『奈良美智: The Beginning Place ここから』を訪れて
はじめに
奈良さんの作品はどこか孤独なわたしたちに寄り添ってくれる。それは、例えるなら冬本番の雲ひとつない寒空の太陽みたいな感じ。寒さが肌を突き刺すようで泣きたいほど痛い現実は変わらないんだけど、そんな中、しもやけにでもなりそうな手をそっと空にかざしてみるとじわじわと太陽光であったまっていくような優しい雰囲気が奈良さんの作品にはある。
丸い輪郭と小さな身体で「弱そう」なのにギラついた挑戦的な目線で見つめ返す女の子たちは、そこはかとない未来への不安に泣いてるわたしに対して「まだまだ一緒にやれるでしょ」と言っているよう。そんなちょっとマセた感じが悩んでいることをバカバカしく思わせて、また頑張って生きようと勇気をくれる。かわいい三角屋根の家のモチーフたちは、「わたしにとって一番落ち着ける『おうち』と言える場所とか関係性とかってなんだっけ」と問いかける。そして、漠然とした疎外感を感じる社会の中にも、わたしの居場所が必ずあったことを思い出させてくれる。それだけじゃない。数々の作品との共鳴。アートというメディアを媒介して「君や僕にちょっと似ている」とあたたかな共感の情動が共有されるファンコミュニティ。奈良さんのアートはわたしたちに「ひとりじゃない」ことを語りかけてくれる。
青森県立美術館で開催されている『奈良美智: The Beginning Place ここから』展はそんな奈良さんのことをもっと知り、ずっと好きになる仕掛けに富んだ企画展だったように思う。記憶が新しいうちに、感覚が鈍らないうちにそのあたたかな感情を書き留めて確かなものにしたい。
奈良さんをもっと知り、ずっと好きになる
本展示は奈良さんの人生年譜をひとつの軸として、これまで作品のコアとなってきた5つのテーマ〈家・積層の時空・旅・No War・ロック喫茶 「33 1/3」と小さな共同体〉を、40年に渡って制作された作品群と共に検討することで、奈良さんの作品作りの中で「一本の幹を見つける」、すなわち、奈良さんを奈良さんたらしめている根源を思い巡らす構図となっている。奈良さんの生まれ故郷の青森かつ、代表的な作品の『あおもり犬』がその根を張っている青森県立美術館での開催されるのにうってつけのなんとも粋なテーマの展示なのである。
武蔵美時代、愛知県立美術大時代、デュッセルドルフ芸術アカデミー時代、ドイツ制作時代、その後日本に帰国してから現在に至るまで、それぞれの年代で作られた作品が油絵、スケッチ、大型のオブジェ問わずさまざまな形態のものがテーマに合わせて並べられている。
武蔵美時代の貴重な作品には青森の住宅街の風景が描かれている。ドイツ留学中のスケッチには抽象化された三角屋根の家のモチーフが繰り返し使われている。「火は生活のシンボル」そう追記されている作品もあり、なるほど、奈良さんの描く燃える家は、生命を燃やす人々の生き様を表象しているのかと思った。また、デュッセルドルフ芸術アカデミー時代初期の作品はキツネが空から降っていたり、絵のタッチに、シュルレアリスムの影響を思わせるような油絵作品がいくつか並んでいた。しかし、その後の作品ではスケッチに描かれていた女の子や家が大型の作品にも表れるようになる。不思議に思って年譜を見ると、在学中、恩師の先生から「普段描いているスケッチをキャンバスに書いてみては?」とのアドバイスがあったそうだ。シュルレアリスムの根底にある、理性主義のの厳格な規律を超越した、象徴を利用した感覚的な無意識の表出と、奈良さんが幼少期から育んできたロックンロールな反骨精神の表象がその瞬間から爆発的な生命力と共にマリアージュしたように感じられた。
奈良さんの作品に表象される社会的なメッセージ性も、年代や場所を追うごとに重層化していた。一貫した反戦・反核のメッセージからは60年代のカウンターカルチャーと共にドイツの社会性を思わせる。東日本大震災以降の作品からは強固な地盤が揺れること、すなわち、今当たり前に「在る」と感じていることの曖昧さや不安定さが色使いやタッチに表れているような気がした。さらに、過去のスケッチに描き重ねた作品からは、絶えず自らの作品と対話を行い、その解釈を通じて「奈良さんらしい」アートを追求する情熱と貪欲さを感じ取り、胸を打たれた。
そんなこんなと、奈良さんのoeuvreと一挙に対面して、ご本人の個人史と作品を知り、魅了され、もっとずっと好きになってしまうような展示だった。
青森の自由な時空間を知る
奈良さんご本人や作品のよさのみならず、奈良さんを奈良さんたらしめている「一本の幹」のルーツ、青森の「時空間的な自由」といった良さも存分に感じられる展示だった。
まず、展示のスケール。展示場を縦横無尽に動き回り、年譜と作品を行き来して時には立ち止まり、じっくり絵やオブジェと対面して考える。東京などの大都市での最近の展示は大混雑が当たり前になっていてここまで自由なアート鑑賞の機会はかなり限定されていると言わざるを得ない。「アート」を「作品を作ること、もしくは思慮深く鑑賞すること」といった行為として定義するならば、人の流れに制約されず、自由に「アート」できるのは青森県立美術館の空間的スケールがあったからこそ可能だったように思う。一分一秒単位で生活が刻まれる忙しない都会の人々の足運びに乗せられ、ベルトコンベア式に流れるように作品を見るのは好きじゃない。アートが消費主義の道具として安易に用いられる資本主義社会のもと、売れるだけチケットが売り捌かれ、アートする行為の価値が退けられているような感覚に苛まれるからだ。一方、アートを媒介して自分と社会と深い対話を可能にする時空間的な自由が与えられた今回の展示は体験価値として大変貴重なように思えた。
