見出し画像

【老前コラム】老眼鏡~初めて老いを感じた瞬間

【老後】という言葉を検索すると真っ先に出てくるのが保険や銀行関係の記事で老後に対する備えについてあれこれ紹介している。【高齢化】と検索すると内閣府の高齢化の現状と将来像|令和5年版高齢社会白書(全体版)なるものや厚生労働省、総務省の実態調査の資料などが散見する。あわせて少子高齢化、人口減少化などという言葉が出てくる。
 それらから受ける印象は備えなければいけない社会的問題ということになるだろうか。早くから備えるに越したことはないということでそうした保険商品や金融商品を運用する人たちもいれば、老後は都会から地方へ、日本から気候の安定した海外へなんて話もよく耳にする。

 また書籍などでは老後の過ごし方80代、90代をどう生きるかなどの見出しが躍る本をよく見かける。もちろん介護や若さを保つには、孤独と向き合うにはといったものも昔からよく目にする。

 老後の備えという言葉自体がどうにも脅迫じみていて僕には口に出すこともはばかれる。老いるってそんなに悪いこと、つらいこと、不幸なことなのだろうか。そんな思いからこのコラムのタイトルを【老前コラム】としみたところで、やはりこの「老いる」という文字の哀愁や切なさというのはいかんともしがたい。

 さて、僕が最初に老いを感じたのは他の例にもれず、近いところが見えにくくなる「老眼」という現象だった。45歳の時にガンプラを久しぶりに組み立てようと思ったところ、設計図がどうにも見にくい。ぼやける。頑張れば焦点はあうが、目が疲れる。明らかに無理やりに筋肉を使って焦点を合わせているのがわかる。

「あっ、きたこれ」と思った。
 昔は図面の字が見えないなんてことなかったのに!
「認めたくないものだな 自分自身の老いゆえの老眼というものを」
 しかし今どきはWEBで組立図を見れるから便利になった。

 もちろん他の兆候がなかったわけでもない。ボウリングをやったあとに筋肉痛になるのがいつもより1日遅いとか、階段を上るときに言い切れがするとか、平らなところで躓くようになるとか、お酒に弱くなった、夜に弱くなったなど、日常でそれを感じることは多々あっても、それでもまだまだやれると鼓舞するまではいかなくとも無視することはできた。
 ボウリングにも筋肉痛にならないコツはあるようなので、このような動画を検索するのも知恵袋。

 しかし老眼という現象はある意味残酷だ。日常生活に明らかな支障が出始める。仕事柄小さな文字、たとえば数字の「8」と英文字の「B」が混在しているような英数文字の羅列を読む機会が多いのだが、その区別があいまいになる。それでも老眼鏡を拒み、スマホで写真をとって拡大してみたりする。そして古い単行本の文字は読みにくいので新しい大きな文字のものを選ぶ。譜面などはまだ前後の流れで判断がつくが、最近の流行り曲の大量の文字が詰め込まれた歌詞はどうにもついていけない(いや、それは老眼とは関係ない)

 老眼鏡を試しに100円均一で買ったのは50手前くらい。1.2のものと1.5を購入してかけ比べてみると、1・5はさすがに虫眼鏡で世界を見ているような感覚になったので、1.2をいくつか買って、家と職場に置いたものの、それでもできるだけ使わずにというか頼らずにいたが、いよいよ55歳のときにもう限界だと人前でも老眼鏡をかけるようになった。

 それほど僕にとっては老眼鏡は老いの象徴であり、体形が変わってワンサイズ上のシャツやズボンを買う以上に屈辱的なこと、或いは恥辱的なことに思えていた。今にして思えば、なんとも無駄なことであるのだが、55歳というのはいろいろな意味で節目、映画館によっては55歳以上は割引で入れるし、社会が初老、老人として扱うことを是としている。これにはある歴史というか社会的な共通認識が影響をしている。
55歳定年」で検索をすると「違法」と出てくるが、詳しく見るとこうなる。

戦前に定められた厚生年金保険法が改定され、男性の年金支給開始年齢はそれまでの55歳から60歳に引き上げられた(女性は55歳)。 当時の日本企業の定年年齢は55歳が主流だったから、ここから5年の空白が生じた。 それ以後、定年が55歳から60歳に引き上げられたのが1994年のことであった。

 つまり55歳定年が60歳に引き上げられたのが年金の支給時期が変更されたからということになる。僕が生きてきたほとんどの時間、定年は55歳とされていたのだが、僕が老いることを拒む間に、世の中も老いの定義を延長していたのだ。

●65歳を定年とする企業数
全企業の18.4%、前年より2537社増の30250社、前年より1.2ポイント増加した。
31~50人:1万2291社(1万1401社)
51~300人:1万5927社(1万4537社)
301人以上:2032社(1775社)

令和元年
 

 1990年代であれば、僕はもう定年、それがずるずると延長され今は65歳までとなっている。これは社会の在り方が変わり、55歳を過ぎても十分に働けるようになったこと、それ以上に少子高齢化の影響で年金の運用に問題があったということなのだが、それらを理解したうえで考えるとまだまだ僕は老人ではないということを社会も自分も認めている、認め合っているというところか。

