#1 起業まで ”2つの「シコウ」が合致することの大切さ”|幕張PLAY株式会社 神長尊士さん
このセクションでは、神長さんがどのようにして事業アイディアと出会い、実現していったのか。
またピポットに至った変遷を聞いていきたいと思います。
Q. 連続起業家としての肩書を持つ神長さんですが、もともと起業をすることに対しての敷居は高くなかったのでしょうか?
A. 起業をしたのは38歳の時でしたが、実は最初起業というのは全く頭にありませんでした。
会社に勤め、専門のキャリアを構築しながら70歳まで働いて、というような人生を漠然と思い描いていました。
Q. そうだったのですね。ではなぜ起業をしようと思われたのか、また起業までの道のりを教えていただけますか?
A. 現在47歳ですが、起業をしたのは38歳の時です。大学では建築を専攻、設計の仕事に携わりたいと思っていたものの当時はバブルが弾けた後の就職氷河期。そのため、希望の就職先が見つからず設計の夢は一旦諦め、半年間無職で過ごしました。
その後、現場の施工の職人の経験や、壁画との出会いを通じてアートの世界に飛び込んだりしつつ、最終的に会社員となったのは数年後。会社員となった後はキャリアアップを目的として、3年から6年スパンで転職を繰り返しました。
25歳のタイミングで1級建築士の資格を取得、歯科医院や住宅、商業ビルなどの分野で設計のキャリアを積んでいきました。また、設計の仕事を副業でも実施。副業の稼ぎが本業を上回ることなどもあり、会社外でも自分のキャリアを活かして稼ぐことができるんだということを実感し始めるようになりました。そして、独立というのが視野に入り始めたのが35歳の頃でした。
ちょうどその頃から企業の経営指針や会社員としての働き方に疑問を感じ始めていました。
そのタイミングで勤めていた会社も経営が傾き始め、経営者の手腕で近いうちに会社が潰れるという危機感を覚え、であれば外に出るしかないと思い立ったのが起業のきっかけです。それが38歳の頃でした。
Q. 起業に際して周りからの反対などはなかったのでしょうか?
A. 自分の性格柄、友人や知人に一切相談せずに起業に踏み切ったため、特に大きな反対を受けることはありませんでした。
一番の理解者であって欲しい妻の共感は得られませんでしたが、止められることもありませんでした。
Q. 起業のアイディアはどのようなものだったのですか?またそれは実装されたのでしょうか?
A. 最初の起業のアイディアはCCRC(Continuing Care Retirement Community)と呼ばれるものでした。そのため企業名は、現在の幕張PLAY株式会社ではなく、CCRC株式会社としてのスタートでした。
CCRCというのはシニアのリタイアメントコミュニティ(元気なうちにコミュニティに入ってケアを継続することで、健康寿命を伸ばすという考え方のコミュニティ)を作るというアイディアで、アメリカなどではすでに浸透しています。
CCRC株式会社はアイディアが固まり切る前に起業したため、起業後にアイディアをブラッシュアップしながらの実装となり、結果として1になり切らずに事業内容をピポットすることになります。ただアイディア自体が悪いとは思っておらず、いつか実現をしたいと思っています。実際に創業を始め、日本のカルチャーに合うように内容を変更して実現する必要があるという気付き、また誰と組むかのパートナー選びは非常に重要だという学びがありました。特にCCRCは大規模な街づくりのアイディアとなるため、実現できるタイミングまではアイディアを温めています。
Q. CCRCからピポットしたサービス内容はどういったものだったのでしょうか?
A. コミュニティビジネスの創出と、起業家支援です。
自分は創業の際のアイデアを1に仕切れませんでしたが、その経験があったからこそ起業家の事業支援をしたいとい思ったのがアイディアの発端です。1、2年先輩がちょっと先の視点から失敗を防ぐようなアドバイスをしつつ、一緒に走るという伴走型の起業支援の形を目指して始めており、今も同じ目線で伴走することを重視しています。
またクリエイティブな起業家のプラットフォームも作っていきたいと思っています。従来の企業はスケール化していくために、カリスマ社長を基点としたピラミッド型の組織を作ることが一般的だと思いますが、そうではなくバザール型の組織の上で多種多様なクリエイティブ人材が集まり、新しいプロジェクトを同時多発的に創っていけるようなプラットフォームを作りたいと考えています。
昔は一つのヒット商品が生まれると、ドル箱と呼ばれるように数年は利益が入り続けるような社会でしたが、今は開発が目まぐるしいスピードで進んでおり、商品サイクルのスピードも速い。そんな中でカリスマ社長がトップのピラミッド構造で、社員全員を引っ張っていきながら企業を存続させるのは到底無理だと感じています。それであれば、クリエイティブな集団を作り、同時多発的に商品やサービスが自分以外の人間によって創られる仕組み、個々がエンジンとして機能する仕組みを作った方が組織として圧倒的に強い、そんな想いからクリエイティブな人のコミュニティとなるプラットフォームを作りたいというアイディアが生まれました。
Q. ピポット後の仲間集めや資金集めはどのように行なったのでしょうか?
A. 自社主催のスタートアップカフェのようなイベントや、ワークショップを多数開催しました。起業やピポットの経験を経て、目指すべき方向「指向」と考え方「思考」が合致する人と組むことが大事だと考えています。その二つの「シコウ」が合い、一緒に活動すべきコアな人を炙り出すのに、イベントやワークショップは非常に有効です。
この手法も実際は失敗と成功を繰り返して、今も試行錯誤の連続です。
Q. ピポット後の事業で0→1の「1」を実感した瞬間はいつでしょうか?
A. 大手デベロッパーからの委託事業で1万人が住む町のコミュニティ施設「MAKUHARI NEIGHBORHOOD POD」がスタートした時に0が1になったと感じました。
創立してから4年目の出来事です。
組織ができた、一緒に活動する仲間ができた、という実感です。またそれが、その後の地域コミュニティ創出事業の基盤ともなってきます。
Q. 起業の際には周りに相談はされなかったとのことでしたが、ピポットのタイミングではどうだったのでしょうか?
A. 以前は独学と自分の判断・直感に頼ってしまっていたのですが、この時は起業仲間に囲まれていたので何でも相談していましたね。
#2では、ピポット後の再スタートを経て、連続起業家としての肩書、および6つの事業運営に至るまでどのように事業を拡大していったのか、その変遷と秘訣を紐解いていきたいと思います。
#2事業拡大 “一斉に蒔いた種の目が出始め、相乗効果を生み出し始める”
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