また、奈良さんの作品からも青森の時空間的な自由の計り知れない影響を感じた。ロック喫茶 「33 1/3」のような大がかりな秘密基地は当時の青森だったからこそできたのだろうな、羨ましいと、6畳半の居住スペースに慣れっこのわたしは思ってしまった。また、時給労働を基盤とした、時計的で直線的な時間の切迫感は、後期資本主義のポストモダン社会の混乱と喧騒の中、より鬼気迫るものとなっていると思う。人生を時間で切り売りしているから「生き遅れないように」人生の中で「幸せ」とされるイベントを一刻も早くスタンプラリーがごとくこなして、お金も稼いで...とにかく「速い」ことが良いこととされることが多い。社会的に構築された幸せとスピードの画一的な相関関係に縛られることなく、経験的な、身体を巡る情動に耳を傾けて生きる奈良さんの生き様からはそこはかとない自由を感じられた。経験的な時間を生きる奈良さんへの、青森の時空間的な影響はとても複雑なものだろうし、一口に語ることなど絶対にできないが、きっと奈良さんが生きるコミュニティのシナジーがあったからこそ、自由に世界を飛び回り、各地で時にはスタジオを建ててじっくりと腰を据えて時間をかけてアート制作に励むことができたのかな、と想像が膨らんだ。
青森の時空間的な余裕は、作り手にも鑑賞者にもアートをする自由を授けるような印象を抱いた。今回の展示を通じて、青森のことももっとずっと好きになった。
Midnight Tears: 考察と感想
奈良さんの最新作のひとつであり、今回の展示のポスターにも載っている Midnight Tearsに圧巻されたからその時に感じた心の機微も書き残したい。
〈積層の時空〉の展示コーナーに配置された本作品は「色で境界を創る」奈良さんの試みの最先端を表しているようだった。
暖色が基調の色彩豊かなモザイクに浮かび上がる半透明っぽい肌の色の女の子の顔。絵の具の量によって顔の陰影が調整されているような雰囲気があるものの、塗料の厚みが立体的かと問われるとそうではなく、限りなく平面。少女の目の色や髪の毛の色、洋服の色、背景にぼんやりと浮かぶ色にはどこか連続性が感じられ、何が背景で何が前面なのかその境界が朧げになっている。どこか霊的な存在を思わせる肌の色の半透明さといい、陰影があるように見えるのに平面的で、背景と主体の関係性が脱構築された絵からは「そこに確かにオーラは在るのに実態が掴めない、存在の境界の曖昧さ」があった。解説には、少女が大きく中心に据えられた絵は宗教画の聖なる趣きを彷彿とさせるといった旨が書かれていたものの、Midnight Tearsは人物ありきの作品、というよりはまず「空間」があってそこに人が宿るといった、空間と人の繋がりの精神性を感じた。換言すると、空間と人との間に明確な境界が存在しているといったような人-物の対立関係は否定され、その代わりに、両者は限りなく同様の要素から作られており、重層的で同じ世界の一部として共存していることを表しているように思わされた。
本来のヒトとモノと空間と環境とフラットでアンビギュアスな関係がアートによって美しく昇華され、一見物悲しいようにも見える作品の中にも希望が感じ取れた。暗い背景は、真っ黒に近いのだけれど、よく見ると茶褐色っぽくてそのレイヤーの下には色とりどりのモザイクがチラつく。少女の黒い瞳には一筋の光と星雲のような色の重なりが輝く。右目に溜まる涙は薄い黄色と水色のハーモニー。「水」の涙に「光」が差し込んだような、まるでエリクサーのような色。少女の口元は歯を食いしばっているようにも見えて、「負けない」「屈さない」といった感情が伝わる。今、絶望的な暗いところにいるように見えるかもしれないけれども、希望は確かにあるーしかも、その希望の光源は少女が対面するわたしたち鑑賞者側にあり、人新世を乗り越えてより良い幸せを掴むのもわたしたち次第だ、と語りかけられているような気がした。
あれやこれやとぼーっと考えながらこの絵の前のベンチで座っていたところ、9-10歳ほどの少女が駆け寄って家族に向かって「この女の子はなんで泣いてるんだろう!」と元気よく問いかけていた。
「どうして」と自由に、誰にでも、自分と絵画と世界との関係性を想像的に解釈することを促す奈良さんの作品は本当に限りなく素敵だなと心が温まった。
『奈良美智: The Beginning Place ここから』、大好きな展示になりました。
詳細:
『奈良美智: The Beginning Place ここから』
場所:青森県立美術館
会期:2023年10月14日(土)ー 2024年2月25日(日)
URL:https://www.aomori-museum.jp/en/schedule/11901/
※追記(11月15日)
青森県立美術館のX (Twitter)に取り上げていただきました!
ありがとうございます。
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