秒針がうるさくて眠れない夜と青春の嵐
この記事を読んで思いついた言葉をタイトルにしたらこうなった。
毎週日曜日の夜はyoutubeでライブ配信をしている。映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」についてあれこれ話した結果、12時過ぎに配信が終わっても、熱量が下がらない。
たまにそういうことがある。
本当にグダグダと布団に入って最近お気に入りの言語学関連の動画を見ているうちに気を失い、寒さで目が覚める。窓が開けっぱなしだった。窓を閉め、再び布団に潜り込むが、今度はダイソーで買った300円(だったか500円か)の時計の秒針の音が気になり眠れそうもなかったので、noteを開き、自分の記事にスキをつけてくれた人がどんな記事を書いているのか、さっと読み始める。
その時に出会ったのがNoeさんのこの記事だった。
世代的に同じくらいだと思われ、出てくるパンクバンドの名前やカセットからCDへの移行のタイミングだったことや、自分もバンド関係の雑誌にメンバー募集を載せた経験があったので、懐かしさと、彼女が送ってきたいわゆる青春と呼ばれる時期が、まるで嵐のようだと感じてふと、頭の中にこのタイトルが浮かんだ。
これは病気みたいなもので、思いついたら書かずにいられない。
懐かしい切なさとは随分といい加減な表現だけど、何か取り返しのつかないようなままならないこと、それは嵐のようにいろんなものを巻き込んで何事もなかったように去っていく。
いや、何事もないなんてことはなくて、残るのは切なさという言葉に放り込まれた未熟さや拙さや間の悪さ、何年か後の自分であればもう少しなんとかできただろう間の悪い、間の抜けた無力さみたいなものがきれいに包装されてゴミ箱に入りきらずに浮いている。
そんな宙ぶらりんな感情に翻弄され続けた自分やその時代に生きていた人への無遠慮な「わかるよ」て感覚をここに書かずにはいられなくなった。
6月に今のアパートに引っ越してきてこんなに静かな夜はない。だから秒針がうるさい。夏は扇風機の音、つい最近は窓を開けっぱで寝ていたからアパートの前の道路を走る車の音がうるさく、それが心地よかった。
中学生の頃は常にラジオを聴いているか、好きな音楽――当時一番やんちゃだった友達の家で聴いたクイーンが衝撃的で、すっかり洋楽にかぶれて流行りの洋楽やメタルを聴いていた。あの頃の自分とNoeさんがパンクと出会った時期はそんなにかわらないか、或いは遠藤道子に僕は近いのか、その中間くらいか。
何にしてもあの頃の自分を久しぶりに思い出して懐かしい友達に会ったような気分とあの頃うまくいかなかったあんなことやこんなことを次から次へと思い出してしまう。
しかし今日はこのあたりでやめておこう。何やらNoeさんの嵐の話はまだ、ほんのさわりのようでもあるし、ほかの記事もゆっくり読ませてもらおうと思います。
最後のこちらからの引用をご紹介させてください
眠れない夜というのも悪くない。秒針もさっきより少し心地よく聞こえる