奥村一郎(メンタルパートナー、活動家、主夫)

夢:活動家を養成する学校をつくる モットー:Life is Action. Life is Play. ダメダメだっていい。頭が悪くてもいい。気が利かなくたっていい。面白くなくていい。ブサイクだっていい。不器用でいい。引きこもってたっていい。キミがそこに存在してるだけでいい。

奥村一郎(メンタルパートナー、活動家、主夫)

夢:活動家を養成する学校をつくる モットー:Life is Action. Life is Play. ダメダメだっていい。頭が悪くてもいい。気が利かなくたっていい。面白くなくていい。ブサイクだっていい。不器用でいい。引きこもってたっていい。キミがそこに存在してるだけでいい。

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妻と一緒にダイエットスタート

秋口にフラメンコの発表会がある妻の衣装合わせのために、夏頃までに「着たい衣装の選択肢を増やしたい」と妻から「ダイエット隊長」の任命を受けました。 このミッションを完遂するためには、今までの何となくダイエットではいけないと思い、過去の実績を元に「メンタルパートナー的ダイエット理論」をまとめようと決意しました。なにしろ失敗は許されないのです。エライことになってしまう。 まずは「ダイエット憲章」なる屋台骨を箇条書きにしました。こちらに関してはダイエットを進めていく中で紹介してい

    • 「AIも木から落ちる」

      昨日、母校の野球部の夏の大会一回戦があり、リモート観戦しました。見事13対1でコールド勝ちし、現地で観戦した4人と僕を含めリモート観戦した仲間たちで喜びを分かち合いました。次戦は?と組合せ表を検索しましたが、見つけることができず、AIに尋ねてみました。 僕 → Perplexity:(AI) 第106回全国高校野球選手権大会大阪大会の旭高校の二回戦の対戦相手と日程を教えてください。 Perplexity:(AI) → 僕 第106回全国高校野球選手権大会大阪大会の旭高校の

      • 「enfant(アンファン)」

        「写真は、昔、おふざけに作ってもらった僕自身のポートレートだ。いつの間にかアンファンのオモチャ箱行きとなっていたが…   最近、アンファンがこれを僕に見せて「ジイジ、ジイジ」と言うようになった。また、家族の誰かが教えたんだろうと思っていたが、そうではないらしい。妻は全然似ていないと言うが、アンファンには僕に見えるらしい。   最近、再認識させられている。子どもには、僕など足元にも及ばない優れたチカラがある。幼いからといって侮ってはいけない。敬意の念を持って、同じ人間として対話

        • 「課題の分離」

          黒豆を炊いた。妻も喜ぶし、孫も喜ぶ。汁を多めに入れた黒豆に粉から作った団子を放り込む。きな粉団子も少し。喜んで食べる笑顔は何よりのご褒美だ。   でも、僕は「おいしい?」とは尋ねない。これは昔から変わらない。   おいしいかどうか?を作り手に言うのは食べた本人の判断だ。僕が注力するのは、旬や気候、その時の気分、料理本や新聞や雑誌の記事から着想を得て、今はこれを食べさせたいと一所懸命に出す。そこまでだ。   つまり、僕の課題は作った段階で終わっているのだ。自分の課題とそれ以外の

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        • メンタルパートナー
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        • わが子を愛するすべての親御さんへ
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          「生成AI」

          今の僕は、生成AI(ChatGPT等)を使うことはないだろうと思っていた。必要性を感じなかったし、その利便性も上の空だった。だが、転機はいきなり訪れた。 僕は、11月に高校の同期会の代表幹事をすることにした。その企画の一つに事前に募集した参加者のエピソードを会場で披露するコーナーを設けた。 提供されたエピソードに対する観客の反応を見える化するアプリを僕は20年程前に体験し、とても興味深かったのを覚えている。 アプリの名前は「ケータイゴング」。株式会社アナザーブレインの久

          雨上がりのお散歩は…

          雨上がりのお散歩は 画材を買いにオークワへ 併設されてるダイソーで   クレヨン 画用紙ウッキウッキ 両手で持ってウッキウッキ   シャカシャカ白地に描きはじめ ポキポキクレヨンポーキポキ   それでも君は カキカキ シャシャシャ クレヨン自在に虹となる   君のことよく観るから 耳のこと知っていたいから 君のこと理解していたいから

          「子育てについて今一度」

          中3の時に『3年B組金八先生』を見て教師になろうと教育大学に進学した。教師にはならなかったが、「人を育てる」ということには今でも魅力を感じている。   自分自身の子どもたちを育てていた時に影響を受けたのは、トマス・ゴードンの「親業」という著書だった。この本のお陰で、立派な父でなく、人間らしい父になれたと思う。   おそらく子どもたちも私たち夫婦と一緒にいて肩が凝ることはないと思う。それで十分なのだが、孫のことになると、もうちょっと何かしたいし、あの頃より精神的な余裕もあるし…

