愛着
愛着障がい 。
Wikiによると「乳幼児期の虐待やネグレクトにより保護者との安定した愛着が絶たれたことで引き起こされる障害をいう」とある。 だが、虐待が原因という訳でもない。
誉められて育ってきたけれど、実は愛着障がいというケースが増えているそうだ。
例えば、
気配りができて、元気で、頑張り屋さんがうつになった。
実は、
「気配りは気遣いをしていないと落ち着かない」
「親や周りに人の心配をさせないための元気」
「頑張らないと意味がない」
誉められて育ってきた。 それが、誉められない自分は価値がないと思い込むようになっている。
虐待ではなく躾の厳しい親の元で育った人で、愛着の問題を抱えている人も少なからずいるという。
その厳しさを、咀嚼出来ていればいい。 そうではなく、愛を求めてはいけないと思い込んだ子供時代を過ごした人は、大人になっても葛藤を抱えているという。
怒りっぽい人は、実は愛着が絡んでいる場合があるという。
声を荒げる自分は
怖いと感じていた親を投影し、
周りの人はふがいないと感じていたあの頃の自分。
親の期待に応えようと頑張っていた。
でも、認めてはくれなかった。
褒めてはくれなかった。
他の兄弟は褒めるのに。
それでも頑張っていた。
そんな子供時代を過ごさなかったですか?
誉められてきた人も怒りっぽい人も、愛着に問題を抱えている人には共通する特徴があるという。
それは「叱られている人を見ると、自分が叱られているように感じる」ということ。 他人に同情するの訳でもなく、自身にトラウマ体験がある訳でもないのに。
子どもの頃、大人の目をすごく気にしていた。
叱られないように、いつも気を遣ってきた。
良い子に思われるよう、頑張ってきた。
叱られることは、いらない子と思われることじゃないかと、どこかで思っていた。
そういう思いを抱えている人は、結構いるという。
自分の子供の頃の愛着って、どうだったのかな? ふと思い出したのが、祖父の家に姉や従弟たちとお泊りに行った時のこと。
雑魚寝ができるように敷かれた布団。 私は隅っこがいいと言った。
邪魔にならないように。 従弟たちがゆったり寝られるように。
もしかしたら「思いやりのあるいい子だね」と褒めてもらえるかもと、ちょこっとだけ期待したりもした。
大人たちは言った。
「変な子だねえ」
悲しいとか恥ずかしいとかではなく、 ああ、そんなもんか と思った。 そんな事を、なぜか思い出した。
傷付いた愛着を抱えている人が息をしやすくしていくには、自分自身を認めてあげて、安心できる居場所を作ることが大切だといいます。 自分を認める事は難しいことだけど、糸口として日記を書いてみたり、呟いてみたりするのもいいそうです。
日記は自分自身との会話。 読み返してみると、日によって違う自分がいる事に気づいたりする。
Xなどで呟くのは、誰かにみて貰う事。 そして、その時そのままの自分を肯定してくれる人を見つける事。 自己を責める事は出来ても褒める事は苦手という人も多いから、他の人に頼るのも大いにありですよ。
居場所は、サークル、仲間、行きつけのお店、友達。
人でも場所でも。
安心していられる所なら、 リアルだけじゃなくバーチャルでも🆗 ある精神科医が書いていたんだけれど、ゲーム内の繋がりで素の自分を出せるなら💮
大切なのは、あなたを肯定してくれる人や場所。
それが何よりの妙薬❤️🩹
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