見出し画像

心のメカニズムとタロットカード

 きっかけは量子力学という文系の自分にはまるで理解が及ばない世界への好奇心から始まった。
 毎年ノーベル賞が発表されるが、それがどれだけすごいこと、人類社会に貢献しているのかという尺度を自分は持ち合わせていなかった。

 もちろんノーベル財団がどのような経緯で設立されたかくらいは知っているし、日本人が受賞したときのニュースなどはそれなりに読み込んで理解しようとする。

 20年近く怪奇譚やSF小説まがいのもの、恋愛小説などを書いてくると一つの疑問、或いは設問にぶち当たる。それは登場人物を描く作業の積み重ねとよりイメージに近い描写をするため、或いはそれを読者に高解像度で伝えるために人間の行動や自分の行動原理などを考察していると、人の心にはしっかりとしたメカニズムがあり、それを司るのは小さな細胞の集合体であり、更に言えば量子の力学に基づくプログラミングではないかという問題である。

 そうと気づいたとき、どうしても知りたくなる。理解したくなる。ではどこから手を付けようかと思ったときに出会ったのがロジャー・ペンローズと言うことになるのだが、正直まるで理解が追い付かなかった。

 そこでひとつの賭けに出た

 それがタロットカードだ。実際、タロットをやってみて思ったのがなんでもない確率の事象を人の脳は占いという形に整形し、あたかもそれに意味があるようなふるまいに対して占う側も占われる側も、そこに意味を見出すこっとができる。
 実際に覚えたてのにわか占い師は、見事に見えないはずのその人の過去と未来と現在を占って見せ、相談者は大いに満足をしてくれた。
 そこに何か説明をつけるのなら、偶然が重なってたまたまうまく行ったということになる。或いは占い師は鋭い洞察力でわずかな会話や相手の所作や表情から一つの正解に向かって辻褄を合わせたということになる。

 なぜ、辻褄はあうのだろうか?

 一般的なタロットは78枚1組が一般的で、寓意画が描かれた22枚の大アルカナ(絵札、トランプのカード)と、ワンド(棍棒)、カップ(杯)、ソード(剣)、ペンタクル(五芒星)のスート(マーク)の4組に分割される56枚の小アルカナ(数札)で構成される。

 つまり単純に78枚のカードがあるだけでなく、そこにアルカナという大きな分類によって大きな意味を持つ22枚と56枚に分かれている。その56枚はワインド(火)カップ(水)ソード(風)ペンタクル(大地)4つの属性がそれぞれにあり、さらにそのひとつひとつにエース(1)から10の数値とペイジ(従者・見習い)、ナイト、クイーン、キングの4つの14枚が存在する。
 それを任意で10枚引いて、それを意味のあるポジションに置く。これが一般的な占いの方法になる。

https://unmeinosekai.com/tarot/tejun/

 そしてここに配置するときに正位置か逆位置で意味が変わる。たとえば正位置のマジシャンであれば
準備万端/スキル/創造/自信/アクション/説得力/変化を起こせる/自由に楽しめる

これが逆位置だと
迷い/不安定/まがいもの/嘘/知識不足/刹那的/優柔不断になっている/悪知恵が働く

 つまりこれだけの意味のある枠組みを用意するとそれによって引き出される情報はとてつもなく膨大になるのだが、必ず何かの方向に偏りが出る。むしろすべてがつながらない配置になることは珍しいといっていい。

 辻褄は合うべくして合っているということもできる。

 これは人間の言語に酷似している。単純に何の関連性のない単語を100用意したとして、そこからランダムに10の単語を正逆の属性を与え、意味のある枠に置いていったとして、人は必ずそこから何かしらの意味を読み取ることができる。

 これは我々の脳には情報の辻褄を合わせる自動制御装置がそなわり、万物何にでも意味のあるものと理解し、記憶しようとしているに他ならない。つまりタロットはそういう脳の特性を活用したゲームであるともいえる。

 しかし、ここで大きな問題がある。つまり私たち人間は日常的にそのようなことをしている。朝起きて支度をし、会社に行って誰かと会話した後に仕事をこなし、休憩して昼食をとり、午後は客先に出かけて帰りは友達と約束をして居酒屋でほろ酔いになり昔話に花を咲かせて帰宅する。

 人はそれを日常生活と認識し、その積み重ねを人生だと認識している。人は日々、タロットカードを引いていると言ってもいい。だからタロットは当たるように思えるのではないだろうか。
 もっと言えばタロットが示す意味と私たちの日常にはなんら変わりはないのではないだろうか。

 我々の世界は量子力学の中で動いている。そこに人間が意味を見出すこと、全体としての目の前で起きているニュートン力学の世界の世界は大アルカナのようにふるまい、原子や電子は小アルカナでありそれが特殊相対性理論や一般相対性理論とすれば、タロットを配置する場所は地場であるのかもしれない。

 筆者にとってタロットカードとは、実に厄介で興味深い存在なのである。

 そう、筆者の文通相手はタロットもやっているのでぜひ覗き見て欲しい。


いいなと思ったら応援しよう!