「そここに垣間見える軍隊的名残り」
昔、大岡昇平の「野火」という小説(いや、これはドキュメンタリーなのだが)を読んだ。この小説のショッキングなところは、第二次世界大戦中のフィリピンでの飢餓状態で、人肉を猿と偽られて食べるというところなのだが、僕は、別の場面が印象的だ。
当時の兵隊は「了解」と返答することを禁じられていたらしい。「了解」とは、伝えられたことを理解し、納得したということだ。彼等はそれすらも禁じられていたのだ。
唯一の返答は「はい」しかない。その名残りが今でも日本の封建的な社会システムに見える。
例えば、社員教育で上司の指示に「承りました」と答えさせる。「わかりました」「了解です」ではない。「承りました」には、本人の判断の分け入る余地がないのだ。
他にもある。人員の数え方だ。普段の生活で、人を数える場合は、ひとり、ふたり、さんにん、と数えるだろう。
しかし、格式張った場面ではどうだろう?僕は、消防団に所属している。消防団をはじめ、自衛隊、警察など縦系統の統制が厳しい集団では、「人(にん)」は使わない。「名(めい」が一般的だと思う。彼等は形式を重んじる。僕はそれが気に入らない。だから、僕は意識して「人」を使う。
僕は学生時代ずっと野球部に所属していた。紛れもないタテ社会だ。理不尽も味わったが、幸いなことに高校、大学では、比較的感じなかった。いや、、それは僕の勝手な解釈で、多くの先輩の優しさによって僕は包まれていたのだ。生意気な後輩でごめんなさい。
閑話休題。ウクライナ侵攻によって、ロシア兵の幾人かが捕虜になった。彼等が「ロシアに騙された」と訴えている映像がメディアで流されていた。それが本心からであってほしいと願う。しかし、僕には信じられない。兵とは、そのような感情を排除される訓練を受けている。命令によって動く。そんなマシンを養成するのが軍隊である。
そんなところに我が子を送る境遇に、絶対なってはいけない。世間に流されず、自分の意見を堂々と述べよう。空気にのまれるな。「いやなものはいや」と言おう。