フリーライダーから利他主義を守る方法
昨日は『自由は進化する』読書会であった。ここ数か月、ずっと進化論的な話について読み進めている。昨日は自己利益ではなく他者利益のために行動を起こすような利他主義は、進化的に自然選択のプロセスの中でどう成立しうるか?という話の続きであった。
利他的な集団の中に利己的なフリーライダーが入ってくると、フリーライダーの一人勝ちになり、利他的な個体は最終的に減少してしまう。
それをどうやって防ぐか?
その鍵となるのが「処罰」であるという。以下の2種類の処罰を用いる。
1.フリーライダーを処罰する
2.フリライダーを排除しようとしないお人よしの利他主義個体を処罰する
「処罰」というと、絞首刑にでもかけるようなイメージがあるが、もっとカジュアルな「眉を顰める」「積極的に話しかけなくなる」「その相手に対する援助行動をやめる」なども含まれる。村八分というのも処罰のわかりやすい一つの形だ。
フリーライダーを処罰するというのはすぐにわかる。
だが、フリーライダーを処罰しない個体を処罰するというのは、こうして改めて本の中で指摘されるまであまりその発想がぼくにはなかった。でも確かにそういう風潮は普通にこの社会にもある。
フリーライダーを処罰しない個体を処罰するという行動パターンによって、多くの個体が処罰を避けるためにフリーライダーを処罰するようになる。こうして、フリーライダーを排除するという文化がグループ全体に広まり、そのグループには利他的ふるまいをする個体が存在しやすくなる。
この「問題の個体を処罰をする」「問題の個体を処罰しない個体を処罰する」という行動パターンの導入によってグループ内の文化として発生するものは利他主義だけに限らない。どんなことであろうとも、この二つの行動パターンの導入でグループ内には速やかにある特定の文化が広がっていく。
たとえば、コロナ感染拡大防止のためのマスク着用という行動習慣を考えてみる。
1.マスクを着けていない人を処罰する
2.マスクを着けていない人を見かけても処罰しない人を処罰する
この二つの行動パターンの導入でマスク着用義務が定着しやすくなるはずだ。
ここでの処罰とはなにか?
1ならば「マスクをつけてくださいね」とマスクを着けていない人に言って注意する。場合によってはマスクをつけない限りはそのコミュニティに参加させない。
2ならば「マスクを着けていない人に対しては『マスクをつけてください』と必ず注意してね。そうしないと、他の人にも迷惑なっちゃうから。そういう人を許してはダメ」などと注意する。
こうして、グループ内の大半の人間が処罰を避けてマスクを着用し、さらにマスク未着用者に注意をするようになれば、マスク着用義務という文化が定着するわけだ。1だけだとその辺が弱い。グループ全員が処罰に協力してくれるとは限らないからだ。
こうやって言葉にしてみると全体主義的な監視社会の雰囲気がバリバリにあってあまり気持ちのいいものではないが、でも多くの文化は裏側で緩やかにこの原理が働いて成立している可能性はある。
こんなような話を水曜日の『自由は進化する』読書会では読み進めています。興味がある方はぜひご参加ください。一冊を一年以上かけてのんびり読み進めていく感じなので途中参加でも大丈夫です。