発達障害バブル(診断過剰)に警笛!情報処理の特性の違いを見分ける。
発達障害は「個性」の一部と言えるので「非定型発達」ともいえる。こう主張するのは精神科医の岡田尊司さんだ。「普通」とは違うとはいえ、だからといって、すなわち「障害」になるわけではない。血液型をたとえにするなら、日本人はA型、O型が多いのだけれど、B型・AB型は少数派なので「障害」とみなすようなものだ。
情報処理の3タイプ
それぞれの「個性」(特性)を理解することができれば、いたずらな診断を防げるのではないか。岡田さんは、発達障害バブルに一石を投じる。特に、教育・学び方に関しては、それぞれの子供に応じて特性が異なることを理解していなければならないだろう。岡田さんは、大まかに分けると3つの方法で情報処理を行うタイプがいると説明している。
1:視覚空間型:手や体を動かして学ぶタイプ
2:視覚言語型:本を通して学ぶタイプ
3:聴覚言語型:講義や授業、人との関わりで学ぶタイプ
このうち「聴覚言語型」は、いわゆる「定型」(普通)で、聞き取りや会話の処理能力が高く、一般の学校で学ぶことに適性を持つタイプだ。しかし、1:視覚空間型 2:視覚言語型は、大多数とは異なる学び方をする。岡田さんは著書の中で明言していないものの、それぞれは、ADHDやASDのタイプと重なるものがある。
ADHD特性のある私が見聞きしたことや、経験したこともふまえて、この2つのタイプを説明してみたい。
1:視覚空間型(ADHDタイプ)
視覚空間型の人は、実際に体を動かして学ぶタイプだ。本を読んだり、記号を処理したりするのは苦手なので、国語・算数についていけないことがある。しかし、学力そのものが低いというわけではない。だから、今の学校教育の中では、一番割を食う人だと言えるかもしれない。
つまり、本を読んだり、講義を聞いたりというスタイルの学習では全く実にならないのだ。情報の並列処理が得意(マルチタスク)なので、はた目から見ると、常に気が散っているように見えるはず。新奇探求性が強く、新しいことを追い求めるので、飽きっぽく見えて、一瞬たりともじっとしていない。まさに、ADHDそのものだ。
「発達障害と呼ばないで」の中で興味深い主張のひとつは、大学進学など高等教育が誰しも必要だという幻想にとらわれすぎているというものだ。視覚空間型にとっては、現場で働いて体で覚えていくのが適しているので、社会に出るのが早ければ早いほど有用な人になる。中卒で働いてもよいのだ。それが、視覚言語型の人がイキイキ学べる方法であるならば。
岡田さんが著書の中であげているのは、トム・クルーズだ。彼は独字障害があることで知られている。しかし、その豊富な才能を見抜き、特性を伸ばしたいと願った教師が「自信を持たせるために、スポーツや演劇など、非学術的な分野で才能を伸ばすように」アドバイスしてくれた。これが、大きな転機になる。
彼は本を読めなかったが、誰かに読み上げてもらうと、すぐにセリフを諳んじることができた。知能が低いわけではなかったのだ。視覚空間型の学び方をする人を「障害」とみなすのは、いかにも愚かなことだ。
2:視覚言語型(ASDタイプ)
視覚言語型は、言語や記号に対する興味や関心が深く、深く狭い分野の知識を掘り下げることができるタイプの学び方をする。その一方で、人とのコミュニケーションをはかるのは苦手なので、どうしても本をで学ぶことが多くなる。ペーパーテストの点数は高くなるので、知能は高いとみなされることが多いはず。
学者や研究者となる人は少なからず、視覚言語型の適性を持っていると言える。まさに、ASDタイプそのものだ。
岡田さんが、典型的な例として挙げているのが、正岡子規・デズモンド・モリス・ヒッチコック・ビルゲイツなどの有名人だ。能力や特性に偏りがあり、対人コミュニケーション能力では、かなり限られたものがあったが、その分、自分の得意分野では圧倒的な成果を残した人たちばかりだ。これを「障害」とみなすのは、人類の進歩の芽を摘むようなものだ。
それぞれの特性は多様である
どちらのタイプも情報処理の方法が違うというだけで、知能が低いわけではないのだ。一つの型に押し込めて学ばせよう(計測しよう)とすると「普通」以外の子ははじき出されることになる。学び方のタイプは3つだけではない。
細かに分類していけば、何を知能とするかさえ、様々な意見があるのだ。その偏りを「障害」と呼ぶのは正しいことだろうか。
「知能の多面的な構造を研究したハワード・ガードナーのよれば、人間には7つの知能が存在するという。」
1:言語的知能
2:音楽的知能
3:論理ー数学的知能
4:空間的知能
5:身体ー運動的知能
6:内省的知能
7:対人的知能
(発達障害と呼ばないで 岡田尊司 幻冬舎新書 P185)
すべての人が、それぞれ能力に偏りを持っている。しかし、その偏りこそが多様な世界を作っていると言えるのではないか。すべての人が平均(60点)であれば、この世界には何の発展もない。大きな偏り(得意分野90点、苦手分野10点)があればあるほど、人はそれを「才能」と呼ぶのだ。
すべての人を、平均・普通・定型という型で判断しようというのは、人類の進歩を考えても致命的なことだ。発達障害バブル、発達障害と診断される人が多すぎる現状は、岡田さんにとっては非常に危うく見えるのだ。
特性をポジティブにとらえる
できないことに注目するのではなく、できることに注目すると、すべての人が学ぶことを楽しめることに気づく。教育家の小川大介さんが、NHKのあさイチ「集中力SP」に出演された際に、なかなか集中できない子供たちをどう見たら良いのかを指導していたが、とても興味深かった。
「キョロキョロする」
視覚が敏感ということ。ある意味では、集中力がありすぎるともいえる。あらゆるものに目が留まるからだ。だから、一つのものに集中できるように、気を散らされない部屋にしてあげると、このタイプは伸びる。
「おしゃべりする」
聴覚が敏感であるということ。普通なら聞こえないような声にも反応してしまう。一人部屋を与えてあげると集中力がアップする。
「もぞもぞする」
体の感覚が鋭敏であるということ。ちょっとした刺激も感じ取るだけの感覚の鋭さがある。もぞもぞした動きを止めようとすると、かえってエネルギーが必要になるので、自由に動き回らせるようにして学ばせてあげると良い。
親たちには、自分の子供には集中力がないという悩みがあるのだが、小川さんは決してそのような見方をしていない。すごいなと思ったのは「宿題を先延ばししてしまい、いつまでもやらない」という相談に対して、即答で、その子の優れた特性に注目したことだ。
「先延ばしする子というのは、実感がわかないことには、やる気が出ないタイプ。つまり、肌感覚が鋭い子ともいえる。そういう子は実践に強いんです。こういう子がやる気を出すためには、それを終えたら何が起こるかをできるだけ具体的に見えるようにしてあげるといいですね」
どんな子も、問題児ではなく、知能が低いわけではなく、学び方のタイプが違うだけだと考えると、どうしたらその子の可能性を伸ばせるだろうかと考えられるようになるだろう。「普通にしよう」と考えすぎるのではなく、その人の「個性・特性」を伸ばすには?という考え方は大切にしたい。
まずは、発達障害を論じる前に、まずは考え方から改革していく必要があるんだろうなと思っている。