 しかしながらである。しかしながら衰え、老いは確かにある。いつもはしないようなミス、見間違えるということは起きているし、それは精度の低下、スピードの低下ということになる。
 だからと言って生産性が低下しているかと言えば、年の功、修正能力の高さや、対応力という意味では経験がものをいう場面がある。総じていえばとんとんよりも多少分がいいかもしれないが、それも職業、職種による。

 鍛えていれば筋力も極端には低下しない。それでも老いという衰えはやってくる。悲観的になるなというほうが無理な相談だ。
 否、僕は案外そうでもない。「老いてなお盛ん」なんて言葉もあるがそうではなく「老いてなお気骨あるものは賞すべきかな」という近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母フローレンス・ナイチンゲールを賞する言葉を借りて、体は老いはしても精神はいつまでも若々しくロックでありたいと思うし、ある程度実践はできていると思う。

 僕は時々人に言う。
歳を取るというのも案外、悪いものではない。歳をとるのと老いるのは違うから

 人それぞれの状況によって老いることが怖いというのもわかる。知人の医療関係従事者の話では、死を病院のベッドで一人で迎えるというのは、どんな人生よりも哀れに思えるそうで、それは彼がそう思うという以上に、そうやって人知れずに死を迎えた人の言葉も含まれるのだと思う。
 これについても、必ずしもそうとは限らないと思いつつも、そうならない選択肢があるのなら、人はやはり誰かに看取られて静かに逝くことがひとつの幸福であることには違いないと思う。

 そう考えるとは老いの始まりとは、老眼鏡を必要とした時よりも、それによって精神が弱り、物事に対して気持ちがついていかない、後れを取るようになることではないのかと思う。確かに近くのものが見えない、小さな音が聞こえない、かゆいところに手が届かないなど、身体的な変化は気骨なるものをそぎ落とす刃物なのかもしれない。或いはやすりかハンマーか。

 お金は心に余裕を生む。後顧の憂いがなければ前を向いて戦える。お金はパワーともいえるし、それを生み出す燃料ともいえる。あればあるに越したことはないしもっともわかりやすい老いへの対策なのだろうと思う。しかしそんなことを考えた時点で精神的には弱腰になっていやしないかと、そう思ってしまう自分は「宵越しの金は持たねぇ」と嘘ぶってみせる。それはたぶんダメなんだろうと思う。

 いやはや、老いというのは考えれば考えるほど面倒である。どこからが老いなのかという定義ですらままならない。確実に変化はしてきているし、それは社会もそうだが、価値観というのも確実に変わってきている。隠居などという言葉は、もはや社会は必要としてないだろうし、敬うようなこともなくなってきているのではないか。

 社会・肉体・精神を総合的に見て老いを語るのであればそれは生き様であって死に様であるという正と負の分岐である「ゼロ」を普遍化することには意味がないのかもしれない。意味を持たせるとするのならば、それは自己の納得と社会の適正さ、そして身近な誰かの扱いということになるのだろうか。
 僕はどうにか電車で席を譲られずに来ているし、どうかそんなことはこの先しばらく起きてほしくないと思っている。そうなった瞬間に笑顔でこたえられる準備はまだできていないのだから。
 とはいえ小さな子供からお兄さんと言われなくなって久しく、おじさん、おっちゃん、おっさんですっかり定着しているが、いつしか「おじちゃん」と無邪気に呼んでくれた言葉を「おじいちゃん」と聞き間違える日が来るのだろうから(聞き間違いではなかったとしても)、そのときは笑って「孫ができるまではおじいちゃんって言わないんだよ」と言えるようにしておこう。もっとも「孫」が居なくてもそう呼ばれてしかるべき時期はそう遠くはないのだろうけれども。

 つまるところ僕はまだ老いてはいない。老眼鏡をかけることに抵抗がなくなったとしても、それは老いを認めたのではなく、衰えを認めただけのことであって、歩くよりも自転車が早ければペダルをこぐのと同じ、走るというリスクを避ける知恵を持っているだけのことである。

 いかに気骨があったとしても、リング外の老年プロレスラーがそうであるようにマットの上以外ではおじいちゃんのようなかわいらしさを持ち、いざ試合となれば往年のそれと変わらぬような輝きを放つ。そんな初老で僕はありたい。

 越中詩郎さんとは一度お仕事をご一緒したことがあるのですが、お会いしたときは「おじいちゃんになったなぁ」と思ったのですが、アップをしてマットに上がった瞬間に身体のハリが現役の頃のようにピンとなって何か魔法を見ているのではないかと思ったほどに輝いて見えました。

 すべてがプロレスのようにはいかないことは承知していますが、僕にとってプロレスは人の生き様をエンターテイメント化した格闘技だと位置づけています。ここに大きなヒントがあるのではないでしょうか。それは老いてなお人前で自分の生きざまをさらす。それこそ気骨ある者にしかできない老いへの抵抗。ロックだなと思います。
 そしてリングから降りた越中さんがメガネをかけた瞬間逆ウルトラアイのようにおじいちゃんに変身するのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?