論理療法(REBT)第三者的に自分を見る「友達論駁」(friend dispute)
人はだいたい自分には厳しくなってしまうものだ。他の人を助け、優しい言葉をかけている人が、実は自分自身を責めているということもある。
近くにいればいるほど、人の弱点というのは目につく。自分は自分にとって、一番近くにいる人だ。自分の弱点も一度注目してしまうと、目の前から離れなくなる。自分のことを誰より知っている自分からの批判・批難は、自分にとって耐えがたいものになる。
他の人を見る視点
他の人を見る時と同じ(優しい)視点で、自分を見ることができれば、過度に厳しくならずに済むかもしれない。
「クライエントが重要な試験に失敗して、「自分は何でもよくできなければならない。よくできないと自分はどうしようもない」と信じているクライエントがいるとしよう。そのクライエントに、もし自分の一番親しい友達がそのような状況にいたら、自分を非難するのと同じようにその友達を非難するかどうかを聞いてみる。通常、クライエントは「いいえ」と答える。
そうであれば、クライエントが友達に対しては、自分自身に対してとは違った態度を示していることを指摘する。クライエントが自分自身に対しても、友達に対するのと同様にいたわりの気持ちを示すならば、自分自身の感情問題をもっとよく解決することができるであろうことを示唆する。」
自分に厳しくなってしまう傾向に気づかせるための優れた方法として「友達がおなじような場面を経験していたら、同じように言うだろうか」と考えさせる。他者には気をつかうし、バランスを持って物事を見られるので、それほど厳しい言葉はかけないのが普通だ。しかし、いざ、自分に対して書けている言葉はどうだろうか。セルフトークをチェックしてみたい。
日記と時間差
なかなか、自分を第三者的に見るのは難しい。特に、自分を責めるような感情を味わっているさなかに、自分の感情と自分を切り離すのは難しい。そこで、私が実践している方法は、日記に感情を書き出すことだ。そして次の日に読み返す、または一週間後に読み返す、半年後に読み返す、1年後に読み返す。
どれも、同じ自分なのだけれども、今の自分とは違う。混乱している時もあれば、落ち着いている時もある。こんなことを考えていたのだと思いもよらないコメントを書き込んでいる時もある。過去の自分を現在の自分が見る時、それは第三者の目線だ。この目線で、頑張りすぎの自分をねぎらったり、自分を責めすぎる(厳しい)自分に気がついたりすることができる。
簡単ではないが、自分を責める気持ちは、自己破壊的だから、できるかぎり抜けだす努力をしていきたいと思っている。