「気が重い」の正体
「気が重い」と「気楽」を分けるものは何か?
ぼくはわりと他人と関わるときに感じる「気が重い」という感覚に反応する。まずは理屈抜きに「なんかこの人と会ったり、話したりするのは気が重いんだよなあ」「できれば、関わりたくないなあ」っていう感覚が先に来る。
逆に、ぼくが好んで会おうとする相手の多くは「気の重さ」の反対を感じさせる人たちだ。おそらくぼくはそれを「あの人は一緒にいて気楽だよね」などと表現している。「気が重い」と「気楽」がぼくの中で対義語になってるわけだな。
では、「気が重い」と「気楽」を分ける具体的なポイントはぼくの中ではどうなっているのか?
相手から何かしらの期待がこちらに向けられている
その期待に応えることがわずかにでも心理的負担(ストレス)に感じられている
この二つの条件が揃い、それが積み重なると気が重くなる。
気楽な相手
だから、逆に考えてみると、少なくともぼくにとっての気楽な相手というのは、
そもそも相手がこちらにあまり期待を向けていない
相手は期待を向けているが、自分はそれに応えることが心理的負担と感じていない
この2つのパターンのどちらかになる。
1のタイプの人は、ぼくに対して期待を向けていない。だから、ぼくに近寄ってくるモチベーションもない。ぼくもそんなに熱心に他の人との距離を詰めに行くタイプではない。すると、1の人とは問題なく関われる知人くらいの遠い距離感で、何かしら関わる必要や理由があるときだけ関わることになる。職場の人間関係なんていうのは、こういうものが多いであろう。必要がなければ寄ってこない人というのはそれなりに気楽に意識せずに関われるものだ。
2のタイプの人は、ぼくに対してなにかしらの期待を持って近寄ってくる。ただ、ぼくとしてもその期待に応えることはイヤではないし、期待に応えて喜んでもらえたらぼくもうれしい。これが「相性が合う」ということなんだと思っている。相手が求めているものをこちらも喜んで差し出せる。この場合は、1のケースよりも距離が近くなる。相手が近寄ってくることをこちらも歓迎する。自分が相手に期待をかけて近づいていくこともある。長い付き合いの親友とか恋愛のパートナー、親密な関係にある夫婦とかはこの辺のかみ合わせがうまくいっていることが多い。互いに相手の期待のかけ方が自分の好みにあい、喜んで応じることができる関係と言えるだろう。
気楽な相手からかけられる自分への期待は、それに応えることに違和感がないため、自分が相手の期待に応えているという自覚自体があまりないことも多い。ただ、なんとなく一緒にいて、普通に楽しいし、居心地がいい、みたいな感覚になる。でも、背後にはそういうかみあった期待のやりとりがたくさんあって、自然な形で流れているはずだ。
気が重い相手
逆に「気が重い」と感じてしまう人に対してはどうか?
相手からこちらに向けられる期待に対しては、「期待されているから応えないといけないな」とつい思う。相手の期待に応えないと、目の前の相手は多少なりともがっかりしたり、悲しく思ったり、不機嫌になったりする。それを目にするのは、できれば避けたいと思うからだ。この相手の期待に応えておきたいという感覚は自覚されていることもあるし、無自覚のうちに相手の期待に応える義務のようなものを感じていたりもする。
一方で、その相手からの期待に応えるのが嫌だな、億劫だな、気持ち悪いな、などなにかしらの小さな不快も発生している。この不快も義務感と同じように自覚されることもあれば、無自覚のうちに蓄積されていくこともある。このように感じられる相手とは「相性が悪い」と言える。別に相手が悪いわけではない。自分が悪いわけでもない。単に相性が合わないのだ。この組み合わせだとうまくいかない。
たとえば、ぼくは自分に対して、ひどく高圧的な態度を取る人に対しても、卑屈な態度を取る人に対しても、気の重さを感じて遠ざかりたくなる。それは、その態度の背後に強い期待を感じるからだと思う。高圧的な態度の背後には、尊敬してほしいという期待がありそうだし、卑屈な態度の背後には、こんな自分を受け入れてほしいという期待がありそうだ。でも、その期待に一度答えたとしても、延々と期待は続くのである。その人と関わる限り、そこに応え続けなければならない。ぼくはそれがひどくおっくうに感じる。めんどくさい。そして、応えないと相手はいちいち不機嫌になったり、落ち込んだりする。ぼくは気楽に楽しく他人と関わりたいのであって、誰かの世話をしたいわけではない。だから、身体がそこに「気の重さ」を感じるようになる。
遠い距離感なら相性が合わなくてもやり過ごせる
こういう相性の合わなさというのは、わりと色々な相手に対して、色々な形で出てくる。
たとえば、仕事上での関りならば、近づきすぎず、接触量を減らすことでなんとかやり過ごすことができる。友人関係であっても、年に何度か会うくらいならば、やはりやり過ごすことができる。
趣味つながりの友人の良いところは、もっぱら共通の趣味についての情報交換をしたり、それを一緒にやったりすることをメインの目的にしていれば、この手の相性の不一致が問題になりにくいことだ。
