるし、釣りをする場所や時間も需要な要素となる。ねるはいつものように釣り糸を心に垂らして、何か書けそうなものを心の底から釣り上げようとしていたのだと思う。
 でもこれまで釣ってきた方法ではどうにも釣りあげられずにただ糸を見つめていたのではないだろうか。
 そこには「つまらないことを書いても申し訳ない」という「ないものを畏れていた」のだと思う。めけはどんな内容(エサ)にだって食いつく魚(カエルかも)なのだから。
 そして「ないものをねだる」。これならきっとめけが喜んでくれる。そんなものはめけが決めることで、ねるに完全に把握されるようでは人生の先輩として立つ瀬がない。

 別の喩えをすれば料理が苦手だからと言って、自分の得意な料理だけ作ってみたけど、いよいよレパートリーがなくなった。もう何も作れないとはならない。またそれを繰り返せば事足りるし、何かチャレンジしてくれたら、ちゃんと最後まで食べて、ちゃんと褒めて、そしてちゃんとアドバイスを送る。
 また書けなくなったら、これを読み返して欲しい。きっと役に立つと思う。

 では、ここからめけのターン!
 この世の中には面白いことがたくさんある。場所を変えれば違う魚が釣れて、それで食べたことのない料理を作ることができるんだよ。今のめけには現代物理学がそれにあたる。
 物理の世界にはニュートン力学に代表されるような古典物理学があって、それは学校で習ってみんな頭を悩ませたと思う。めけもそう。好きではなかった。
 それをアップデートというよりは真っ向から否定するようなアインシュタインの「特殊相対理論」「一般相対理論」「光量子力学」「統計力学」というのがある。その理論からビックバン、ブラックホールの存在が検証され、ブラックホールが実際観測されたのはついこの前のこと。理論ができてから何十年物歳月がかかってようやく存在が実証された。
 今、科学は宇宙の謎を解き明かし、人の心のメカニズムを解くことも可能ではないかと言われている。面白いじゃないか。ねるが手紙を書けないでいるうちに、問わず語りよろしく、ねるの話をそっちのけでめけは女子に対してまったく効果がないだろう物理の話をして面白がらせることができるかどうかの検証をしたくて仕方がないのだ。

 何も知らず、何も覚えようとせず、ただめけの話に付き合ってくれたらいい。普通、退屈して席を立ってしまうような話を最後まで話すことができたのなら、今のめけの現代物理の理解は以前より深まってきているということになるはずだから。覚えたことを人に話す。これができて初めて理解できたと言えるのだ思う。

 最後にアインシュタインの舌だし写真はいかにして撮影されたのかというエピソードをここに貼っておく。これを読んだら少しくらいアインシュタインという人に興味が持てるかも?


▼今までの手紙


追伸
ケーキを食べながらどんなダイエットが効果があるかという話で盛り上がる女子を時々みかけるのだけれども、あれはそういう遊びなのだろうか。めけには理解不可能である。ねるはどう思う?


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