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論理療法(REBT)の主要な3つの「洞察」(骨組み)
論理療法には3つの「洞察」があると読んだ。しかし、正直、アルバート・エリス自身の著書を一読しただけでは「3つの主要な洞察」を見つけられなかった。論理療法の本は、無駄にとっつきにくいのだ。翻訳が悪いのかと思うけれど、多くの場合そうではない。とにかく理屈っぽい理論なのだ。
解説書、いくつかを当たり、論理療法の骨組みともいえる貴重な「洞察」を理解できたのでまとめておこう。
1:自分の感情に責任を持つ
「人生の「困った」出来事に対して自分を混乱させているのは、主として自分自身である。私の感じ方は私の考え方に大いに左右される。不快な出来事や失望する出来事が起こったとき、私が意識的、あるいは無意識的にラショナル・ビリーフを選ぶと、その結果悲しいとか、残念という感情を持つが、イラショナル・ビリーフを選ぶと、不安、落ち込み、自己嫌悪という感情を持つ。」(どんなことがあっても自分をみじめにしないためには―論理療法のすすめ アルバート エリス)
エリスは、もともとフロイドの精神分析を学んでいる。しかし、やがて、すべてを過去の出来事や経験に原因を求める精神分析に反発し論理療法(REBT)を生み出したのだ。それゆえ、この「洞察」は論理療法を理解するうえで非常に重要なものになる。
これは、現在の状況を「過去」に求めるあらゆる心理学派と違う考え方であり、より積極的なものだ。
論理療法と言えばABC理論だ。多くの人は、出来事(A)が自分の感情(C)に直接影響したと考えてしまう。しかし、実際には、自分自身の「選ぶ」信念(B)次第で感情は異なるのだ。これが、第一の洞察である。これは、何度でも叩き込んでおきたい考え方だ。
エリスの論理療法に忠実なカウンセラーのカウンセリング風景を見ると、この洞察は、ある意味で患者を追い詰めるように見えるかもしれない。そもそも、神経症的な症状を抱える患者は「~~のせい」と、他者に原因を求める思考を持っているものだし。論理療法のカウンセラーは「責任はあなたにある」と断言する。言っていることは正しくても受け入れがたいかもしれない。
しかし、その場で慰められ、おだてられるよりも、考え方を変えるほうが長期的に見て、クライアントの益になると確信するからこそ、論理療法のカウンセラーは「論駁」しようとするのだ。まあ、こういう特徴があるからこそ、論理療法はセルフヘルプ(独学)が向いていると思うんだけれど。
2:原因は自分の思い込みにある
「私がいつ、どのようにしてイラショナルなビリーフや習慣を獲得したかにかかわらず、私が今、イラショナル・ビリーフに固執する道を選んでいるので、私が今混乱しているのである。過去または現在のよくない環境は私に影響を与えているが、しかしこの悪い状況が私を混乱させているのではない。自分の現在の人生観が、自分の現在の悩みの源泉なのである。」(どんなことがあっても自分をみじめにしないためには―論理療法のすすめ アルバート エリス)
2つ目の洞察だ。原因は自分の「考え方」にあるわけだから、それを正すこともできるという。イラショナル・ビリーフとは「非合理的な考え方」のことだ。理性的ではない歪んだ考え方を持ち続けてきたゆえに(本人は意識していなくても大切に持ち続けてきたゆえに)、現在の自分があるのだ。
対処法は、ABC理論で理解できたように、歪んだBを見抜き、徹底的に反駁(D)し、考え方の歪みを矯正するということだ。一見厳しく思える論理療法の考え方の背後には、人間存在への絶対的な信頼が感じ取れる。分かりやすく言えば、「人は変われる」ということだ。
「責任があるということは、自分がそれを選択できるということです。選択できないことには責任もありません。そして、選択できるということはコントロールできるということです。責任にあたる英語のレスポンシビリティ(responsibillity)という言葉がレスポンス(対応)+アビリティ(能力)の合成語であることが示しているように、責任があるということは対応能力があるということでもあるのです。」(「いやな気分の整理学 論理療法のすすめ(生活人新書)」 岡野守也 P48)
3:繰り返し努力すれば変えられる
「自分の性格や、自分を混乱させやすい傾向を変える魔法のような方法はない。自分を変えるには努力と練習あるのみ、私自身の努力と練習しかないのである。」(どんなことがあっても自分をみじめにしないためには―論理療法のすすめ アルバート エリス)
繰り返し、繰り返し、練習すればするほど、論理療法(REBT)を使いこなせるようになる。そして、練習しなければ、容易に非合理的な考え方は人の思考を覆ってしまう。まさに「不断の努力」が必要だ。決して、魔法のような方法ではない。自分の考え方を毎日、毎日、形作る努力が不可欠なのだ。
論理療法による3分間セラピーの中でエデルシュタインは、この点を「歯磨き」に例えている。
歯を磨く習慣を維持しなければ、やがて虫歯になってしまう。一度、その方法を覚えたところで、毎日磨き続けなければ意味がないのだ。また、ピアノの練習、言語の習得にも例えている。一度、レッスンを受け、入門書を読み、そして、すぐにプロのように新しく覚えたスキルを使いこなせるか?
もちろん、答えは否だ。
練習、練習、練習!が必要なのだ。
「洞察」というと分かりにくいのだが、論理療法(REBT)の骨組みと理解すると良い。責任を自分で引き受け、非合理的な考えを見抜き、論駁する努力を人生をかけて続けていく、実にストイックで、地味で、「まとも」な方法だ。
論理療法は誰もが驚くような即効性のある方法を提示しない。しかし、論理療法の考え方を理解し、あきらめずに実践を繰り返すなら、徐々に自分の考え方を自分でコントロールできることに気が付いていくはずだ。
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