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奈良県出身の明石家さんまが学生時代に、「白鹿の写真を撮ると賞金がもらえる」という企画に目をつけ、友人と普通の鹿にペンキを塗って白鹿に見せかけ、賞金を得ようとしたという逸話があります。
 
鹿が生息する奈良市の春日大社には、神護景雲二年(768年)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白い鹿に乗って奈良の地に降り立ったとされ、以来、鹿は神の使い「神鹿(しんろく)」として崇められてきた歴史があり、上のような嘘話?が成立するのです。
 
その春日大社の創建の半世紀前、710年に藤原京(現在の橿原市付近)から遷都され、平城京が成立します。春日大社や平城京跡のある奈良市は、奈良県でも北部に位置し、京都府に隣接しています。その72年後に長岡京に遷都され、最終的に794年「泣くよウグイス平安京」でお馴染みの京都が長く都となるのです。
 
さて、藤原京の置かれた橿原市の更に南に五條市があります。五條市の命名の由来は諸説ありますが、都に見られる区画制度である条里制によるという説も有力です。つまり、整然と区画された、その当時の都会であった可能性があります。その中心地であった宇智地区に婆は生まれました。

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奥村一郎(メンタルパートナー、活動家、主夫)
I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-