哭きの竜

違和感の最適解で竜になる

 僕の頭の中の話をしたいと思います。

 簡単に言ってしまえば世界5分前説に身を寄せながら、常に何かの選択肢を選ぶことを課せられたゲームプレイヤー。

 全然簡単じゃないって言われてしまうと困ってしまうのですが、要は微分と積分なんですよ。

 国語的な意味で。

 人生っていうのを時間軸でみれば、今なら100年なんていう物差しではかるものに成りつつありますが、人の意識って僕が50歳だとして残り50年をどう生きるかは、今の5分くらいの間の出来事によって変化していくんですよね。

 逆にこの5分前後っていうのは、過去50年の積み重ねの結果としての現在なわけですよ。

 どんな人にもこの5分の間に選択しうるこの先の5分を変え得る行動っていうのがあって、する、しない、どうやる、こうやるっていう選択を、どうしたい、どうしたくない、どうありたい、こうありたくないっていう意志によって決定していくわけですよね

 つまり最適解を求めるわけです。

 大丈夫、ハテナマークがでたり、この話は論理的ではないと思う方、ここからが本題ですから、気にいらなかったら、ここまでの話はなかったことで。

 言ってみたかっただけですから。

 僕は身の回りにある、いろんな情報から次のことを予想しながら生きています。これを”計画的行き当たりばったり”と定義しましょう。

 何が計画的で何が行き当たりばったりなのかといえば、所詮数時間後、明日のこと来週のことを予測したところで、様々なまわりとの兼ね合いで変化してしまうのだから、手近な情報で得られるより確かな予測を繰り返すことで、結果的に長期的な計画を立てて生きることと変わらない結果を出す。

 すなわち継続的目標変更による最終目的地への計画的到達

 僕は約束が苦手、それも長期的な約束。なぜなら変更の手続きが面倒だからという、いかにも自分勝手な言いぐさですが、先のスケジュール表をできるだけ白く開けておきたいと思う人なのです。

 明日の約束を常に守り続ければ、結果的に何年もの長期的な約束をコミットできると言ったらもう少し、聞こえがいいかしら。

 もちろんこれはチームプレイの中での戦術で合って、自分にしかできないことは必要な分だけスケジュールを置いていきます。家族のこと、仕事場のこと、仲間のこと、なんでもそうですが自分にしかできない事と言うのはあるのですから。

 さて、問題なのはこの目標の立て方ではなく、目標のこなし方の話をここではしたいと思います。

 さまざまな情報からいくつかの選択肢の中で最善と思われるものを選ぶ、つまり最適解を求めるわけなんですが、この最適解、論理的な取捨択一を実行するロジックであることは確かなのですが、ここに重要な要素を僕は取り入れます。

 それは違和感

 たとえばサイコロを考えたときに、出目は常に6分の1なのですが、当たり前に瞬間的には結果が偏り、長期的には6分の1になるわけです。

 違和感とは、その偏りを感じる感覚とでも言いましょうか。

 でも、僕がここで話したいのは、もっと、もっと感覚的であり、尚且つ論理的な話であるのですが・・・人との会話って、みなさん、どうやってしています?

 えっ、どうもこうも、話をするだけって言う人、そりゃ間違ってないですよ。通常はそうですよね。

 でもたとえばすごく偉い人、憧れている人、怖いと思っている人、好きで仕方がない人、相手によって話し方が変わると言えば、みなさん、そうだと思います。

 これをもっと一般的な会話に落とし込んでも、お酒を飲んで楽しい場所、ちょっとしたひそひそ話、道端でばったりあった時のすれ違いざまの会話などなど、相手や環境や状況によって人は”話し方”を微妙に変えているはずなんですよね。

 そこにはある一定のルールがあって、急いでいるときは手短に、楽しい時は大袈裟に、悲しい時は言葉数少なく、怒っているときは語気を強めて――その中で選んでいく言葉の選択基準っていうのは、少なからず平準化されたコミュニケーションルールに従うわけです。

 そんな中で、ときどき、ちょっとちがうなぁという受け答えになる場合があります。

 たとえば今何をしているの? と尋ねたとしましょう

 あなたならなんと答えますか?