私とあなた、二者関係の話だと、コミュニケーションの上に互いの期待がたくさん乗る。でも、私とあなたが並んで座り、共通の趣味を眺めてそれについて語る。共通の趣味を間に挟んだ、三角形、三者関係になっている。この形だと、相手に対する直接の期待や要求はあまり大きくならない。「自分のことをこう見てほしい」「自分のことをこう受け止めてほしい」みたいな話になりにくい。
相性が合わない人と関わる必要があるときには、距離感に気を付け、距離を詰めすぎない、相手が詰めてこようとしても、適度にブロックして距離を開けておく。これが、完全に関係を断絶させないコツだ。長くつきあうためにあえて近づきすぎないようにする。そうして、相手から自分への期待の量をコントロールする。距離が遠い相手には期待の量も少なくなる。だから、期待の相性が悪くてもやっていける。
恋愛関係において相性が合わないことは重大で深刻な問題になる
恋愛とか結婚のパートナーとなると、どうしたって距離が近くなり、接触量も増える。「私とあなた」といった二者関係の話も多い。それがないと恋愛にならない。だから、この期待に関する相性が合うか合わないかが非常に重要になってくる。
近くて濃密な恋愛関係においては、相性が合わないと、相手の側にわかりやすい非がなくても「気の重さ」を感じて離れたくなったりする。わずかなかみ合わせのズレも恋愛という濃厚な関係の中で何度も頻繁に繰り返されて凝縮されていき、耐えられないものになる。これは極めて自然なことだ。
もともとこの「気の重さ」についてはぼくがXで以下のポストを書いたことをきっかけにして連想的にポストを続け、それを流れてしまうのももったいないからと思ってnoteにまとめなおしている。
付き合っている相手が浮気をしたとか、暴力をふるったとか、そういうわかりやすい非があるわけじゃないけど、なにかその相手と会うのに気が乗らない、気が進まない、気が重い。会話をしていると、言葉の端々にわざわざ指摘するほどでもないが気になる物言いがあってイラっとする。あんまり顔を合わせたくない。そういう感覚を持つことはそれなりにあるだろう。
恋愛パートナー探しにおいては試行錯誤を重視する
恋愛パートナー探しというのは、気が重くない相手、相性が合う相手を探すことだと思っている。いきなり相性がぴったり合う相手に出会うわけではない。試しに付き合ってみて、はじめて相性が合うか合わないかわかることが多い。そこはもう試行錯誤しかない。試行回数を増やす。気になる相手とはまずは試しに付き合ってみる。
ただし、付き合い始める前から違和感のある相手とは無理に付き合う必要はない。だいたい、最初に感じる違和感というのは自分の身体的な感覚に基づいた精度の高い直感であったりする。だが、もしも違和感が特になく、縁がありそうならば、気軽に付き合ってみればいい。
実際に付き合ってみて、はじめて、気になってくることもある。そのときには、無理せず、別れる。気になることがなく、楽しくやっていけるのならば、それは相性の合う良い相手を見つけたということで、そのまま付き合い続ければよい。
悪者になる覚悟を持って別れを告げる
ぼくは相手と会うのが気が重く感じたら、「あなたと関わるのは気が重いので別れてほしい」とストレートに伝えて別れるようにしている。恋愛においては相性が合わないものを無理に続けようとしてもうまくいかないものだ。
「あなたと会うのが気が重いので別れてほしい」とハッキリと言うことで、一時的には恨まれたりするかもしれないが、ここまで言えば、わりと相手も諦めてくれる。
ここで、躊躇してしまう人は多いだろう。いくら別れるとはいえ、一度は好きで付き合った相手である。そんな相手に対して、いい人でいたい、いい顔をしたいという気持ちが湧く。自分からハッキリと別れを告げて、相手の顔が苦痛に歪むのを見たくない。いつだって、別れ話をするというのは大変に気が重い。
でも、相手を悲しませ、恨まれる覚悟を持ち、ハッキリと「いかに自分はあなたと付き合い続ける気持ちがないか」を伝えた方がいい。どうせうまくいかないものであるならば、互いにさっさと見切りをつけた方が新しい相手との出会いのチャンスも広がる。自分のためでもあるが、相手のためにもなる。
時には、相手が別れたくない一心で「そういう自分を変えるから!別れたくない!」などと言ってきたりすることもある。だが、本当に期待したい気持ちを抑え込んで隠して、無理してそれを期待していないかのようにふるまう姿を見るのがまた気が重いのである。隠そうとする期待も、期待がかなわないことへの苦痛も滲み出す。だから、この手の相性の合わなさは基本的に努力でどうにかなるものではないと思っている。他者への期待のかけ方というのは、その人の対人関係戦略そのものであり、そう簡単に変わるものではない。そこが変わるというのは、ほとんど別人になる、みたいなことだ。
だから、そう言われても別れる意志を伝え続けた方がいいだろう。恋愛関係において相性が合わない相手と無理に一緒にいてもいいことが本当にない。相性が合わないと感じたら、別れる意志をハッキリと伝え、相手からどのような引き留めがあろうとも、断固として引き下がることなく、なるべく早く別れる。これが長い目で見たときには一番いい結果になると思っている。