          「雨 ビチョビチョ」

          夕方から外は雨 赤い靴を履いて散歩をせがむ君   一緒に出掛けよう 雨は危険なほどではない   ハイテンションな君 僕は車が近づいたら…   「止まる」   「止まる」を一緒にしてみる   雨は降り続く 雨を感じる   「雨 ビチョビチョ」   と言いながら シャツをパタパタ 頭をクシャクシャ   雨を概念ではなく 雨を身体で感じる   「雨 ビチョビチョ」 と言いながら 雨で遊んで 真っ暗な公園まで   ひとしきり雨で遊んで 「雨 ビチョビチョ おうち」 雨で遊ぼう 雨で

          「ルソーのエミール」

          「創造主の手から出るとき事物はなんでもよくできているのであるが、人間の手にわたるとなんでもだめになってしまう。」十八世紀の啓蒙思想家ルソーの『エミール』の冒頭はこんな言葉で始まる。   僕が大学で教職を目指している頃、『エミール』は教育書の古典で、古臭く、学ぶに足りないとされていた。(だから、原典に当たらなかった)   しかし、この言葉はなかなか奥深い。僕なりに解釈してみよう。   すべての人はそれぞれ強みを持って生まれる。それをそのまま伸ばしてやれば幸せになるが、教育や躾(

          「カーテンにくるまって」

          カーテンにくるまって君はいる いないいないバーかな?   うーん いきんでる ウンチかな?   カーテンがひるがえって 満面の笑みでバー しっかりウンチもしてる   いつも幸せにしてくれて ありがとう

          「つかめ」

          生きていれば 良い時も 悪い時もある うまくいく時も うまくいかない時もある 同じようにやっていても なぜかそうなる   悪い時やうまくいかない時が長く続くと 折れそうになる 自分を責めて 死にたくもなる   でも…… 生きていれば また 幸せな時が必ず来る   そして 苦々しいあの時が 今生きている喜びの肥しとなっていることに気づく そんな忌々しい糞団子が礎になるのだ   だからね…… あきらめたらあかんねん 死んだらあかんのよ   未だ見ぬ喜びは 今まで経験したことのない

          「供養」

          私は一郎の名の通り長男です。父の死後、もれなく墓がついてきて、当然、お寺ともお付き合いしています。私が33歳の時に亡くなったので、はじめは一所懸命に法事をしたり、彼岸やお盆の行事をしていました。しかし、どうも檀家制度に馴染めなくて「供養」というものに疑問を感じはじめました。   「供養する」とはどういうことなのか?自分なりに考えてみました。   そして、こう考えるようになりました。先祖代々の墓に父はいません。もちろん仏壇にも彼はいません。父は私の記憶の中にあって、いつでも対話

          「他者の価値観を尊重する」

          この前の記事で価値観の確立について書きました。月日を経て得た価値観は自分の土台です。だから大切にすべきですが、執着してはつまらなくなります。自らの価値観に固執する場と頑固(がんこ)になり、他者の価値観に寄り添えないと狭量(きょうりょう)となります。 自分の芯を持ちながら、他者の価値観に理解を示し、影響を受けた場合は自分の価値観を更新(アップデート)していく柔軟さを常に心がけたいです。そのために必要となるのが対話(ダイアローグ)です。

          「価値観」

          「人間の価値観の確立には50年かかる」と私は考えるようになりました。50年というと一生の大半です。独自の価値観を確立するのにこれほどの時間がかかるのは、親や時代の価値観、自身の経験、影響を受けた思想、また、自我の確立時期やその状態等、様々な要因が関わります。   価値観とは何でしょうか?「自分を自分たらしめる」いわば自分の芯のようなものです。例えば、1965年生まれの私は、学校教育で「男女平等」という価値観を学びましたが、親世代は「男尊女卑」という価値観で生きていました。ここ

          「寿司テロと承認欲求」3/3

          前回、「寿司テロ」のような犯罪ををしてしまう人は、マズローの欲求段階説になぞらえて「承認欲求」の段階を抜けきれず、「自己実現の欲求」の手前で足踏みをしている状態だと書いた。 なぜ「自己実現の欲求」に移行できないのか? それは「ありのままの自分を承認された経験に乏しい」からだと結論付けざるを得ない。寿司テロ現象はそれを物語っているのだろうと僕は考える。 「ありのままの自分」とは何か? それは、泣いている自分であり、媚びない自分であり、助けを求める自分だ。掛け値なしの自分

          「寿司テロと承認欲求」2/3

          「寿司テロ」はなぜ起きるのか?悪ノリがなぜエスカレートしてしまうのか?なぜ彼らはそれほどまでに承認されたいのか?(「いいね」がほしいのか?) ここからは、持論を交えて検証したいと思う。 前回の記事はこちら→「寿司テロと承認欲求」1/3 皆さんはマズローの「欲求段階説」をご存知だろうか?最近はメディアでも「承認欲求」という言葉を使われることが多くなった。この言葉の提唱者だ。 全体像を示しておく。図は、「うつ」の効用 -生まれなおしの哲学-(泉谷閑示著) 2021 - p1