皮肉の研究なんてあるんだ
皮肉に関するツイートをしてnote記事にまとめた。
https://note.com/mentane/n/nd670674a0fe3
これに関して友人から「皮肉に関する心理学の研究論文があって面白い」とこの論文を紹介してもらった。
「皮肉伝達における過大評価 ――受け手と傍観者の比較――」岡本真一郎
https://t.co/1vLl2hp0oQ
この内容が本当に面白かったので紹介しておきたい。
論文内で言われていることをぼくの解釈を少し交えてかいつまんで説明すると以下のような感じ。
つまり、皮肉メッセージを伝える側はその伝達に関して相手に対するメンタライズ不全が起きがちということだ。逆もまた然りで、皮肉ではなくて本心からそれを言ってるときに、相手に皮肉だと受け止められることもメッセージの送り手の予想以上によく起きる。
カウンセリングにおいても、クライアントから「先生はもちろんわかってますよね?」というアプローチを受けることがよくある。それには「いや、全然わかってなかった。どういうこと?」と対応することが多い。
「相手は思ったほど自分のメッセージの意図を正確に理解できてはいないし、それが普通のこと」というのを理解しておけると、無駄に腹を立てたり、相手の中に悪意を読み込んだりする必要がなくなってくる。マジでわからないものはわからないのよってって話で。こうやって他者への高すぎる期待を下げてもらうことはとても大事。
そういうわけで、
「でも、やっぱり本当はわかってますよね?」
そう思いたくなる人がたくさんいるのも知っているが、
「いやー、わからないのです」
といつも答え続けるのであった。
(おまけ)
もう少しだけ丁寧な内容の箇条書きを作ったが、使いどころなく余ったのでもったいないからおまけにつけておく。
言葉の多義的な解釈が可能な場面において、コミュニケーションの送り手は、自分が伝えようとしていた事柄について、受け手に実際以上に伝わっていると過大評価する傾向がある
Eメール、音声、対面でのコミュニケーションを比べると、特にEメール(テキスト)でのコミュニケーションで送り手の伝達の過大評価が顕著になる
絵文字使用は伝達の正確さを高めるが、送り手の伝達成功の期待も高めるため、やはり過大評価のままとなった
送り手側の伝達の過大評価には「透明性錯覚」「知識の呪縛」と呼ばれる現象が関連している
透明性錯覚とは自分の内心が実際以上に他者に知られていると感じる傾向のことを指す
自己中心的な視点を取り、相手の視点を十分に考えに入れられないため、行為者(自分)の内的な状態への相手の接近可能性に関する判断を誤るのが透明性錯覚である
知識の呪縛とは、ある事象に関連する知識を持っていると、その自分の知識を棚上げにして、知識がない他者がその事象をどう見るかを判断するのが難しいことを指す
(本実験)メッセージの送り手と受け手の他に、送り手と同じだけ状況に関する知識を与えられた傍観者についても、メッセージ伝達の成功、不成功について予測をさせたところ、送り手に発生するような伝達の過大評価は発生しなかった