子どもの授業参観で考えた障害と多様性
先日、子どもの授業参観に参加しました。その日は「人権」と「多様性」がテーマで、子どもたちはパラリンピック選手のことを調べ、彼らの活躍や、病気やケガを乗り越えてきたエピソードに触れていました。その中で、障害を持つ人を差別せず、平等に接することの大切さも学んでいるようでした。
こうした授業は、子どもたちが多様性を理解する上でとても素晴らしいものだと思います。ただ、授業を見ながら少しだけ違和感も感じました。その理由を自分なりに振り返ってみると、2つのポイントにたどり着きました。
障害者と健常者を区別して捉えていること
障害を「個人の問題」として見ていること
障害のある人と、そうでない人とを分けてしまう考え方が、どこか「別の存在」として隔てることにつながっていないか。この点に少し引っかかりを覚えました。そして、障害を「個人の問題」としてだけ捉えることも、何か足りないものがあるように感じたのです。
1. 障害とは何か?
そもそも、「障害」とは何でしょうか? 医療や福祉の支援の対象を決めるために「障害(例えば身体・知的・精神など)」という基準が設けられています。しかし、その基準はあくまで人が決めたものであり、時代や国によっても変わるものです。(例えば発達障害は昔は規定されていませんでした)
たとえば、WHOが提唱しているICF(国際生活機能分類)では、「生活機能に支障が出ている状態」を障害としています。これは、ただ身体や精神の機能に問題があることだけを指すのではなく、日常生活の活動や社会参加にどれだけ制約があるかも含んでいます。言い換えれば、障害は「個人」と「環境」の関係によって生まれるものだと捉えられるようになったのです。
2. 障害を生む「環境」との関係
ICFの考え方によると、たとえ身体に不自由があっても、車椅子やバリアフリーの環境が整っていれば、十分に日常生活を送ることができるのなら、それは「障害」とはみなされないことがあります。つまり、障害とは「個人だけの問題」ではなく、その人を取り巻く環境がどう整っているかに大きく依存しているのです。
例えば、視力が非常に悪い人でも、眼鏡やコンタクトがあれば快適に生活を送れますよね。私自身も視力が0.01とかなり低いのですが、コンタクトのおかげで生活に不自由はありません。このように、障害は「0か100か」ではなく、「どの程度の支援があれば日常生活が送れるか」という、程度の問題だと考えられます。単純に「あるかないか」で割り切れるものではないということです。
3. 個人と社会の相互作用としての障害
違う見方でみると、「得意なこと、苦手なこと」という観点から障害を捉えてみることもできるかもしれません。たとえば、走るのが得意な人もいれば苦手な人もいますし、勉強が得意な人もいれば不得意な人もいますよね。コミュニケーションが得意な人もいれば、そうでない人もいます。
そう考えると、パラリンピック選手は「歩くことは難しいけれど、スポーツは得意な人」、と言い換えることもできるかもしれません。このように、障害は「まったく違う存在」ではなく、「多様性のひとつ」だという視点も持てるのではないでしょうか。例えば、自閉症スペクトラムも「虹のように幅がある」と言われるように、どこかで線を引くのが難しい障害もあります。このような考え方を取り入れると、私たちは誰しもが障害と呼ばれる状態になる可能性があることが見えてきます。ストレスにより一時的に抑うつ状態になり仕事を休むようになれば、その時は障害がある状態なのかもしれませんし、交通事故にあえば誰しも障害がある状態になります。また歳をとれば、だれもが障害がある状態になるのです。つまり、私は障害がある、あなたは障害ないと区別するのではなく、だれもが障害がある状態になる可能性がある「人間」なのです。
4. 多様性の本質を考える
今回の授業では、多様性をテーマにパラアスリートのことを取り上げていました。このテーマは、金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」という詩のように、多様性を考える上で非常に分かりやすいと思います。
ただ、多様性は「0か100か」ではなく、完全に違うから尊重するのではなく、お互いの違いを知りつつ、同じ人間として共通する部分も持っていることを理解することが大切だと思います。私たちが「違いを認める」ということは、「みんなに共通する部分も大切にする」ということでもあります。その意味では、多様性の理解とは、個性の違いを受け入れつつ、同じ人間としての共通点を見つけることでもあるのかもしれません。
5. まとめ:私たちの中の多様性
障害について考えるとき、それをただ「人を分ける基準」として見るのではなく、環境や社会の影響によって変わり得るものとして捉える視点が大切です。誰もが何かしらの不便や苦手なことを抱えており、それが環境によって障害になったり、ならなかったりすることもあります。
今回の授業のように、障害や多様性について学ぶことは、誰かを「違う存在」として分けるのではなく、私たち皆が支え合い、理解し合うための大切なステップです。そして、年齢を重ねることで、誰もがいずれは何らかの支援を必要とすることもあるでしょう。ですから、障害とは「早いか遅いか」の違いかもしれません。
多様性の中にある共通点や違いを理解し、認め合うことで、より良い社会を築いていけたらと願っています。