 えっ、いきなりそんなことを聞かれてもと思うのが普通ですよね
 しかし、これが友達同士、恋人同士、家族だった場合、この質問に至る前の文脈が存在します。

 たとえば、喧嘩をしていたり、昨日も一昨日も一緒に遊んでいたいり、或いはすごく久しぶりだったり。

 つまり当人同士の共有している文脈(関係性と直近の出来事)によって、得られるべき答え、最適解というのはある程度限定され、聞く側もある範疇の返事を期待しています。

 仲のいい二人がお互いの仕事終わりの時間を知っているシチュエーション

 【ケース1】
 今何しているの?
 >ちょうどバイト終わったところ
 こっちもそろそろ終わる
 >それじゃあ、ご飯でも一緒に食べない?
 いいね、7時に~~駅に着けるかな
 >じゃあ、いつもの改札の前で

 次に同じシチュエーションで”状況”を変えてみましょう

 【ケース2】
 今何しているの?
 >まだバイト先
 こっちはそろそろ終わるよ
 >そうなんだ
 このあと何か予定ある?
 >食事に行く予定
 ああ、先約があったのね
 >〇〇さんから相談事があって、会う約束してる
 そうなんだ
 >〇〇さんにはまだ言ってないけど、あとで合流する?
 うーん、ちょっと考えておく、またあとで連絡するよ
 >わかった

 どちらも会話の流れとしては成立しているし、もしかしたら何ら違和感を感じないかもしれませんが、そこでもう一例上げて見ましょう。

 【ケース3】
 今何しているの?
 >バイト終わってこれから〇〇さんと合流予定
 そうなんだ
 >駅で7時に待ち合わせしているんだけど、よかったら来る?
 え? いいの?
 >〇〇さんにはこっちから連絡しておくから、たぶん大丈夫
 ああ、7時じゃちょっと間に合いそうにないから、場所きまったら連絡して
 >何時ごろになりそう?
 たぶん7時半かな
 >じゃあ、またあとで連絡するね。〇〇さん、何か相談事があるみたいだから、もしよかったら一緒に話聴いてくれる?
 構わないけど、そしたら少し時間ずらそうか?
 >そうね、一応〇〇さんに確認しておくね
 じゃあ、連絡待っていまーす

 ケース1は両方の都合があっているシチュエーション。ケース2と3は誘われた方に共通の知り合いと会う予定があるシチュエーション。三人で合流しましょうという流れになるのですが、文脈が違うと結果が変わってしまっています。

 なぜでしょうか?

 ポイントは”今何をしているの?”の問いに対して、誘われた側が最初にどう答えたかなのですが、ひとつひとつ見て行きましょう。
 まず、誘った側は、相手がそろそろバイトが終わることを知っていて連絡をとっています。

 ”今何しているの?”は、

”こんばんは、こっちはそろそろ仕事が終わるのだけれど、そちらの予定はどうなっているでしょうか?”

 を要約しうる親しい間柄の会話だということをまず念頭に置いて下さい。誘った側の相手からの回答の期待値は次の通りだとしましょう。

 A)こちらもバイトが終わった    60%
 B)イレギュラーでまだ終わらない  20%
 C)終わったが予定がある      15%
 D)その他(今日休みなど)      5%

 ケース1はA、ケース3はCであり予測の範疇で、その後の文脈はどちらも合流する方向に向かっています。

 しかしケース2の”まだバイト先”は、期待の応えに入っていません。なぜなら”当然に共有している情報”であって、聞きたい内容ではないからです。

 ケース2はその違和感を感じた誘う側が、”こっちはそろそろ終わるよ”と返すことで、聞きたいのはどこにいるかではなく、いつバイトが終わるのかを相手に伝えようとします。
 ところがその返しが”そうなんだ”と返ってきたので、具体的な要件を直接伝えます。

 このあと何か予定ある? ⇒ 食事に行く予定

 問いと答えが一致しました。ここで誘う側は二つの選択肢を持ちます。ここで誘いを止めるのが一つ。会話を続けるのが一つ。

 そして会話を続ける場合、次の相手の空いている日時を聞く、または相手の予定について聞くです。もちろんそれ以外の雑談もあるでしょうが、そこは無視しましょう。

 誘う側は”ああ、先約があったのね”と質問ではなく、相手の状況を確認する言葉を投げかけます。しかしこれにより、誘う側は、相手に予定がなければ会いたいですというニュアンスを相手に伝えています。

 ここで誘われた側は”〇〇さんから相談事があって、会う約束してる”と返すわけですが、情報としてはケース2とケース3はここで同じ条件になります。

 しかしケース2ではこの三人が合流するのは保留で話が終わり、ケース3では合流の方向でそれぞれが行動を開始します。

 なぜ同じ条件なのに結果が逆向きになってしまうのでしょうか?

