翻訳本は読みにくいけれども、質は担保されていると思わない?
私は、かなり翻訳本が好きでよく読む。理由は「わざわざ日本語に翻訳されるほど価値がある本だ」と思うからだ。
そもそも、しょーもない自費出版の本であれば、翻訳されて商業出版のルートに乗り、日本で発売されることはないはずだ。海外でもそれなりに売れているという実績や、日本でも売れるという見込みのある本が輸入されてきていると考えるの正しいことだ。
翻訳本で知性を磨く
茂木氏も海外の本(翻訳本)を読むことを推奨している。
「海外の本を読むことも、「知性」のためには、格好のトレーニングになります。 翻訳書は、舞台も外国ですし、表現がまどろっこしくて読みづらいと言って、避けている人も多いようです。しかし、ぼくは海外の翻訳書を読むこと(いずれは原書で読むことを目指しましょう!)を強くおすすめします。」
翻訳本の読みにくさは、翻訳の上手・下手というのはあるのだけれど、実は日本とは「前提条件(知識)」が違うからなのかもしれない。翻訳書をたくさん読んでそれに慣れることで、海外ではどんなことが前提とされているのか、自分が暗黙のうちに前提にしていたことは何なのかに気づくことができる。もしかすると「日本の常識は、海外の非常識」ということがわかるかもしれない。
読みやすい本を、まるで噛まずに消費するように読むよりも、読みにくい翻訳本の中にエッセンスを読み取るようにして読むことで知性は磨かれるのではないだろうか。以前、論理療法(REBT)を勉強していた時に、その読みづらさに閉口したが、実は翻訳の問題ではなく、エリス自身の書き方なのだということに後になって気づいたことがある。
「ホンヤクガー、ホンヤクガー」というと、それ以上考えなくなってしまうので、翻訳本からその思考のエッセンスを読み取ってやろうと意気込んで読むのがおすすめだ。
翻訳本で見えるラスボス
茂木氏はTEDの例を引き合いに出していますが、あらゆる分野のプロ、しかも世界に通用するレベルのプロを見ると、ほんと、引き締まるじゃないか。まだまだ甘いなと。茂木氏は、海外の知見を「ラスボス」(ラストに出てくるボス)と表現していますが、日本と世界には、学問的にも思想的もまだまだ越えられない壁が大きいことを自覚するのも大切だ。
グーグル翻訳で日本語以外のサイトを閲覧するだけでも、アクセスできる情報の幅は飛躍的に広がるだろう。噛まずに読める本ばかり読んでいると、難しい本を読む力が衰えてきている感じがするので、自分にちょっと負荷をかける読書にもチャレンジしていこう。