【老前コラム】キース・エマーソン、アラン・ドロン、チャーリー・ワッツ
世にいうスーパースターの中には老いを感じさせない宇宙人のような人たちもいる。先日亡くなられたアラン・ドロンは色男の代表的存在で、ある年代の知名度、人気度は絶大なものがあり、彼の死を惜しむ声はとても多かった。
僕の感覚だと彼が色男だった時代はすでに過去の出来事だったけど、アラン・ドロンというネームバリューは強烈なものだったし、ロードショーがゴールデンタイムで放送していた時代であればアラン・ドロン主演の映画は根強い人気があったと記憶している。
齢重ねてなお、色気があるというのは魔法のようなもので、スーパースターのオーラが色あせない人だったと思う。
ロックのスーパースターで言ったらザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは現在でもロックのアイコンであり続けるし、年齢を感じさせないアグレッシブなライブパフォーマンスはもはや常人の域をとっくに越した宇宙人のような存在に思える。
現役であることにこだわり続けたKAZUこと三浦知良選手もまた、往年の切れはないものの、フィールドの上での存在感は若いプレイヤーに引けを取らない。サッカー選手の場合、これまでは30代で現役を引退するのは普通のこと、というよりそこまでレギュラーで活躍できる選手はとても少なく、40代というのは鉄人と称されるレベルになる。
昨今の2大スーパースター、アルゼンチンのリオネル・メッシとポルトガルのクリスチアーノ・ロナウド、これに加えてブラジルのネイマールなどは他のプレイヤーとは次元の違う高いパフォーマンスをずっと維持し続けている。
老いとは見た目だけではなく、その人の活動のパフォーマンスが色あせずにいることで、老いを感じさせない存在となるのだが、現役を引退したとたんにその輝きが急激に薄れてしまうことは否めない。
老いと衰えでいえば、こんな悲しい事件が僕の胸を締め付けたことがある。ロックの中にはプログレッシブ・ロックという超絶な演奏技巧と音楽の様々なジャンルを融合し、新し世界観を表現するジャンルがあり、僕は一時期プログレに傾倒していたことがある。
ピンク・フロイド、ジェネシス、イエス、そしてエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)は、その代表格として長いことプログレをけん引していたバンドだ。そのキース・エマーソンが自殺をしたと聞いたとき、その理由に深い悲しみと憤りを覚えました。
彼は超一流のキーボーディストです。日本にも縁は深く、アニメ映画『幻魔大戦』のサウンドトラックを担当したこともあります。また新日本プロレステレビ放送のオープニングで使われていた「The Score」は耳にしたことがある人も多いかと思います。
2016年3月。彼は自らの命を絶ちます。享年71歳。高齢ではありましたが、楽器のプレイヤーの年齢としては円熟が増し、まだまだ素晴らしい演奏ができる年齢だったと思います。しかしながら彼は病気を患い、思うようなプレイができなくなっていたそうです。それは老いであるのか病であるのか、いずれにしても彼のこれまでの功績は先駆者であり革新的なサウンドを数多く生み出し、音楽界に多大な貢献をした人物です。
彼自身、自分のプレイに自信を無くし、現役を退く準備に入っていたそうです。ただ、彼の往年のプレイに期待するファンはSNSで彼のプレイについて非常に厳しい批判をし、彼自身、そうした投稿を見て傷ついていたようです。そのあたりは彼に寄り添っていた日本人女性のインタビューがあるので、こちらをご覧ください。とてもつらい話です。
老いと病は死と隣り合わせ、そこに生が横たわっていると僕は考えます。人は老いに向かい合い、病に立ち向かい、死に抗いながら生きていきます。しかし彼に対する誹謗中傷はその「生きる力」をそがれてしまったという悲しい結末になってしまいましたが、そうした誹謗中傷をした人々もいずれ老いや病と向き合う時が来ることを考えると切なくなります。
彼らは一体、自分がしてしまったことの罪悪感に耐えられるのだろうかと。
老い、衰えはどんなスーパースターにも、どんな平凡な人にも訪れます。どう生きるか、どう死を迎えるかというのは人が心を持つ以上永遠の命題なのだと思います。そのために、老いてなお気骨ある生き方をするためにもこのような悲しい出来事から学ぶことは多いと思います。
2024年8月5日(月)東京ドームにてサントリードリームマッチが大盛況の中開催されました。往年のプロ野球のスーパースターが集い、一夜限りの夢の競演をしたのが1995年のこと。
このような試みは様々なスポーツでも行われていますが、ユニフォームを着ていないときはさえないおっさんだったのが、フィールドに立つとまるで別人という光景を目の当たりにすると、老いも衰えも、悪くないものだなと思うのです。
僕のよく通っているカラオケ居酒屋には80歳くらいの老夫婦が二週にい回くらいの割合で飲みにいらっしゃいます。どちらの方も愛らしく、可愛らしく、仲睦まじく、そしてしっかり男性であり、女性である。
旦那さんは一人で来られるときには喫煙されます。奥様の前では決してしません。こっそりかくれて吸っているのですが、いや、そんなの絶対ばれているとみんな思うのですが、それが可愛らしくて仕方がありません。
ずいぶん前に出張先で飛び込んだスナックも、カウンターに70前後の男女が集まり、なにやら秘め事めいた話で盛り上がっていました。時空を超えた青春真っ只中とでも申しましょうか、輝いておりました。
気骨といえば、ともすれば武骨に寄ってしまう響きですが、もっとしなやかで、武道で言えば太極拳のような円を描きながら何事にも動じない強さも含んでいるような気がします。
アラン・ドロンはスーパースターの名声を手にしたままこの世を去ったのかもしれませんが、彼自身の心は果たしてあの老夫婦のように満たされたものだったかはわかりません。
こうしたことは誰の身の上にも起こることではないでしょうが、何をもって幸福とするかを議論することよりも、老いようが衰えようが穏やかでいられる身のこなしとはどういうものなのかを考えることに時間を費やしたほうがいいように思います。
僕はと言えば、よく人の話を聞き、よく考え、感じたことを素直に話す。そうすれば周りの反応が鏡となり、今の自分の姿をより正確に写してくれるようになり、心の身だしなみを整えられるのではないかと、そんなふうに考えています。
身だしなみといえば、ストーンズにおいてはもう亡くなられてしまいましたがチャーリー・ワッツでしょうね。彼のドラミングはいつもスマートでいて格好がいい。それは彼の普段の身だしなみのように凛としてなお、力強さを感じるダンディなプレイヤー。かくありたいものです。
砕けることなく転がり続けた石は、最高のリズムを刻み続ける。