 文脈だけを見れば、誘う側はただ単に誘った側からよく思われていないということが、真っ先に浮かびますが、この場合は、それは無視しましょう。

 お互いにケース1やケース3のような質問に対する最適解を返すやりとりが普段成立しているのにも限らず、このとき最初の質問に対する限定的情報の開示――つまり”答えになっていない答え”を返している違和感が存在します。
 そして第二の質問にあたる誘い側の”こっちはそろそろ終わるよ”に対して、”まだ終わらない”または”もう終わる”というお互いの状況確認の求めに対して”そうなんだ”と質問を受け流しています。

 質問に対する最適解が得られない違和感には理由があり、この場合、その違和感の正体は、誘われた側が会話に集中できないくらい、現在なにかに忙しいのか、今日に限っては誘いを断りたいのかのどちらかでしょう。

 さらに共通の知り合いの第三者の登場によって、誘い側は違和感の正体についてだいたいの検討をつけて、三人で合うことを保留するに至ったわけです。

 だいぶ長くなりましたが、僕の言わんとしていることが伝わってもらえることを切に願うばかりです。

 ごく身近な人間関係もそうですし、会社の取引や政治家の受け答えなど、質問に対する最適解が得られない違和感と言うのは、僕の目にはそこここに見受けられます。

 過日、外国籍の方と話す機会があり、日本人の会話はわかりにくいという話になりました。結論がなかったり、話がどちらにも受け取れたりということが、それにあたりますが、どんな文化であろうとも、聞かれた答えにくいことはあるもので、最適解が得られない時には、言葉の裏側に真実とまでは言わないまでも真意に近い物は見え隠れしているのだと思います。

 つまり質問の最適解を得られない違和感の最適解を求めることができれば、見えなかったものが見えるようになるのではないか。

 今回は、ややこしくも、僕が物書きである以上、絶対に無視できない文脈上の違和感の最適解の求め方についてお話させて頂きました。

 さて、このお話のオチです。

 このケース2のその後を覗いてみましょう

 〇〇さん、ごめん、実は△△さんから今日、食事の誘いがあって、なんとなく話を濁して断ったんだけど、気分悪くしてないかなぁ?

 そうなんだ。でも、まぁ、別に悪いことをしているわけじゃないから、あとでちゃんと話せばわかってくれると思うよ

 そうだよね……それで△△さんの誕生日のサプライズ、何がいいと思う?

 これは実際5年くらい前に僕が体験した話で、友達の彼女から誕生日に何かサプライズを仕掛けたいと相談を受けたのですが、なにかこそこそやっていると、変な疑いをもたれてしまったことがあります。
 もちろんサプライズは成功し、彼はその日、めったにない事ですがめちゃくちゃご機嫌で酔いつぶれてしまいました。

 現実では下手な恋愛サスペンスドラマのように、質問の最適解に対する違和感をの正体を見破るのは難しいし、それができれば麻雀で敵なしでしょう。

 もしそれが可能なら、僕は哭きの竜にだってなれたかも・・・

 でもだからこそ僕は最適解の違和感については、ずっと注視していこうと思っております。
 それを続けることによって、最終的に人生の最適解、つまり上手に生きる方程式が導き出せるかもしれませんからね。

 あんた背中が煤けてるぜ

 ああ、一度でいいからこんなかっこいいセリフ、言ってみたい!

※哭きの竜
『麻雀飛翔伝 哭きの竜』(まーじゃんひしょうでん なきのりゅう)は、能條純一の漫画。1985年から1990年まで『別冊近代麻雀』で連載された。
鳴き麻雀を信条とする竜と、竜の強運を追い求めるヤクザたちの織り成す人間模様を、ナレーション風の状況説明「のちに述懐す‥」や、印象的なショットの連続で描かれた作品である。

通常、麻雀は“鳴く”と役(ハン数)が減り、手の内の一部を明かすなどの不利な側面があるが、竜は意外とも思える“鳴き”で手役を完成させていく、あるいは相手からの捨て牌で見事にアガるという、ドラマチックな展開が見せ場のひとつとなっている。また、麻雀漫画にありがちな不正行為の類がないのも特徴である。(wikiより)

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